和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

外山氏の新刊。

2010-03-31 | Weblog
外山滋比古氏の新刊二冊。
「『人生二毛作』のすすめ」(飛鳥新社)。
こちらは、新書サイズのハードカバー。
「頭の旅」(毎日新聞社)
こちらは、1982年~1997年の連載をまとめたもの。

一冊目は、
「私がしゃべるのを旧知のライター浦野敏裕さんが文章化したものである。
話は三回にわたったが、そのつど飛鳥新社社長土井尚道さん、同編集部工藤博海さんが同席、雰囲気を支えてもらった。」とあとがきにあります。

自分で書く文章のしばりから、解放されており、87歳の外山滋比古氏は、いったいどんな方なのかを知りたい方には格好の入門書となっております。2010年3月第一刷。

もう一冊は、軽い雑駁なエッセイ。外山滋比古氏のファン層がふえてきたので、できたような一冊。私は舎監長・森仁郎先生のお墓参りをする箇所が印象に残りました(p88)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

座談。

2010-03-29 | 短文紹介
ある100名ぐらいの会で、
話される方が「それでは、坐って話させて頂きます」
といって、30分ほど話されたことがありました。
その部屋は畳敷きでしたから、聞く方は、
皆さんあぐらをかいたりしておりました。
司会進行や、5分ほどの語りの方は皆さん立って
話されておりました。

なぜか、それが気になっておりました。
ここから、3つの文へと連想が飛びます。
まずそういえば、と思い出したのが、
外山滋比古氏の言葉でした。

「イギリスの国会議事堂は第二次大戦で大破をこうむった。
その復興計画が議論されているうちに、
もともと、手狭であった議事堂を、この際、
拡大しては、という意見が有力になった。
そのとき、チャーチル首相が、大議場はいけない。
広いところだと、議員はつい大声になるが、
大声で知恵のあることをのべることはできない、
と主張。
多くの人がなるほどと納得して、
もとのままの議場を復旧することになった。
有名な話である。
われわれは、大声にならないように、
いつもブレーキをかける必要がある。
ことに心ある人は大声でものをいわないのだと
いうことを心に留めておく必要がある。
大声ははしたない、無礼であると考えてよい。」
 (「大人の言葉づかい」中経の文庫・p50)

同じ、外山滋比古氏の文に、
菊池寛の座談会を紹介した箇所があります。

「大正末期の総合雑誌は申し合わせたように巻頭に難解きわまりない論説をかかげるのが常でした。読んでわかった読者がいたかどうかわからないが、とにかくそれが高級雑誌の常道でした。
それに対して菊池の『文藝春秋』は巻頭にエッセイを並べました。・・
記事のつくり方にしても、新機軸をいくつも打ち出しました。
中でも目覚しいものに座談会記事の創案があります。
ジャーナリズムがイギリスにおこって三百年、
いかなる雑誌も、座談会を記事にして掲載しようと
したことはかつてなかったのです。
それを『文藝春秋』はやってのけました。
発明です。
すばらしいアイディアでした。・・・
いまでは座談会というものが、活字になったのは
菊池寛の『文藝春秋』のが始まりであることさえ
ほとんど忘れられています。
菊池寛は本当の意味でのアイディアマンの先覚者として、
独創、発明の喜びとともに悲哀も味わったはずです。」
 ( 「アイディアのレッスン」ちくま文庫・p40~41)

最後の3つめは。

桑原武夫について語った司馬遼太郎の文があります。
題して「明晰すぎるほどの大きな思想家」。
そこにこんな箇所。

「桑原武夫の異常さ――といったほうがいい――対談がはじまる前に、場面構成をすることである。いきなり始めればよさそうなものが、諸役(編集者、速記者、そして話し手など)のざぶとんの位置を決めなければはじめられない。・・・
『速記の方はそこ。編集部はあちらに』と、
氏は登山隊長のような表情になった。さらに氏は小机の角度をすこし曲げ、司馬サンはそこです、といった。それによって氏と私との位置に、適当な角度ができ、たがいに無用の肉体的圧迫感をうけることが軽減され、ひどく楽な気になった。
同時に桑原氏の学問の方法の一端がわかったような気がした。このことは、人文科学の分野は成しがたいとされていた共同研究というものを氏が一度きりでなく幾度も成功させたという記録的な業績の秘訣にもつながっているようにおもえる。・・・
天賦の才能というのは、接してよくわかる。それが表現の場をえないとき、その容器である人間は生理的変調を来たすのではないかと思われるほどにいらだつ。・・・・」

