24節気、大寒の末候、「鶏始めて乳す」頃。鶏の産卵期はかつては春から夏にかけてであったらしい。今やブロイラーで年がら年中、卵を産ませられている。明日は節分、立春へと時は移ろう。
月初めの日曜日、九州最古の古刹、武蔵寺にでかける。2月度の写経会。十二神将を前にした本殿での写経浄行会は気持ちが引き締まる。
令和2年2月2日浄書としたため1時半からご住職の法話。
書家、金澤泰子さんの祈りというタイトルの記事。42歳で子供を授かった。20年後に天才書家として世間にしられるようになる翔子さん。生まれて52日目に医師からダウン症と告知される。普通より染色体が1個多い、知的障害が伴う重い障害者だとしらされ絶望。なぜ我々親子なのか。神仏に奇跡をおこしてくれと詰め寄る。悲嘆にくれた日時が推移。なんとか普通小学校にはいれ3年間無事にすごせ、すべて最下位ながら受け入れられたが4年になり特殊学校に転校してくれと言われる。
5歳ころから筆を持たせていたが家で般若心経を何回も書きうつさせた。14歳の時に父親が急逝。娘に何かを残してやりたいと20歳の時、銀座の書廊で翔子の個展をおもいきって開催、これが大反響をよび天才書家,翔子が誕生、苦闘し続けてきた親子の境涯が一変した。この世には人知を超えた力があることを神仏は教えてくれた。「闇の中にこそ光が見いだせる」のだということを知らされた。
30を過ぎた翔子さんは今、見事に独り暮らしをしているとか。神仏を呪っていた自分が今や神仏への畏敬の念、感謝しかないという母親の実感。ダウン症の子を授けられたからこそ、今至高の喜びを味わうことができた。身障者をもつ親御さんたちの為に神仏への祈りをささげることが今の仕事であり、講演で伝えていきたいという。
全国の有名な神社仏閣で揮毫をしたり書道パフォーマンスをしたり親子で大活躍をしているようすがパソコンで検索できる。個展などでは「涙の般若心経」が一番の売れゆきらしい。
まあ昔から「艱難汝を玉にする」など言うが当事者は大変なことだろう。祈りも「疑えば疑ったようになる。信じれば信じたようになる」ということかもしれない。
白血病闘病中の池井理香子さんは東京後のオリンピックを目指すらしいが今、どんな心境なのかね
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