和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

なんと18連休だった。

2018-07-31 | 数値・資料。
今日も暑いですね。
ということで、思いついた箇所を引用。

高橋洋一著「マスコミと官僚の小ウソが日本を滅ぼす」
のp173に「18連休」がありましたので、
忘れないように引用しておきます。

「日本維新の会を除く野党6党は、
大型連休の間、本職であるべき国会審議を拒否し、
連休明けを含めなんと18連休だった。
その間、辞任要求をしていた麻生太郎財務相が
国会に出ているのに、目の前の首を取るための
質問を国会でしなかった。

一方で、国会外で『野党合同ヒアリング』と称して、
国会答弁もできない下っ端官僚をつるし上げていた。
これは、ある意味でパワハラだ。
答弁能力のない下っ端官僚が同じ答弁を繰り返すたびに、
一部野党の議員に怒鳴り上げられ、さすがに気の毒だった。」

「つるし上げ」といえば、戦争中の上官によるいじめが
思い浮かびます(本で読んだだけですが)。
もしものこと、戦争になれば、上官は選べない。
選べるとしたなら、私は安倍総理や麻生太郎氏を上官に選びたい。
間違っても、野党6党が一兵卒の私の上官になるなら、
と、どうしても悪夢を想像してしまいます。
そういう野党上官に限って、日本のためだとか
天皇陛下のために「つるし上げ」をしているのだから、
この「つるし上げ」は天皇陛下の命令だと思え。
そう言って刷り込みをするのだろうなあ。
一兵卒に文句たらたら働かせ、自分らは18連休。
戦争になっても、その体質は変わらないのだろうなあ。


選挙なら選べる。
戦争なら選べない。
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非常に巧妙な印象操作の技術。

2018-07-30 | 朝日新聞
雑誌「正論」9月号届く。
気になっていたので、
「ケント・ギルバート朝日新聞へ【抗議】訪問記」
(p169~175)をさっそくひらく。
こちらは、まだ朝日新聞からの回答が届く前に書かれたものでした。

さてっと、ここには、ケント・ギルバートと山岡鉄秀氏の
二人の連名で文が書かれていたのでした。
その文の山岡鉄秀氏が書かれた箇所を
今回は引用してみます。

「申し入れの際に、朝日新聞側には
『間違った報道によって一大国の国益が
これほど損なわれたことは、ほとんど例がないでしょう』
と申し上げました。それだけ重大な問題であることを、
朝日新聞社には理解してほしいのです。
朝日新聞は後になって、吉田清治の証言について
間違いだったことを国内では認めました(謝罪はしていませんが)。
しかし海外に対しては何もしていません。
ニューヨークタイムズやワシントンポスト、
朝鮮日報なども皆、朝日新聞の報道を引用していたわけで、
本来なら各新聞に『あの報道は間違いでした』と
朝日のお金で謝罪の1面広告を出すべきではないのか、
と伝えました。
forced to provide sex というのは、
ネイティブスピーカーからすると、非常にずるい表現だと言えます。
典型的な印象操作です。
この表現だと『誰に』性行為を強要されたのか、
『どこで』『対価の有無』も分かりません。
しかし、この表現に接した読者は
『強制連行があった、性奴隷だった』などという朝日のかつての
間違った記事を様々なメディアを介して読んでいますから、
自動的に強制連行や性奴隷を連想するわけです。
あのような表現をすると、どうしてもそうなってしまう。
これは非常に巧妙な印象操作の技術だといえます。・・」

朝日新聞が手中に持つ『非常に巧妙な印象操作の技術』が、
朝日の購読者に、どんな広範な汚染を振りまいているのか?
それを朝日新聞の購読者に聞いても、分からないでしょう。

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「今さら訂正できない」マスコミの「切り取り術」。

2018-07-29 | 短文紹介
昨日は夕方から停電。ローソクを出してくる。
ちょうど、地区の定例飲み会があったので、
出かける。そちらは、どういうわけか電気がついていた。
9時過ぎに帰って来ると、停電解消しておりました。

さてっと、高橋洋一著
「マスコミと官僚の小ウソが日本を滅ぼす」(産経セレクト)
を読了。最後の章には、こんな箇所がありました。

「マスコミ報道は全てを報じないので・・」(p176)

「図らずもマスコミ報道の『切り取り術』が・・」(p212)
「こうした本質論を述べたのだが、報道では全く無視された」(p213)


さてっと、若者の失業について
とりあげている箇所をすこし引用。

「マクロ経済からみれば、
失業をなくすのが人的資源の最高の活用になる。」(p207)

ということで、この箇所

「筆者が思うに、
若い世代は雇用を重視し、情報はテレビ以外から入手するが、
老齢世代は雇用の心配がなく、時間があって情報をテレビに
頼っているからだと思う。
筆者は大学教員をしているので切実な問題だが、
大学生にとっての最大の関心事は就職である。
初めての就職がうまくいくかどうか、
その後の人生を決めるともいえる。

民主党政権当時、残念ながら就職率は低く、
就職できなかった学生は多かった。ところが、
安倍政権になってから就職率は高まり、
今では就職に苦労していない。
正直言って学生のレベルが変ったわけではなく、
政策によってこれほどの差があるとは驚きだ。

しかも、今の学生は情報はネットから得ることが多いので、
左翼色が強く安倍政権批判が多いテレビをあまり見ない。

対照的に、高齢世代は就職の心配はないので
どうしても雇用への関心は低くなる。
そして、情報をテレビに依存する人は
安倍政権批判に染まりやすい。

雇用増の実感とテレビ依存の有無がカギを握る。」
(p169~170)