ここで、司馬さんはこんなことを語っておりました。

「すぐれた天賦の才能というものはその表現が自己への治療であって、自己の利益を増幅するために用いられることが、ほとんど法則のようにありえないからである。・・・」

座談ということから、
三題噺ならぬ、三つの文へと連想がたのしめました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「詞花集」引用文献。

2010-03-28 | 詩歌
 松下緑著「『サヨナラ』ダケガ人生カ」(集英社・2003年)

 松岡正剛著「多読術」(ちくまプリマー新書・2009年)

 長田弘著「食卓一語一会」(晶文社・1987年)

 「漱石人生論集」(講談社学術文庫・2001年)

 鶴見俊輔著「悼詞」(SURE・2008年)

 鶴見和子著「女学生」(はる書房・1997年)

 井伏鱒二著「厄除け詩集」(講談社文芸文庫・1994年)

 青木玉編「幸田文 しつけ帖」(平凡社・2009年)

 青木玉編「幸田文 台所帖」(平凡社・2009年)

 村松友視著「幸田文のマッチ箱」(河出文庫・2009年)

 坪内祐三著「考える人」(新潮社・2006年)

 幸田文著「崩れ」(講談社文庫・1994年)

 田中冬二著「サングラスの蕪村」(筑摩書房・全集第二巻・1985年)

 幸田文著「みそつかす」(岩波書店・全集第二巻・1995年)

 幸田文著「雀の手帖」(新潮文庫・1997年)

 渡部昇一・谷沢永一著「老子の読み方」(PHP・2009年)

 まど・みちお著「風景詩集」(かど創房・1979年)

 森銑三・柴田宵曲著「書物」(岩波文庫・1997年)

 内田初穂著「星の王子の影とかたちと」(筑摩書房・1984年)

 森銑三著「武玉川選釈」(彌生書房・1984年)

 宇野直人・江原正士著「杜甫 偉大なる憂鬱」(平凡社・2009年)

 宇野直人・江原正士著「李白 巨大なる野放図」(平凡社・2009年)

 一海知義著「漢詩入門」(岩波ジュニア新書・1998年)

 桑原武夫著「文章作法」(潮出版社・1980年)

 茨木のり子著「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書・1979年)

 「教科書でおぼえた名詩」(文春ネスコ編・1997年)

 「声で読む日本の詩歌166おーいぽぽんた」(福音館書店・2001年4月)

 齋藤孝著「声に出して読みたい日本語」(草思社・2001年9月)

 堀口大學著「月下の一群」(講談社文芸文庫・1996年)

 茨木のり子著「歳月」(花神社・2007年)

 茨木のり子著「倚りかからず」(ちくま文庫・2007年)

 美智子「橋をかける」(文春文庫・2009年)

 養老孟司・竹村公太郎著「本質を見抜く」(PHP新書・2008年)

 竹村公太郎著「日本文明の謎を解く」(清流出版・2003年)

 中西進校注「万葉集1」(講談社文庫・1978年)

 谷悦子編「新美南吉詩集」(ハルキ文庫・2008年)

 粕谷栄市編「石垣りん詩集」(ハルキ文庫・1998年)

 内藤濯「ルナアル詞華集」(グラフ社・2003年)

 長田弘著「一日の終わりの詩集」(みすず書房・2000年)

 花神ブックス1「茨木のり子」(花神社・1985年)

 田村隆一著「ぼくの人生案内」(小学館・1998年)
               (光文社 知恵の森文庫・2006年)

 大江健三郎著「定義集」(2007年朝日新聞4月17日)

 曽野綾子著「私日記112回」(Voice2009年4月号)

 読売歌壇 小池光選(読売新聞2008年11月17日・樋下佐代子短歌)

 読売歌壇 岡野弘彦選(読売新聞2009年2月10日・矢端桃園短歌)

 倉田卓次著「裁判官の書斎」(勁草書房・1985年)

 倉田卓次著「続裁判官の書斎」(勁草書房・1990年)

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「詞花集」項目列挙。

2010-03-27 | 詩歌
「詞花集」の題名列挙(ほとんどが、本の題名だったりします)。

 ぼくは、「りん読」と名づけてみたい。

 漱石人生論集

 厄除け詩集

 味噌っ滓。

 老子の読み方

 花の盛りも風雨はござる 人の別れもこの心。

 警句から和歌へとつながる水脈?

