外山滋比古著「日本の文章」(講談社学術文庫)を読みました。
この本に、清水幾太郎への言及があって、参考になりました。
まずはおさらい。
「漱石や寅彦は、外国語のよくできる学者であったが、何のことかわからないような翻訳的文体とは完全に無縁であった。近代日本の知的散文のひとつの伝統は子規、漱石、寅彦あたりから始まると考えてよいであろう。」(p49)
「日本人は知的散文が心を躍らせるほどおもしろいものであることさえ知らずに一生をおわることが可能である。いかにも大きな不幸というほかはない。そこへいくと、漱石や寅彦の文章が、日本語としてもすぐれているのは、とくに意味があるように思われる。」(p52)
さて、次に清水幾太郎氏が登場するのでした。
「・・・清水幾太郎氏の『論文の書き方』が出た。それが昭和34年である。この本は戦後、日本人に日本語への関心を目ざめさせた画期的な本で、目からウロコの落ちる思い、という表現があるが、この本を読んでいて、そういう思いをすることが何度もあった。」(p69)
「文章に対する関心の源泉に清水幾太郎氏があるのはどうやら確かのようである。学生時代からずっと師事している福原麟太郎先生の麗筆は広く知られている。さきの『英語青年』にしても、先生の主幹の雑誌である。私は、代理として現場主任の役を果たしていたにすぎない。先生の随筆は残らず読んだが、まるで別世界のようで、真似てみようという気も起らない。人間わざとは思われなかった。清水氏の『論文の書き方』を読んで、はじめて、努力をすれば、文章は上手になるかもしれないという気持ちになった。恩のある本だ。」(p72)
「とりわけ、社会科学にはわからぬ文章を書く学者が多い。その中で際立った例外は清水幾太郎氏である。翻訳でも氏が手がけたものはいつも明快で、読んでいてこちらの頭がよくなったような錯覚をもつ。翻訳でない文章では、さらに達意、流麗、みごとなばかり。
その秘密の一部が『論文の書き方』を読んでわかったような気がした。これだけの修練があればこそ、あのような文章が書けるのであろうと納得できる。知的散文はわが国にはまだ確立していないが、その基礎の一部は清水さんのこの本によってできたといってよかろう。」(p74)
「あるとき、ある出版社の知り合いの編集者が、清水先生があなたのことをおもしろいと言っていらっしゃいましたよ、と教えてくれた。これは意外である。そんなはずはない。何かの間違いだろうと思うが、いい加減なことを伝えるはずもない。それからしばらくして、はじめて清水さんにお目にかかる機会がやってきた。大きなパーティでほんの短い時間しかお話しできなかったが、さきの編集者の言葉を裏付けるようなことを言われる。文章家からはげましの言葉を受けるだけでもうれしい。しかも、長年、文章のお手本と思ってきた方からの言葉だけにいっそう身にしみる。
昭和46年に清水さんは『私の文章作法』という本を出された。この本でもやはりいろいろ教えられた。話し言葉で書かれていてたいへん親しみやすいが、じつに、有益な本である。」(p75~76)
この本に、清水幾太郎への言及があって、参考になりました。
まずはおさらい。
「漱石や寅彦は、外国語のよくできる学者であったが、何のことかわからないような翻訳的文体とは完全に無縁であった。近代日本の知的散文のひとつの伝統は子規、漱石、寅彦あたりから始まると考えてよいであろう。」(p49)
「日本人は知的散文が心を躍らせるほどおもしろいものであることさえ知らずに一生をおわることが可能である。いかにも大きな不幸というほかはない。そこへいくと、漱石や寅彦の文章が、日本語としてもすぐれているのは、とくに意味があるように思われる。」(p52)
さて、次に清水幾太郎氏が登場するのでした。
「・・・清水幾太郎氏の『論文の書き方』が出た。それが昭和34年である。この本は戦後、日本人に日本語への関心を目ざめさせた画期的な本で、目からウロコの落ちる思い、という表現があるが、この本を読んでいて、そういう思いをすることが何度もあった。」(p69)
「文章に対する関心の源泉に清水幾太郎氏があるのはどうやら確かのようである。学生時代からずっと師事している福原麟太郎先生の麗筆は広く知られている。さきの『英語青年』にしても、先生の主幹の雑誌である。私は、代理として現場主任の役を果たしていたにすぎない。先生の随筆は残らず読んだが、まるで別世界のようで、真似てみようという気も起らない。人間わざとは思われなかった。清水氏の『論文の書き方』を読んで、はじめて、努力をすれば、文章は上手になるかもしれないという気持ちになった。恩のある本だ。」(p72)
「とりわけ、社会科学にはわからぬ文章を書く学者が多い。その中で際立った例外は清水幾太郎氏である。翻訳でも氏が手がけたものはいつも明快で、読んでいてこちらの頭がよくなったような錯覚をもつ。翻訳でない文章では、さらに達意、流麗、みごとなばかり。
その秘密の一部が『論文の書き方』を読んでわかったような気がした。これだけの修練があればこそ、あのような文章が書けるのであろうと納得できる。知的散文はわが国にはまだ確立していないが、その基礎の一部は清水さんのこの本によってできたといってよかろう。」(p74)
「あるとき、ある出版社の知り合いの編集者が、清水先生があなたのことをおもしろいと言っていらっしゃいましたよ、と教えてくれた。これは意外である。そんなはずはない。何かの間違いだろうと思うが、いい加減なことを伝えるはずもない。それからしばらくして、はじめて清水さんにお目にかかる機会がやってきた。大きなパーティでほんの短い時間しかお話しできなかったが、さきの編集者の言葉を裏付けるようなことを言われる。文章家からはげましの言葉を受けるだけでもうれしい。しかも、長年、文章のお手本と思ってきた方からの言葉だけにいっそう身にしみる。
昭和46年に清水さんは『私の文章作法』という本を出された。この本でもやはりいろいろ教えられた。話し言葉で書かれていてたいへん親しみやすいが、じつに、有益な本である。」(p75~76)