もう一つぐらい引用してもよいでしょう。

「加計学園や国家戦略特区について、
柳瀬唯夫氏が2018年5月10日、国会参考人質疑で答弁したが、
いまだに一部野党やマスコミはかまびすしい。
特区に関しては1年経過しても間違った報道が続けられている。
これはなぜだろうか。
・・・・・
このことをマスコミ関係者に話すと、
ほとんどの人は理解しておらず、それを理解しても
『この点については今さら訂正できない』と言う。
『この1年間、マスコミは何を報道していたのか』
と、批判を浴びてしまうかららしい。
結局、マスコミが根本を理解できていないので、
報道自体がまったく無意味なものになっている。」
(p77)

以下のp78~にマスコミが『今さら訂正できない』
とした内容がわかりやすく指摘されております。
な~んだ。でした。
はい。それは読んでのお楽しみ。


うん。「高齢世代は、安倍政権批判に染まりやすい」
というのは、思わず笑っちゃいました。
ちなみに、安倍首相は昭和29年生まれ。
高齢世代は、それよりも歳をとった方々のことでしょうか?
それとも、精神年齢がご高齢の世代ということでしょうか?


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簡単に騙(だま)される人。

2018-07-28 | 前書・後書。
高橋洋一の新刊が発売。
「マスコミと官僚の小ウソが日本を滅ぼす」(産経セレクト)。


はい。「はじめに」から、この箇所を引用しておきます。

「『モリカケ』で、朝日新聞の報道だけを読んでいる人は、
本書に書いたような問題の本質が、そうした
一部マスコミでは報道されないので、歪んだ報道を信じるのだろう。
そういう人たちは、簡単に騙される人でもある。『モリカケ』は、
1年半以上もマスコミが追及しても何の成果もでていない。
日本の一部マスコミが見捨てられた契機となったものとして、
後世の史家が語るだろう。」(p10)

はい。『簡単に騙される人』って、
どうしてか、高橋洋一氏の新刊を読まない。


せめて、『はじめに』の一部を引用して、
この本があることを、紹介しておきます。
うん、もう少し引用。

「森友問題での『総理の関与』、
 加計問題での『総理の意向』という
安倍総理に関するそれぞれの『疑惑』は、
実際はあり得ないようなものだった。

本書で詳しく述べていくが、森友問題は、
近畿財務局が国有地売却時の原則である公開入札を行わず、
地中のゴミに関する開示が不十分だったために、籠池被告と
近畿財務局の間でトラブルになったことが本質的な原因である。
『総理の関与』など考えられないような地方案件である。

加計問題も、文科省が学部新設の認可申請を門前払いするという
前時代的な規制を緩和する小さな案件だ。
『総理の意向』などあり得ないことは、公開文書で簡単に分かる。

 ・・・・・・

これらの両問題の流れはそっくりである。
まず、総理と当事者の関係を指摘する。
両当事者とも総理(または総理夫人)と知り合いであり、
これらは事実だ。そこで、
『知り合いだから便宜があったはずだ』と、論理が飛躍する。

それを信じさせる客観的な証拠があれば別だが、それがない。
当初あったのは、森友問題では籠池被告の証言、
加計問題では、前川氏の証言だけである。
しかも、それらはかなり信憑性に欠けた。・・・・

しかし、ほどんどのマスコミはそうした
客観的な事実は報道しないで、安倍批判のみを報じる。
特にひどかったのは加計問題で、国会において
加戸守行・前愛媛県知事らが証言しているが、
テレビにおいて報じられたのは圧倒的に
前川氏の発言ばかりだった。・・・」
(p6~7)


では、「本書で詳しく述べている」そうですから、
本文を読んでみて、まだ、これからも朝日新聞が、
モリカケ問題をとりあげるとしても、それ以外の件でも、
簡単には、騙されないように免疫をつけることにします。


オレオレ詐欺でもそうですが、朝日新聞も
だんだんと、手口が大胆になってきております。
何につけても騙されないようにと
「モリカケ」問題の急所をしっかりおさらいして、
「簡単に騙される人」には決してならないように、
この本を丁寧に読むことにします(笑)。
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この時期はとにかく暑くて。

2018-07-27 | 短文紹介
雑誌「Will」9月号の相撲対談。
北の富士勝昭氏と羽佐間正雄氏。

羽佐間】 ところで、今年の名古屋場所はどうですか。

北の富士】 この時期はとにかく暑くて。
昔は『南洋場所』って呼ばれていたくらいです。
でも、必ず毎年一回は巡って来るから
あきらめていますよ(笑)。

羽佐間】 稀勢の里が八場所連続で休場、
白鵬も鶴竜も途中でリタイア。
三横綱の休場は19年ぶりとか。

北の富士】 稀勢の里は、難しいだろうな。
一年も経ってるんだから、治るもんだったら
治っているはずですよ。
肩の怪我をしているときに、
四股もまともに踏んでいなかったんでしょう。
もう足腰まで弱くなっている。
体を見れば分かります。

羽佐間】 やはりねえ、そうですか。
・・(p172~173)



う~ん。なかなか聞けないことを
ズバリ語っているのでした。

名古屋場所での場内の団扇とともに、
暑さが終ったような気がしてきます。

なにくそ。稀勢の里ガンバレ。
北の富士の、辛口コメントに負けるな。
今年の暑さのなか、稀勢の里ガンバレ。
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「印象操作はやめません」。

2018-07-26 | 産経新聞
今日の産経新聞7月26日。
Hanada9月号の全面広告。
そして、「阿比留瑠比の極言御免」。

新聞をひらくと、右の4頁目Hanada全面広告。
左の5頁目に「阿比留瑠比の極言御免」コラム。
うん。新聞の4~5頁の左右が印象深い。

産経新聞には、Hanadaの他にWill9月号の
広告も同日掲載されております。

そのWill9月号にケント・ギルバート氏による
「朝日新聞に突きつけた慰安婦のウソ」が載っておりました。
ケント・ギルバート氏の文の始まりを引用。

「先日、私は山岡鉄秀さんと朝日新聞本社に殴り込み・・・
ではなく、『英語報道に関する申し入れ』をしてきました。
2014年8月、朝日新聞は吉田清治の『嘘』を認め、
その証言に基づいて書かれた18本の記事を取り消しました。
ところが、『海外ならバレない』とでも思ったのか、
英語版の記事では悪質な印象操作を続けているのです。・・・」
(p93)

