和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

講座参考本⑰

2024-08-10 | 地震
吉村昭著「関東大震災」(文春文庫)。
ここに、余震に関する記述がある。

「9月1日午前11時58分に相模湾を震源地として起った大地震は、
 おびただしい余震をひき起した。

 3分後の午後零時1分49秒には、
 揺り返しと称される大地震が起り、
 午後1時までに強烈な地震が7回にわたって災害地を襲い、
 その後も夕方までに3度の強震があった。

 これらの強震以外に軽度の地震が絶え間なくつづき、
 同日午後12時までの12時間に、総計128回の余震が起った。

 これらは、すべて相模湾を震源地とするもので、
 家屋の倒壊と大火災におびえる人々を戦慄させた。

 さらに翌2日午前11時46分55秒には、
 前日の大地震につぐ激烈な地震が起り、
 人々は激しく揺れる大地に恐怖の叫び声をあげた。

 この大地震は、房総半島勝浦沖を震源地とするもので、
 相模湾を震源地とする前日の大地震によって誘発されたものであった。
 そして、この勝浦大地震も多くの余震をひき起した。

 相模湾と勝浦沖をそれぞれ震源地とする余震が、
 互いに入り乱れて災害地を襲った。
 そして、その日午後6時27分4秒と午後10時9分29秒に起った
 強烈な地震をふくめて、計96回の余震が続発した。

 しかし、その余震も9月3日には59回、
 4日43回、5日34回、6日27回、7日23回、8日21回と
 次第に減少傾向をたどっていった。・・・ 」(p280~281)

ちなみに、
武村雅之著「関東大震災がつくった東京」(中公選書・2023年)には、
図「関東地震の本震の断層面とM7以上の余震の分布」(p22)があり、
表「余震の発生時刻と発生場所」(p23)と二つして分かりやすいのでした。

最後に一覧表の文章項目を引用しておきます。

本震 大正12年9月1日11時58分 相模湾   M8.1
余震 大正12年9月1日12時01分 東京湾北部 M7.2
       9月1日12時03分 山梨県東部 M7.3   
       9月1日12時48分 東京湾   M7.1
      
       9月2日11時46分 千葉県勝浦沖M7.6
       9月2日18時27分 千葉県東方沖M7.1

   大正13年1月15日05時50分 丹沢山地 M7.3


武村氏の本については、もうすこし引用しておきます。

「先に紹介した岐阜測候所の記録は、本震だけでなく多くの
 余震についても完全な記録を残している。
 これらの記録の分析から震源位置を評価し、
 本震同様にマグニチュードMを決めると、
 実に6つの余震がM7以上の規模であることがわかった。」(p22)

うん。せっかくなので、最後にここも引用しておきます。
関東地震の震源断層面の位置を図で示して、解説している箇所です。

「・・神奈川県のほぼ全域と千葉県南部は断層の直上にあたり、
 震度7の地域も広い。・・・・・

 これに対して、東京は東京湾の奥に位置し、震源断層からは外れている。
 このため、当時の東京市15区では最大の本所区でも住家全潰率は22%で
 震度6強と評価され、次いで深川区、神田区、浅草区では震度6弱、
 中心部の日本橋区や京橋区では震度5程度である。

 海外では関東地震のことを東京地震と呼ぶこともあるが、
 揺れの中心は決して東京ではなかったことがわかる。  」(p21)




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