裏庭の蠟梅が満開。
庭にシジュウガラにつられてコゲラがやってきて目を楽しませてくれる。近辺のウオーキングにでる。白梅もチラホラ。
スズメかと思いカメラを向けるとモズだった。かわいい目をしている。
何をみているのだろうか。しかし野鳥には癒されるね。
最近、新聞によく「歎異抄」の書籍広告がでるものだから一度読んでみようと思い、書店や図書館にでかけ、梅原猛や五木寛之の入門書や私訳とする著書、さらには小山聡子さんという宗教史の教授が書いた「浄土真宗とは何か」を入手、調達して読んでみた。
作家の吉川英治さんなどがもし無人島に1冊もってゆくとしたら歎異抄をもってゆくとか言ったとかの記憶があったがどんな本なのか。親鸞については数年前、西日本新聞の新聞小説で1年間連載され、その時の切り抜きで1冊本にしているのが書棚の端にあった。
親鸞と言えば歎異抄、歎異抄と言えば親鸞というように思っていたが、実はこの本は親鸞がなくなって30年余、弟子の唯円が晩年にこのままでは師の親鸞の真意が曲解されて変な風に浄土真宗が継承されてしまうと危惧して、親鸞言行録として世に残そうとして晩年書き残したということを初めて知った。
阿弥陀仏とは3000諸仏と言われる仏の中でも唯一、わが名をよぶすべての人々をもれなく救おうと誓いをたてられ厳しい修業のもと悟りを開いた特別の仏とされ、その誓いを信じ、他力の信心を得た時、極楽往生が約束され、あとはただひたすら南無阿弥陀仏の六字を名号として報恩の念仏を唱え続けるのみで他の自力の善を積む必要は全くないというのが親鸞を開祖とする浄土真宗の教えであり、無学な一般庶民でも人を殺す生業の武士たちも難行苦行する必要なく、浄土に往生できるとして法然ー親鸞ー唯円ー蓮如と継承され日本最大の宗教集団に拡大してきた。
親鸞の師の法然は比叡山で万巻の経典を読み修業をしてきたが現世では悟りを開くことは無理であり、ただひたすら念仏を唱えることが極楽往生できる唯一の方法であることを説いて浄土教を開いて信者が拡大した。親鸞も20年間比叡山で難行苦行したが煩悩から脱せず、山をおりて法然の門下僧となり、信任をえた。六角堂で閉じこもり聖徳太子から妻をめとることを認められ、従来仏教の戒を破り恵心尼と結婚。
が、もともと日本の仏教は加持祈祷など呪術によって現世利益をもとめるものとして平安仏教があり、比叡山の僧が実権を握っていたが朝廷と組んで念仏仏教を排斥、親鸞は流刑となり新潟へ。刑が解かれた後、法然は亡くなり、親鸞は京都に帰らず、東国常陸で浄土真宗を説き広め、60歳で京にもどり、「教行信証」を執筆、90歳でその生涯を閉じた。
去年亡くなった哲学者の梅原猛さんは歎異抄をわが心の恋人と称している。五木寛之さんも北朝鮮での敗戦から数年は人間ではなかったと。生き残るためには非道を平気でやってきたということか。「悪人正機説」が歎異抄を読む人の心にうったえるのだろう。
われわれ人間は「煩悩具足の凡夫」であり、煩悩から逃れられず欲望や執着にとらわれている悪人である。自ら懺悔して、努力して、善を自力で積んでいけるというのもおごりであり、あくまで阿弥陀仏の大慈悲の力で、信心させられ、念仏を唱えさせていただくことが、極楽往生の唯一の道であると説いた
普通の人は、悪人ですら念仏を唱えれば往生できるくらいだから努力している善人なら極楽往生ができるのは当たり前だろうと考える。これが全く逆だと親鸞は言う。いわゆる善人ぶっている人間でも念仏をとなえれば往生できるが阿弥陀仏が願った煩悩にとらわれた悪人こそが極楽にいけるのだと・・・
しかしそのように説かれても大衆はすんなり他力にはなれず現世利益も求める。親鸞でさえ死ぬ間際では、身辺をきれいにしたりきれいな衣服を着たりして阿弥陀仏の来迎を期待し、往生できるための最後のあがきをしたというわけである。
われわれの身近にある人間親鸞の姿が読む人の共感を覚えさせるのだろう。親鸞もわれわれと同じ凡夫なのだと。しかし、謙虚に謙虚に阿弥陀仏の他力を頼み続けるその信念、姿勢は偉大な人物であったということか・・・・
今時、死後の世界など考える日本人はいないと思うし、釈迦も死後のことなどわからないしつまらぬことを考えるなと言ったらしいが、仏教では地獄極楽が描かれ、平安末法から鎌倉、戦国へと続く時代の人たちは,真剣に死後の極楽往生を考えていたのかもしれないね
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