 武玉川選釈

 どっこいしょ。

 杜甫。トホホホ。

 煙花三月。

 一日の終わりの詩集

 倚りそへよ、今し世は秋の時なり。

 新美南吉の詩をご存じ?

 「木」という詩。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日めくり。

2010-03-26 | 詩歌
日めくりカレンダーをめくっていると、
格言の下に、その作者名が書きこまれております。
さて、「石の上にも三年」の下に
 ( 松江重頼 1602~1680 江戸前期の俳人 )
とあります。いったいどういう方なのか。

「事を論ずるにはまさに己の地 己の身より見を起こすべし」
( 吉田松陰 1830~1859 幕末期の思想家 教育者 )

「賢者は己の敵から多くのことを学ぶ」
( アリストファネス BC445~BC385頃 ギリシャ喜劇作者 )

う~ん。日めくりから多くのことを学ぶことができたりします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵葉書。

2010-03-25 | 手紙
「詞花集」をお送りした方から、昨日絵葉書が届きました。
「・・・さつそく読ませて頂き、有益なおもしろいブックレビューで大変参考になりました。いくつかは、私も読んでおりましたので、よくわかりました。・・・・」。
ついつい一部を引用したくなりました。
葉書の宛名下半分への書き込み。裏はモネ「バラ色のボート」の絵葉書。
うん。お返事をいただけた。梨のつぶてじゃなかった。うれしいなあ。お送りした方の最初のご返事。くりかえし読みました。

ちなみに、BK1のメール・週刊ビーケーワン(20100317)では、
『書評フェア』詞花集について、一行。
「魅力的な詩歌が引用された、心のやすらぐ書評をどうぞ」と紹介しておりました。
うれしいなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受付。

2010-03-23 | Weblog
近所で不幸があり、
今日は、通夜。
明日は、告別式。
どちらも、受付をたのまれる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

披露宴。

2010-03-22 | 婚礼
昨日は、結婚式に家族で呼ばれて、出かけました。
午前11時半に式場のバスに乗り合わせて行きました。
一時間半かかって到着。昨日の午前中までは、大風で、
電車は止まるし、こりゃ一体どうなることやらと思いながら、
それでも、出かける時には、もうよい天気になってきておりました。
披露宴の最後の新郎の父挨拶は、うちの兄。
帰りの到着は、午後の10時ごろ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ことば。

2010-03-20 | 詩歌
外山滋比古著「『マイナス』のプラス」(講談社)を、めくっていると、
あれこれと思うのでした。
これ、この人のエッセイを読んでいると、落語家の噺を思いうかべます。
同じ題目の落語を聴いているのに、楽しめる。
毎回同じテーマを取り上げていても、違った味わいを楽しめるのでした。

さてっと。
たとえば、「ことばづかい」という短文。
「・・・工場で実習しているアメリカ人が同僚の日本人技術者に向かって、『○○はないか』と日本語できく。きかれた方は、黙って姿を消す。どうしたんだろう、と思っていると、○○をもってあらわれた日本人は、『これ』と言って差し出す。アメリカ人は喜ばない。どうして、ものを言わないのか。・・・
アメリカ人はことばをことばで処理するコミュニケーションを考えているのに、日本人はことばを心理的に受けとめるからこうした行き違いが生じる。日本人は、『あるか』ときかれて、『ないよ』と答えるのはあまりにもそっけないから、気を利かせて、ことばには出さずに、反応するのが親切だと思っている。・・・・」(p102~104)


私事。ときに自分の家で、他の方と会話をしているとき、会話のなかで、つい思い浮かぶ本があると、私は黙って本棚へとむかっていることがあります。お目当ての本が、あれば、すぐに帰ってくるわけですが、それが見つからないと、黙って手ぶらで相手の前にかえってくる。何ともおかしなことをしているときがあります(笑)。
自分では、なんだかブログに書き込みをしている時のような、何気ないしぐさなのですが、こりゃ、どうみても可笑しいですね。