その申し入れに、朝日新聞社は7月23日に回答すると答えており、
ケント・ギルバートさんは
「回答期限は7月23日なので、本号が発表される頃には、
朝日新聞から何かしらの返事が届いているはずです。
淡い期待を抱きつつ、待つことにしましょう。」


うん。月刊雑誌と産経新聞7月26日が、つながり。
これで、産経購読の私には経緯が判然としました。

ということで、「阿比留瑠比の極言御免」から
以下に引用。

はじまりは
「ああ、朝日新聞はやはり全く反省していなかったのだなと、
改めて分かった。」

ケント氏側の経緯を、産経紙上で阿比留氏が説明したあと、
阿比留氏はこう指摘しております。

「ところが朝日は、すでに根拠がなかったことが判明している
5年の『河野談話』の記述を引いて反論し、
『forced to provide sex』の表現は
『意に反して性行為をさせられた』という意味だと強弁して
申し入れを拒否したのである。

ギルバート氏は24日発売の夕刊フジで『朝日新聞の正体が
確認できたという点では意義があった』と語っているが、
筆者も朝日の不誠実さと自己矛盾について付け加えたい。」

こうして、後半は阿比留瑠比氏による援護射撃となります。
最後はカットしますが、途中まで引用してみます。

「筆者(阿比留)も
朝日の不誠実さと自己矛盾について付け加えたい。

英語版記事が『(慰安婦の)多くは朝鮮半島出身だった』
といまだに書いている部分である。

朝日は4年1月11日付朝刊1面に『多くは朝鮮人女性』
という解説記事を載せた。そこには、今回の英語版と同様に
『約八割が朝鮮人女性だったといわれる』と記されていた。
だが、朝日は慰安婦報道をめぐる自社の第三者委員会の
指摘を受け、『記事を訂正、おわびし説明します』として
次のように発表している。
『朝鮮人女性の比率も、現在の知見に照らすと不正確でした』
『(今後、データベース上の記事には)
【慰安婦の数や朝鮮人女性の比率もはっきりわかっていません】
といったおことわりをつけます』

朝日の英語版記事は、自社が過去に訂正、おわびした内容を、
相変わらず海外に向けて発信していることになる。
それでいて外部からの修正申し入れは、
けんもほろろに拒否するのだから救いようがない。

ちなみに、慰安婦問題に詳しい現代史家の秦郁彦氏によると、
慰安婦は日本人が4割で朝鮮人は2割程度だった。
どの民族の比率が高いかどうしても書きたいのならば、
『多くは日本人だった』と率直に記したらいいではないか。」

このあとに、阿比留瑠比氏の結論が書かれているのですが、
正確を期したい方は、今日の産経新聞朝刊をご覧ください。



追記

 今日はたまたま、
 地元のガソリンスタンドで給油してもらっている際に、
 ガソリンスタンドで取っている朝日新聞をひらく。
 今日発売の月刊誌Hanada・Willの
 どちらも、朝日新聞には雑誌広告は掲載されていない。
 朝日新聞購読者には、 両方の月刊雑誌は存在しないらしい。
 朝日の購読者で、しかも地方におられる方は、
 わたしみたいに、ブログで両方の雑誌を紹介していても、
 何を言っているのやら、さっぱり分からないかもしれない。
 朝日新聞は「言論の自由」の中の「印象操作の自由」を
 人知れず宣言しておりました。

 いまだ、朝日新聞の記事からのコピーペーストしたような
 ブログを読まされることがあります。
 引用するなら、どこからの引用かを明記してくれると
 私などたいへん参考になります。
 朝日新聞でもいいのです。何新聞に書いてあったと
 それだけでも記載してくれると、読み応えがあるのですが、
 どこからの引用かも定かではないブログを読まされる苦痛。
 あたかも、ご自身で調査して、ご自身で意見を練ったようで、それでいて、
 印象操作に従っただけだったと気づかない文を読まされることがあります。



 



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普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)。

2018-07-24 | 古典
うん。坐禅をしたことはないけれど、
こう暑いと、寝苦しくいっそ坐禅でも。ということを、
何となくも思い浮かべている自分がいます。

さてっと、細川寛山氏に
「『普勧坐禅儀』について」という2頁の文が、
「曹洞宗檀信徒勤行経典」の最後にありました。
はい。私の家の宗派は、日蓮宗で、曹洞宗とは
あまり接点がないのですが、気になって、
古本で「曹洞宗檀信徒勤行経典」を購入。
家とは別に、私は法事とかもやらないかもしれない、
そんな横着者です。

という横着な私が、坐禅に興味を示す。


もどって、「普勧坐禅儀」についてでした。

「本書は道元禅師が中国に渡り天童如浄禅師について
坐禅修行、ついに仏祖正伝の坐禅を究めて帰国した
安貞元年(1227)、28歳のとき撰述したものである。」

と細川寛山氏は、書きはじめておられます。

「本書の内容は、仏道とか仏性というものは
もともと円満無欠で天地に充満しており、
いきいきとして自在に働いている。
修行するしない、悟りを得る得ない、
そのいかんによって生じたり滅したりはしない。
ところがこの本来清浄なものが、
人間の善悪、好嫌の思いによってけがされてしまうのだ。
悟ったと思いこむのもこのけがれの一種で、
本来の自由自在の道にかえれないのである。

