地元のなじみ深い太宰府天満宮や宝満山ふもとの竈門(かまど)神社が歴史の表舞台に登場して1350年の節目を迎えるという。竈門神社が1350年大祭を契機にきれいに大改装中、いくばくか工事が残っているようだが社務所はきれいになっている。
664年、天智天皇の時代に歴史の表舞台に登場。前年に日本は唐、新羅の白村江の戦いに敗れ、唐の侵攻に備えるため九州統治の拠点を沿岸部から内陸にうつし、もろもろの施設や制度を整備されたのが太宰府ということで律令国家最大の役所であったらしい。福岡から大宰府にくる途中に水城の城壁や大野城な大宰府を守るための建造物であった。さらに災いを防ぎ神のご加護を得ることを願って大宰府の東北の鬼門に位置する宝満山に竈門神社が創設され、奈良時代から平安初期にかけて国家的な祭祀が行われ祈りがささげられてきたと天満宮権宮司の西高辻さんが述べておられる。国土の防衛、九州全域統治、外交の窓口という大きな役割を担った。鎌倉時代以降、役所としての位置付けはうすらいだが、現在においてもこれら役割は継続しているように思われる。あらためてこのような歴史に思いをはせながら我々が何をなすべきか考えてみることも必要だろう。
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