たとえば、この外山氏の本に「なしのつぶて」という題の8㌻ほどの文があります。
そうすると、私は、そういえば「梨のつぶて 丸谷才一文芸評論集」という題の本があったなあと、腰をあげたりします。そういえば、その丸谷才一著「挨拶はたいへんだ」(朝日新聞社・あとで文庫もあり)を思いうかべるような記述が、この外山氏の本にもでてきました。というので、「挨拶はたいへんだ」を本棚に捜してみたりするのでした。

さてっと、外山氏の文「なしのつぶて」には、こんな箇所がありました。

「・・・世の中になしのつぶては降るようにある。どれもこれも怠け心、だらしなさ、ひとりよがりによるものであるとは限らない。いやな返事を書くにしのびなくて、心を鬼にして、返事をしない、――そういうなしのつぶても、ひょっとすると、あるかもしれない。いずれにしても、なしのつぶては、重い意味をもっていることには変わりがない。
『なしのつぶて=梨の礫』は辞書によるとこうである。
『音沙汰のないこと。音信のないこと。投げた礫(つぶて)はかえらないところから、「梨」を「無し」にかけて語呂を合わせていう。(後略)』(日本国語辞典) 」(p129)


さてっと、外山氏のこの本に歌人が登場するのでした。
ちょいと、そこを詳しく引用。


「ある元セールスマン(うん。外山氏の本を読んでいると、これが曲者で、案外に本人だったりする時があるのです)、退職して読書三昧の暮らしをしている。歴史ものを好み、伝記や自伝を愛読する。
その彼が言う。自伝はすぐれたものがすくなくないから読み出したところで品定めをして失敗をさけるようにしている、と。読み出して早々のところで自画自賛調が出てきたら、その本をすてる。最後まで付き合うのは時間の浪費になる。いろいろな人に接する仕事を通して、人を見る目を養ってきたのであろう。のっけから手柄話をするような人にろくな自伝は書けない、ときめている。
この人がかねて心を寄せていたAという歌人がいる。何十年来、その歌に注目してきた。先年、日本経済新聞の『私の履歴書』に登場したから喜んで読み始めた。1ヵ月連載の自叙伝風の読みもので、ほかの新聞にない呼びものである。この元セールスマンは、その第一回目の文章で、『私がこんにちあるのは、このおかげである』という文章に出会(でくわ)して愕然とし、これはいけない、と思って読み進むと、もっとはっきりした自賛のことばが出てくる。それで、見切りをつけて、あとは見なかった。
短歌でもしようと思えば自慢の歌ができないことはないが、すこし歌歴のある人ならそんな愚は犯さない。ところが散文になると、自制の気持がゆるんで、つい甘くなって、のろけを書いてしまったのであろう。やはり人間としての苦労が足りない。」(p142~144)

さて、ここを読んで、私は丸谷才一著「挨拶はたいへんだ」をとりに行ったのでした。『私がこんにちあるのは、このおかげである』という言葉が気になったわけです。丸谷さんの本にはあとに、井上ひさし氏との対談が掲載されていて、そこに、こんな箇所がありました。

丸谷】 ・・・詩人たちの会というのは長いよねえ。
井上】普段、短く書いているからでしょう(笑)。
丸谷】高見順賞のパーティなんて長い。それから、受賞者の挨拶というので、だれそれに感謝します。だれそれに感謝しますっていうのを、はじめから終りまでしゃべる人がいるでしょう。二十人も三十人もに対して感謝する。それで終りなのね。
井上】ハハハハハ。
丸谷】感謝される対象と感謝する人との共同体だけの問題ですよね。
・・・その場にいる人間の共同体は、どっかに置き去りにされてるわけです。
・・・・・
井上】いっそ徹底したらおもしろんですが。・・・・
だれか若い人で、この本を研究して、挨拶の芝居を書いたらいいな。くだらないやつとか、素晴らしいやつをいくつも並べてやったらきっとおもしろいはずです。


さてっと。
この井上・丸谷対談に
丸谷】あ、そうですか。なるほど、弔辞は伝記なんだ。
という箇所がありました。

そういえば、と本棚に鶴見俊輔著「らんだむ・りいだあ」(潮出版社)をとりに行きます。
そのはじまりが忘れ難いのでした。
ということで、最後は、その引用でしめくくります。


「京都の岩倉から大阪の箕面まで、ずいぶんある。早く出たつもりだったが、葬式ははじまっており、私よりさらにおくれて、年輩の女の人がついた。その人は待たれていたらしく、お寺の門の前に立っていた人にだきかかえられるようにして、本堂に入っていった。お寺の庭はいっぱいだったが、私にとっては知り人はいなかった。やがて拡声器から、詩を読む声が流れてきた。せきこんだような、つっかけをはいて先をいそいで歩いてゆくような速さで、