坐禅に手段や思いを持ち込んではならない。
・・・・
この仏祖により正しく伝えられた坐禅が身につけば、
竜が水を得、虎が山に放たれたように、
自由自在の生命を得るだろうと、
坐禅の本旨や坐禅の心構えを懇切に説示し、
坐禅の仕方もくわしく説かれている。

756文字という短文であるが音韻美しい46文であり、
修行道場では坐禅(夜坐)のあと微音で
ゆるやかに誦し、その主旨に参ずるならわしになっている。」


はい。この最後の3行が気になります。
といっても、原文は私にチンプンカンプン。


そこで、講談社学術文庫の
大谷哲夫全訳注「道元『小参・法語・普勧坐禅儀』」の
現代語訳をひらいてみる。その現代語訳の最後を引用。

「人の気根は千差万別ではあるが、
ただひたすらに坐禅弁道をすべきである。」

「仮に一歩を間違えば、たちまちに大事な瞬間を
見失ってしまうことはいくらでもある。
幸いにして、我々はすでに受けがたい人間としての
命を受けてこの世に存在しているのであるから、
虚しく時間を過ごしてはならない。・・・
人間の身体は露のようにはかなく、
人間の一生は一瞬の稲妻のようなものであり、
たちまちのうちに空しくなり、ほんのわずかな
時間でも失われるのであるから。
願わくば、
仏法を真剣に学びたいという高い志をもつ人々よ、
彫刻された偽物の龍に慣れ親しんで、
本物の龍が目の前に現れたときに、疑いの目を向けるように、
仏教は言葉で理解するものと思い込んで、
仏道の究極を具体的にあらわしている坐禅を疑うことが
あってはならない。
坐禅そのものが仏道そのものであることを自覚し、
精進し、仏法を学び尽くしたところにとらわれない
真実の人を尊び、過去の祖師方が証明してきた
さとりを我がものとし、正伝の坐禅を正しく
受け継ぐ人にならなければならない。

久しく、言葉では表現しえない坐禅を行ずれば、
自分自身が非言語の世界そのものとなり、
仏法の宝の蔵がひとりでに開き、
その宝物を使うこと思いのままとなるであろう。」



はい。これからですが、今年の夏は「普勧坐禅儀」の原文を
「微音でゆるやかに誦し」てみることにします。
できたら、自己流の坐禅でもって(笑)。
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名古屋の、相撲夏場所おわる。

2018-07-23 | テレビ
名古屋場所の相撲が終わっちゃった。
時々思い出したように、録画して、
夕飯を食べながら、再生して見ておりました。

嘉風が負けっぱなしで、それでも2勝。
御嶽海の優勝。

録画は早送りして取り組み場面を見るのですが、
早送りせず、仕切りをみているのも楽しい(笑)。
うん。相撲の解説を聞いてたりします。
いただけないのが、インタビュー。
上位に勝った力士へのインタビューが
ベテランのインタビュアーと、
杓子定規のインタビュアーとで、雲泥の差。
全身に血流をみなぎらせている力士に、
頭だけ・口だけに血が流れているような質問をあびせ、
力士が口ごもる場面があったりする。
その点、最近の若い力士は、口も廻ったりします。
上の力士に勝って、うれしそうに答えていた力士が
次の日は、あっけなく負けてしまったりします。


まあ、それはそれとして、古本。
佐藤義亮著「生きる力」(広瀬書院・平成26年)。
これ、新潮社初代社長が雑誌に掲載した処世訓話本。
昭和11年発行本の復刊を、古本で買ってありました。
そこに、相撲の話が登場しております。
その最初を引用。

「  ある角力(すもう)とりの負けた話

事に当る前に神経を使ってイラついたり、
どうなるだろうかと、くよくよするのは、
何にもならないばかりでなく、かえって
事を破るところの因(もと)となります。

この前の夏場所に、ある角力とりから、
こんな話を聞きました。

『私は土俵へ立つとき、いつも、ただ
全力を尽くして相手と立ち合えばよい。
勝ち敗けは、考えたところがどうにもなるものでない、
ということが分ってから、それに囚われないようにしています。
そのためかどうか分りませんが、たいてい、
好成績を収めて来ましたところ、先日、
思い切ってひどい失敗をやりました。

それは土俵に立つと、私の名を呼ぶ大きな声が脚下に聞えるので、
ふとその方を見ますと、何年か会わなかった郷里の村長さんが、
村の衆を五六人連れて土俵際に陣どっているではありませんか。
私のような者でも、村から出たのでわざわざ見に来てくれたのだろうし、
殊に土俵際といういい場所に座れたのも、声援するに都合がよいから
の奮発であろうなどと仕切りする間に考えますと、これは、
何でも勝たねばならぬ、負けてなるものかと決心しました。
その時、顔がぼうとして、赤くなったことが分ったくらいでした。
いよいよ呼吸が合って立ちあがりましたが、
恐らく必死の面相をしていただろうと思います。
実に猛烈な勢いでぶつかって行ったのです。
然るにどうでしょう、一瞬、わずかに一瞬で、
土俵の外に投げ出されました。口惜しいやら、面目ないやらで、
部屋に帰ってから、ボロボロ涙をこぼしてしまいました。』

この話を聞いて、なるほど負ける筈だ、
どんなにしても勝てるものでないと思いました。
これは、畢竟相手に負けたのではなく、
自分の昂奮に負けたのです。ただ全力を
尽くして立ち合いさえすればよいという平生の心構えを
村長の一声に忘れてしまって・・・」
(p101~103)


この夏場所。名古屋場所は、団扇や扇子の
パタパタが場内全体に舞っておりました。
御嶽海の応援も、大きな名入り手拭をかざして、
日々入れ替わりでしょうが大挙しての声援が聞こえました。
横綱不在の名古屋場所となりましたが、
この夏の見どころは随所にありました。


