(問)本部に行けない人が沢山おられます。交通費や色んな
事情で、でもこれらの人も同じ救われがあるかという事について、
お伺い致します。
(答)それはね、何度も話しているように、人間というのは
肉体だけでなく、色んな体を持っている自由自在身な訳ですから、
本部へ行く人だけが救われて、練成会で徳を積んで行くか
というと、そうじゃないんです。
行きたくてもお金が無い、何万円も出せない、五井先生
すみません、と言って下さる地方の会員の方というのは、実は
自由自在身でもうとっくの昔に誰よりも早く本部に着いて、お祈り
始めてね、印きって、想いを届かせて光を届かせてやって下さる
訳なんですよ。
そういう点で観れば、実際に肉体で足を運んでいる人も運んで
いない人も皆一緒で、同じように修行して、同じように光を受けて、
同じように悩んで苦しんで、一歩づつ昇って行く。
そういう点で、神様というのは本当に平等なんですね。ですから、
行かない人は徳が積めないとか、行かない人は何か疎外されて
いるように思うとか、そういうことは一切思うことないんですよ。
行ける人は、前にも言ったけれど、行けない人の霊体を
ひっくるめて、全部連れて行っていると思えばいいんですよ。実際に
そうなんですからね。
僕が、道場に白光と掛けたのはね、道場というのは、僕達
一人一人の霊体の修行場なんだよ。
僕等のいのちは、宇宙の大円光、白光のなかにとけこむ
光そのものなんだ。肉体は悟らなくても、僕等の霊体は
そのことを知っている。そして、素直な光(神様の愛)のなかに
溶け込みたがっている。
道場は、そういう霊体の覚醒と向上をうながす場所なんだ。
だから、白光の書を掛けて、その修行をたすけたわけなの。
座談会なんかの時は、多少とも肉体波動なんだし、
まず、神様に心を向けるということが第一なんだから、
(修行の第一歩を神様をおもうこと)それで神とかいたわけなの。
わかったかな。