   いつかあの世であったら
   あなたも私も、女の詩人として
   せいいっぱいのことをしたのだと
   肩をたたきあってわらいたい

私のおぼえているままを記すと、そういうふうにつづいた。それは、私がそれまでにきいたことのない詩の読まれかたで、私の心をみたした。港野喜代子さんの葬儀だった。・・・」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パソコン修理。

2010-03-19 | Weblog
昨日。パソコンの修理に出す。
もうすぐ3年目。EPSONのエンデバーST100という機種。
この頃、書き込み中に、画面が消えることがひんぱん。
おいおい。という感じで、おりました。
古いパソコンで書き込みをしております。
さて、修理費いくらぐらいかかるのかなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩誌の方々。

2010-03-17 | 詩歌
昨日ですね。
「詞花集」をプリントアウトして、冊子にしてですね。
地域の、詩誌「黒豹」の方々へ、
といっても、9人の方なのですが、お送りしました。

詩誌の主催者の方に、私はここ何年も、
詩誌を無料で、送っていただいていたのでした。
私はそれに対して、毎回返事もせずに過ごしておりました。
これが、詩誌へのご返事になればいいなあと、送ってみました。

自分が返事もせずにいた癖して、
こうして、いざ送ってみると、
さて、相手からの返事を期待したりする不思議。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詞花集。

2010-03-13 | 詩歌
BK1オンライン書店のなかの、「書評ポータル」をひらくと、
そこにある「書評フェア」という、週間で特集を組むフェアがあります。
そこで今週は、「詞花集」という特集。
そこに掲載されている「和田浦海岸」が、わたしです(笑)。
詩に興味がある方は、ぜひ寄ってください。
できることなら、感想を知らせてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸田文の季節。

2010-03-08 | 幸田文
幸田文の新刊。
平凡社から「幸田文 季節の手帖」(青木玉編)が、この2月に出ていたようです。読んでいないけれども、気になるなあ。
ということで、思い出したコラムがありましたので、
以前書いたものをここに掲載。
それにしても、幸田文は、読もうと思っているのに、
ちっとも読まない私であります。
では、だいぶ以前に書いていた文を、以下に引用。



幸田文さんに、一読忘れられない言葉があります。

「季節の移りかわりを見るのが、私は好きです」とはじまります。「心にしみ入るような、素晴しい季節の情趣に出逢ったときは、ほんとうにうれしゅうございます。けれども、それよりもっとうれしいのは、人の話をきくときです。誰かが時にふっと、すぐれた季節感を話してくれることがあります。そういう話をきいたときは、手を取って一歩ひきあげてもらったような喜びがあります。・・・」(「季節の楽しみ」の出だし。)


じつは、新聞のコラムを紹介しようと思っていたら幸田さんの言葉を思い浮かべました。それでは産経抄2003年3月31日から。

「『朝の詩』の投稿者である東京・杉並の女性Hさんから手紙が届いた。『いよいよ咲きました。でも今年の桜は、なにか重い気持ちでしか眺めることができません』とある。似たような思いの方は少なくないかもしれない。年々歳々、咲く花の色は同じだろうに、日を透かした花びらが遠い国の砂嵐や閃光をのぞかせている。重苦しいくもりガラスの向こうで咲いている印象なのである。・・・
そういえば昔から、満開の桜に、生命の賛歌とは逆の、『死』のイメージを抱いた日本人は多い。古今集の読み人知らずは


『春ごとに花のさかりはありなめど あひ見むことはいのちなりけり』


 と詠み、藤原俊成は


『またや見む交野(かたの)のみ野の桜がり 花の雪ちる春のあけぼの』


 とうたった。どちらも真っさかりの桜を目の前にして、また来年もこの花を見ることができるだろうか、いや多分見られないと見極めている。・・
確かに、今年の桜は【重い気持ち】で眺めるほかなさそうである。
あの戦争で散っていった英霊のことを重い浮かべている人もいよう。
ぺリリュー島玉砕の守備隊の最後の暗号電文は
『サクラ、サクラ』だったという。」