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「あれって少し偏っていたよね」。

2018-07-22 | 産経新聞
今日の産経新聞7月22日。
一面は「EU 米IT流に不信」という見出し。
「グールグに巨額制裁金」と続きます。


それはそうと、今日の産経新聞「新聞に喝!」は
正高信男氏で題は「ブロック塀倒壊と『高槻方式』」。

「・・・学生だった昭和50年ごろの数年間。
高槻市に近い吹田市の進学塾で、中学3年生を相手に
高校受験指導のアルバイトをした。
それなりに名の通った塾で大阪府北部の各地から
成績優秀な生徒も集まっていた。そこで
入学願書を出す時期になるときまって、
高槻市から来ている生徒の表情がさえないのだ。
聞くと、高槻市外の進学校を志願したくても
先生が認めてくれないのだという。
その時に『高槻方式』という言葉があることを知った。

高槻方式とは、市内の中学生には市内の公立高校に
進学することを強く推奨するという公立中学で
行われていた進路指導である。・・・」

このあとに『高槻方式』を掘り下げていますが、
それを飛ばして

「今回のブロック塀の倒壊に関し、
市教委は防災の専門家による危険性の指摘に対し
動きが鈍かったと報じられている。
進路指導の高槻方式に関しても、
外部からの批判に対して彼らは聞く耳を持たなかったようだ。
同じような体質が惨事の背景になった可能性もないとはいえない。
とすれば問題の根はかなり深いことになる。・・・」

正高氏の文の最後はというと

「時代のなかで埋もれそうになっている事実を
掘り起こすことも、メディアの役割であろう。
高槻方式とはいったい何だったのか。
もやもやを抱えたままでいるのは私だけではないと思う。
ローカルな事象とはいえ普遍的な意味もあるに違いない。
・・・」


はい。ここで取り出す「WILL」8月号。
そこに掲載されていたつるの剛士さんの
文を最後に引用。

「僕は、小学校時代を高槻市で過ごしました。
その小学校で受けた教育は、かなり偏っていたんです。
まず、国歌を歌ったことがありません。
同じ地域の小学校では、音楽の教科書の最後のページにある
君が代の歌詞と譜面の上にプリントが貼られたいたことも
あったそうです。
入学式や卒業式で、国旗が掲揚されることもない。
さらに、運動会の点数もなくなり、徒競走も
みんなで揃ってゴール。

朝鮮学校の子どもたちとも頻繁に交流がありました。
チマチョゴリを着て朝鮮の歌や遊びを教えてもらったり、
在日のクラスメートが、両親が受けてきた差別の話をする
機会もあった。在日の話を聞くのは良いことだと思うのですが、
在日の子どもと半強制的に遊ばされて、その報告書を
提出させる『班活動』と呼ばれるものがあったんです。
・・・・
高槻方式なんていう仕組みもありました。
中学校に上がる時、私立に行ったら格差が生まれる
ということで、成績が良い子も私立の中学校に
行けなかったんです。それでも私立に行きたいという
生徒のところには、先生が来て『そんなに私立に行きたいなら、
クラスの前で『友達を捨てる』と言いなさい!』
と言われたという話も聞きました。
・・・小学校の自分にはそれが当たり前だったんです。
何の疑問も抱かなかった。
ところが、大人になって同級生と飲みながら
『あれって少し偏っていたよね』という話になったんです。」
(p166~167)



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不幸にする新聞。

2018-07-21 | 朝日新聞
月刊雑誌「新潮45」8月号が出ておりました。
特集は「日本を不幸にする『朝日新聞』」。

う~ん。朝日新聞の雑誌広告には
この特集の題名は黒塗りなのかなあ。
以前は、その確認のために、その日の
朝日新聞を捜してひらいておりました。
今では、そんな確認しなくなりました。

特集の最初は、上條昌史(ノンフィクションライター)
の「放射能不安を煽って生れた福島『甲状腺がん災害』」。

11頁です。これだけを読めば十分。
立ち読みでも、読破できますよ(笑)。

そこから、すこし引用。

「いま福島で議論され、危惧されているのは
『過剰診断』による子どもの健康被害である。
それは甲状腺がんの特殊性に起因する。」

「朝日新聞は、こうした動きを福島版では伝えている。
だが全国版では相変わらず・・危機感を掻き立てている。
さらに読者からの『声』欄では、検査の縮小を危惧する
投書を積極的に取り上げている。・・・
『声』は記事や社説ではないが、掲載にあたっては
内容の取捨選択が行われるわけで、朝日新聞の『主張』で
あることには変わりない。ちなみにこうした
【原発事故=甲状腺がん】を訴える投書の掲載数は、
他紙に比べて圧倒的に同紙が多い。・・・」


過剰診断については、この文から一部だけ引用。

「それを裏付けるデータは韓国にもある。
韓国では2000年頃に超音波によるスクリーニング検査が
導入され、従来の15倍もの甲状腺がんが見つかり、
手術数も急増した。ところが、早期診断・早期治療を
したにもかかわらず、いまに至るまで甲状腺がんの
死亡率は変わらない。つまりは過剰診断だったと言える。

高野(徹)氏はこう指摘する。

『がんの問題を議論すると、必ず
【早期診断・早期治療のどこが悪いのか】という話が出ます。
しかし、若年型甲状腺がんは早期診断・早期治療をしては
いけないことが人類史上初めて証明されたがんなのです』

本来、手術の必要のない若年者の甲状腺がんを見つけて
手術をしてしまった場合、どのような弊害が起きるのか。
まず、一定の割合で手術の合併症で声がかすれたり、
血中のカルシウムや甲状腺ホルモンが低下する。
また、甲状腺を摘出した場合は、甲状腺ホルモン剤の
服用が必要になる。再発も起こりうるので長期にわたる
通院を余儀なくされる。・・・・
とくに甲状腺がんは、超音波でしか見つからないような
小さながんでも、頸部リンパ節へ転移するケースが多い。
だが、たとえ転移していても、ほとんどが途中で成長を止め、
一生悪さをせずに終わるという。高野氏は言う。

『私の診ている子どもの患者でも、来院時にすでに
遠隔転移や再発をしている例がありますが、
放射線治療などをしつつ経過を見ていると、
しばしば頸部リンパ節への転移などが治療もしないのに
自然に消失します。25年以上も診療していますが、
未成年で受診された患者で死亡された方は誰もいません』

高野氏によれば、14年頃から早期診断・早期治療の弊害が
広く認識されるようになり、超音波検査はむしろ危険で推奨
できないということが、甲状腺の専門家の間では国際的な
コンセンサスとなっているという。たとえば17年には、
アメリカ予防医療サービス専門作業部会が、世界中の論文を
調査した結果、超音波検査を受けることにより甲状腺がんの
死亡率は低下しない、その後の健康状態が改善することはない、
という結論を出している。」

以下に、例証が続くのですが、
気になる方は、雑誌をご覧ください。くれぐれも、
朝日新聞の『声』欄のレベルで、満足しないよう。


さて、この文章の最後はというと、

「朝日新聞の報道や、検討委員会の異様な記者会見には、
課題を解決しようとする姿勢は見られない。・・・」


うん。それから古谷経衡(文筆家)の
朝日新聞編集委員・高橋純子を取り上げた文も忘れ難い。
この女性編集委員は、きっと使い捨てになるのだろうなあ。
手短に、この箇所を引用。

「要するにこの高橋は、朝日新聞論説委員でありながら
長文を書く基礎的な訓練を受けていない。
長い文章を書く文章力が存在しないのだ。」(p44)


まあ、私のこのブログも引用ばかりで
長文を書けないわけなので、人のことは言えないので
恥ずかしいのですが、やはり気になります。


「問題なのはその文章技量そのものである。
高橋には、それが全くゼロなのだ。・・・
高橋の存在は、他の朝日新聞記者に対して失礼である。」


こちらは、4頁ほどで、高橋女史の例文断片も載っていて
立ち読みでもスラスラと内容が飲み込めます(笑)。



特集「日本を不幸にする『朝日新聞』」
朝日新聞の購読者の皆さんにお聞きします。
朝日新聞の広告欄に、この特集の見出しを
見かけたことがありますか?
それとも、「新潮45」8月号の雑誌広告自体が
朝日新聞には載りませんでしたか?






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個人消息。訃報記事と選挙権。

2018-07-20 | 道しるべ
昨日の産経新聞一面で浅利慶太氏の訃報記事が載っておりました。
今日の産経新聞一面の産経抄は、浅利慶太氏をとりあげています。
ちなみに、今日の産経社会面下には、「常田富士男さん死去」と、
常田(ときた)さんの死亡記事「81歳『日本昔ばなし』語り手」。
とあります。その最後には
〈「まんが日本昔ばなし」でともに語り手を務めた市原悦子さんの話〉
がありました。そこを引用。
「真面目で、弟のような、夫のような、おじいさんのような。
ちょっと見は近寄りがたいけど、かわいい人でした」。

思い浮かんだのは、外山滋比古著「新聞大学」(扶桑社)。
その「15 個人消息」のなかの「訃報記事」を引用。

「このごろ、個人情報保護ということがやかましく
言われるようになったが、個人消息のようなニュースは、
いっそうおもしろくなっているとも言える。

マスコミが個人消息に冷淡であるのは、
そのおもしろさを認めないからではない。
ほしくてもニュースとして取材できないからである。
個人消息の取材能力をもつのは、特殊集団であって、
マスコミではない。
個人消息でもっとも大きいのは、死亡記事である。
ラジオ、テレビは、昔から、よほどでないと訃報は出さない。

新聞も、負けずに、個人消息をボイコットするようになった。
時々、思い出したように社会面の最下段に黒い棒線つきで訃報が載る。
取材したものではなく通知されたものであるらしく、
バランスに欠けている。然るべき人の訃報を出さなかった新聞が
さほどでない人物の死を伝える。でたらめだと思う読者が
増えても仕方がないだろう。

タレントが亡くなると、大きく記事になる。
資料もあり、情報を得る人脈もわかっているから、
締切りまでにかなりの大きなスペースを埋める。

そういう記事の尻のほうに、黒線づきで、
元国務大臣だった人の訃報が、小さく、そっけなく
報じられている。そういう紙面に慣れていると、
価値観が揺らぐかもしれない。
有名であるのはたいへんなことであるという
センセイショナリズムが広がる。

訃報は重い報道であるが、取材が困難である。
速報はあきらめなくてはならないのかもしれない。

現に、夕刊に追悼録を載せている新聞もあるが、
あまり力を入れていないことが一般読者にも伝わる。
生前つき合いのあった社内の記者が書いている訃報が多いが、
ベストの執筆者を探す努力がほしい。
やはり、時間の制約をまぬがれないのだろう。

『文藝春秋』の巻末、『蓋棺録』は
現在のところ最上の訃報ページである。・・・」


はい。引用がつい長くなりましたが、
「15 個人消息」の最後も引用させてください。

「・・・新聞大学で学ぶものとしては、
とりあえず訃報に注目、敬意を払うことを学ぶようにする。
そして人間の価値を定めるのは、なにかということを
考えるようにする。人物判断力である。

人間の価値を見定める目のない人が、
選挙権を持つと、どうなるか、と考える想像力を養うためにも、
個人の生き方についての報道はこれまで以上に重要である。」

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群小詩人の「夏」。

2018-07-19 | 詩歌
一度読んだだけでは、駄目ですね。
というのを、思うことしきり(笑)。

はい。読んでもきれいに忘れる自分。

それでしだいに、本には読み頃がある。
と、思ってみたくなる誘惑にかられる。
読後、改めて読み頃の熟成を待つ本棚。


それはそうと、暑いので詩を引用。


    手紙    田村隆一

 Y君から手紙がきた。
 ケネディの切手が貼ってある。
 アメリカ中西部の大学町。
 ・・・・・
 ・・・・・
 田村さんが住んでいたアパートのあたりまで散歩しました、
 とある。

 ぼくが住んでいたアパート。
 それはもうぼくの瞼のなかにしかない。
 いくら雪のふる夜道を歩いていっても、
 Y君にはたどりつけるはずがないのだ。


ちなみに、これは田村隆一詩集「新年の手紙」(青土社)
にはいっております。
この詩集のはじまりの詩も引用しちゃえ(笑)。
こちらは全文。



    村の暗黒   田村隆一

 麦の秋がおわったと思ったら
 人間の世界は夏になった
 まっすぐに見えていた道も
 ものすごい緑の繁殖で
 見えなくなってしまった。

 見えないものを見るのが
 詩人の仕事なら
 人間の夏は
 群小詩人にとって地獄の季節だ
 麦わら帽子をかぶって

 痩せた男があぜ道を走って行く
 美しい詩のなかには
 毒蛇がしかけてあるというから
 きっとあの男も蛇にかまれないように
 村の小宇宙を飛んでいるのだ
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怒った惣佐衛門は。

2018-07-17 | 古典
百目鬼恭三郎著「奇談の時代」の
はじめの方に、こんな箇所がありました。


「奇行のなかで殊に私が好きなのは、『仮名世説』に載る
上州大原の鋳物師(いもじ)惣佐衛門の話である。この男は
若いときから本が好きで、記憶力のいいのを自慢していた。
ところが、ある日、にわか雨で人が菰をかぶって走ってゆく
のを見て、惣佐衛門の妻が、『「枕草子」に、みのむしの
様なるわらわ、と書いているのもあんな恰好だったのでしょうか』
といった。惣佐衛門はこれを聞いて『それはちがう。「源氏物語」
の須磨の巻の「ひぢがさ雨とか降りて」という章段に出て来るはずだ。
「枕草子」じゃない』といい出して、口論となり、本を調べてみたら、
『枕草子』のほうだった。怒った惣佐衛門は、本を妻に投げつけると、
そのまま家を出て、鳥山村の聟のところへいったきり帰らなかった。

妻のほうはたびたび鳥山村へ足を運んで、いろいろ詫びたりしたが、
一言も口をきかずそっぽを向くばかりである。
日暮れになると裏の畑に出て、いくつも穴を掘っては、
夜明けにこれを埋めるということを毎日繰り返していた。
なんのつもりかと人に問われると、
『夜中に起きて小便をする穴だ』と答えたという。
24年間ここに居ついたまま、寛政元年(1789年)12月はじめに
85歳で死んだとある。

田舎の鋳物師の夫婦が古典に詳しいというのは、
この時代でも特にめずらしいわけではない。
鋳物師は技術者で、一種の知識人なのである。
同時代の伊勢の農夫で、『万葉集』を全部暗記していた
という話(「続近世奇人伝」)や、江戸の護持院原で
茶の屋台店を出していた孫市という男は、
雨で商売が出来ない日は、『文選』をさかなに酒をのむ
のを楽しみにしていたという話(「仮名世説」)もあるから、
庶民階層の文化水準は案外高かったとみてよろしかろう。

この話で私たちを驚かすのは、ささいな論争に負けただけで、
鋳物師が古典といっしょに自分の人生も捨ててしまった、
その自律のすさまじさである。

平安中期の歌人藤原長能(ながとう)が、
藤原公任(きんとう)に歌の欠点を指摘されてから、
何も食べられなくなって死んだという『袋草紙』の話にくらべると、
この鋳物師の奇行はいかにも堂々としており、
哲学的ですらあるように思われる。」
(p23~24)

夏の夜に、寝ながら、こんな箇所を読んでいると、
はて、どんな人だったのだろうと思い描きながら、
先へと読みすすめずに、眠りにつくのでした。

夏と、奇談との組み合わせというのは、
🍙と、梅干みたいな関係なのでしょうか。




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四畳半で、ナギナタふりまわし。

2018-07-16 | 道しるべ
池島信平対談集「文学よもやま話」下。
ここに登場する、梶山季之氏が気になったので、
古本を注文。それが土曜日に届いていた。

「月刊噂」梶山季之責任編集。昭和48年4月号。
特集は「最後の雑誌編集者池島信平」。

そこにある石原昭氏の文には

「いろんな席で信平さんにひやかされたが、そのとき、
信平さんは実にあたたかく教えてくれた。
『とにかく先ず人に会うこと。活字になったものを
読んだ感じや、人の噂だけをもとに、原稿を頼まないこと。
雑誌の生きが悪くなったり、間違った筆者を立てることになる
からなァ。なるたけいろんな人に会ってナマの話を聞き、
自分でテーマを引き出せよ』・・・
先ず人に会い、そのとき受けた自分の感じを大切にしろ。
信平さんのこの教え・・」(p12)


青地晨氏は対談でこう語っております。


青地】 池島さんがぼくにいったことで、
いまでもハッキリおぼえていることがある。
『おまえは四畳半でナギナタをふりまわして
いるんじゃないか。庭にでてやれ、庭に』と。
要するに、おまえはイデオロギーの虜になって
しまっている、という。
『それじゃ、なにをすればいいんだ』ときいたら、
・・・坂口安吾という作家はおもしろいから、
あれにルポを書かせろ、と。これは、あとで
『文春』がやりました。・・・坂口は、
彼がやるまえにタネをくれたのですから、
編集者として、よく教えてくれたと思いますよ。(p19)

青地】 ・・彼のオハコの歌は
『新兵さん、新兵さん、旗立てて・・・』ですよ。
例の兵隊の歌でしょう。このあいだ、
大岡昇平の『戦争と文学』という対談集を読んだら、
池島さんのいっていることがよくわかった。

・・・・
青地】おれは、歴史については、
とにかく自信があるんだとは、よくいっていたね。
ほんとうに歴史が好きで、歴史のなかから世代人情とか、
あるいは国家の興亡を、巨視的に見る面はもっていた。

松浦】だから、ぼくは
『天皇陛下大いに笑う』は、当時感心しなかったし、
たしか昭和25年だと思ったけれど、高木惣吉さんの書いた
『連合艦隊始末記』も、われわれにいわせると『後向き』だった。
なんであんなのだしたのか、と思った。
それから真珠湾攻撃の飛行隊長だった淵田美津雄氏の記録、
また牧野伸顕の話なども、当時は、読んで反感をもったものです。
ああいうのは、典型的な池島流の企画で、
ものすごく読みやすかったのは事実ですね。
でも、反感をもっていたんですが、いまになって
戦争中のことを調べていると、非常にいい記録だとわかりますね。

青地】 事実を記録することを、池島さんは
一等資料とか二等資料とかいっていたが、
要するに歴史家として、体験者の直接の談話は一等資料だという。
そうしたものを、できるだけたくさん残すのだ、
その意識はありました。
ただ、話そのままでは、材料がナマすぎて、
彼にはおもしろくなかった。そこで、
いいリライターを使ったり、料理の仕方を工夫して、
十分に読めるものをつくった。
これが≪文春ジャーナリズム≫の根本なんです。
ヨソが真似しても、この点ができない。
『文春』のは、インテリが読んでも、史実的には正しいし、
同時に文章も品格があるものをだした。
リライターの活用ですね。そのなかから
梶山季之が出たし、村島健一もいる。
しかし、池島さんは、雑誌に書く人が有名であるよりも、
無名でも、おもしろい材料のほうを先にした。

(p21~22)


はい。一部だけ引用するのは、まどろっこしい(笑)。
この雑誌を、買えてよかった。
そうそう。
池島信平対談集「文学よもやま話」下には、
大岡昇平氏との対談も掲載されております。
ついでだから最後に、その対談からも引用。

池島】 えーと、きょうは、いやだろうけれどもね、
芸術院賞辞退の話を、ほんのちょっとだけうかがいたいな。
あとは戦争の話でも・・・。
 ・・・・・
大岡】 芸術院賞は断れても、信平さんの対談は断れない(笑)。
それにしても、古いつきあいのくせに、対談なんて
しゃれたこと、はじめてだね。

大岡】何かいうと反響があってね。
それがすぐあげ足とりになってくるんだよ。・・・
そしたら、まだどっかの匿名欄で
『≪普通の人≫とはなんだ。特権意識がどうにも鼻もちならない』
とくるだろう。全部、言葉尻なんだよ(笑)

池島】みんな、そうだよ。いまのマスコミってのは、
それから成り立ってるんだ。『言葉尻マスコミ』かね(笑)。

  ・・・
池島】あなたの『レイテ戦記』、ぼくは雑誌のときから
読んでいたんだけれど、あれは歴史家の書き方ですね。
個人的なことや何かを、極力おさえたでしょう。
つまりは、叙事詩だね。

大岡】そういうことになるのかな。こっちは、
なるべく事実をそのままに書いたというだけでね。
ただ、あんたは歴史家だからよく知っているけれども、
歴史というのは資料が、そもそも怪しいものだろう。



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今もって、テレビ平謝りの38度線。

2018-07-15 | テレビ
はい。
「髙山正之が斬る朝日新聞の魂胆を見破る法」(テーミス)
を購入しました(笑)。

さながら、
みんなが読めなかった「朝日新聞の知られざる世界」。
目次は、「ワンダーランド朝日新聞」の項目が並びます。

うん。私など「まえがき」だけで満腹感。

ひとつの引用。

「テレ朝に入ったばかりに暗くなる男性アナの行状」
と題する項目からの引用。

「宮田輝が引退した’74年、NHKで始まった
情報番組『ニュースセンター9時』に・・
登場したのが磯村尚徳だった。・・・
ニュースセンター9時で朝鮮動乱に触れ
『北朝鮮が38度線を越えて侵攻した』とやった。

当たり前のことだが、当時は
社会党と日教組と朝日新聞と朝鮮総連が日本を握っていた。
NHKに抗議が殺到した。左翼仲間に動員をかけ、
電話攻撃をかけたから、局内の電話は鳴りっぱなし。
仕事もできなくなった。

まともな報道機関だったら逆に
『ふざけた抗議をするな。馬鹿野郎』で終わるが、
NHKは報道機関を自称した準公務員の集団だ。
取材の真似事はしてもジャーナリズムの肝っ玉はない。
あくどい抗議にへなへなと崩れて、
磯村は番組の中で『北が攻め込んだなどと勝手に
歴史を書き換えるような大それた意図はございません』
と平謝りした。

以後、現在に至るまでNHKでは朝鮮動乱はどっちが
攻めてきたかは一切タブー。
歴史を左側に書き換えたままだ。」


「これ以降、男アナはなるべく
政治的な発言を回避するようになった。
’88に日テレに入った福沢朗、
同じく’94年に入った羽鳥慎一、
’97年、TBSに入った安住紳一郎
などは宮田輝型、つまりバラエティ・アナで
安定した道を歩んでいる。
これに対して、テレ朝の男アナは可哀そうだった。」
(p132~133)


はい。項目別の辞書をひくようにして
喉元を通り過ぎて忘れてしまった朝日新聞
の魂胆が分かりやすく腑分されております。

髙山正之氏の全体重をかけての唐竹割。
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