じつは、私は長い間。日々のコラムにこういう言葉が載るのを知らないでいました。ふつう新聞のコラムと言えば。たとえば朝日新聞2003年3月28日「天声人語」の最後ぐらいのまとめ方なのだと、たかをくくっていたように思います。

ではその引用。

「東京都心で桜が開花した。皇居沿いの柳も柔らかな緑を見せ始めた。うららかな天気の中、街を歩いていると、砂漠の戦闘があまりにも遠く、あまりにも不毛な戦いに思えてくる。」


こういうようなまとめで、自身をよしとして来たコラム。
言葉を探さないで、ただ言葉を並べかえてるような。
傍観者的で、他人みたいな言葉に安住した時間の長さ。
その「あまりにも不毛な」詠嘆。

こんな天声人語の、しらべを知らないうちに真似ていることへの恐怖。
おかげで、そんな言葉の殻から抜け出せなかった時間の長さ。
怠惰で甘い誘惑。それは天の声を、虎の衣を着るようにして、語るキツネのお喋り。


いっぽう。イラク戦争での「産経抄」は、日々のコラムに、いっそうの緊張の糸がはりつめている感を抱きます。


幸田文さんは書かれたのでした。

「誰かが時にふっと、すぐれた季節感を話してくれることがあります」。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寺子屋塾。

2010-03-06 | 他生の縁
今日は小雨。
今日は、地区の第一回寺子屋講座がありました。
市長が、20分ほどこれからの地区の展望を話し、帰りました。
以前に、その話をテープおこしする約束をしておりましたので、
とりあえず、カセットテープをもっていって録音。
そのあとにも、地域の取り組み発表などがあったのですが、
それを聞いていると、テープおこしも疎かになりそうなので、
途中で帰り、家でテープおこし。
内容がある話でしたので、気持ちよく、活字にして打ち込みました。
あとは、希望者に、メール配信すればよいばかり。

ところで、寺子屋という言葉から、
私は、渡辺崋山の「一掃百態」の絵を思い浮かべます。
そこに描かれた寺子屋の様子がうかんできます。
下の方に、先生の近辺に学んでいる児童。
あとは、先生からはなれるほどに、ざわめきが聞えてくるような
のどかな寺子屋風景。その雰囲気がかもしだす様子は、
ちょっとしゃちほこばらない、塾の風景として印象に残ります。

ということで、ドナルド・キーン著「渡辺崋山」をひらいてみました。
そこに、こんな箇所。
「北斎漫画は、画学生の便宜のために作られたように見える。その特徴が最もよく現れているのは、たとえば『雀踊り』を描いたページである。後ろ姿の小さな人物たちが、激しい踊りの動きの中で腕、脚、胴体を旋回させている。思うにこれは、あらゆる動きの中で人間を捉える、その描き方を画学生に教えるためのものではないだろうか。『一掃百態』には、こうした教育的な意図は一切ない。代わりに崋山が描こうと努めたのは、多様性に富んだ江戸の人々の生活そのものだった。そうすることで江戸の読者を楽しませると同時に、何世紀か後にスケッチを見る人々の胸に崋山が生きていた江戸の日々を蘇えらせることを願ったのだった。
「都会(崋山は江戸のことを指している)だけは、人々の新奇を求める気持が絶えず変化を生んでいる。おそらく崋山は、この変転極まりない江戸の生活の一日を捉え、それを永遠に保存したいという思いに駆られた。・・」(p80~81)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

応接室。

2010-03-04 | Weblog
久しぶりに、
訪問先の応接室で、話しこんでしまう。
本の話やら何やら。話題に乏しいなあ。
などと思いながらも、最近の興味ある本の話をしたのでした。
一休さんという話題が出たのですが、よく知らなかった。
こりゃ調べておかなきゃ。
本の話は難しいですね。
あんまり読んでいないと、ついつい同じ本の話になったりして、
また、暫らくして会ったりして、同じ話になったりすることを
少し恐れるわけです。
そう、たいてい話した当人は忘れているのに、
聞かされる方は、ちゃあんと覚えているものです。
ああ、またあの話か。という感じにならないようにしなきゃ(笑)。
そういえば、昨日は、ちょっと寄った台所で、
道元と親鸞の話が出たのでした。
うん。そこいら、話題についていけるようにしなきゃ。
というか、そこいら読んでみたいと
思っているのですが、このところ本を読んでないなあ。
今日は、午後から雨。午前中、手紙を書く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする