空模様は良くなかったがわれわれ夫婦の定例行事ということで墓参にでかける。持病といってよいのか例の閃輝暗点が出る予感。視界にギザギザ模様。いつものことなのでそのまま車を運転。途中、市の図書館により借りていた「五木寛之作品集8」を返却、作品集7と「昭和2万日の全記録」第7巻昭和20年~21年、廃墟からの出発を借る。家をでて20分、閃輝暗点も収まってくれた。
五木寛之という作家、北朝鮮からの引揚者という怨念が大作家人生のバックボーンにあったようだ。私の記憶から欠落してる敗戦後の10年ばかりを思い出すために作品集を読んだりしている。この昭和2万日の全記録にも目を通してみよう。
10数分で霊園につく。私と妻の両方の墓をきれいにして墓参。ほったらかしと思えるような墓が周辺にふえてきた。こんな状態にするくらいなら墓地など作らなくて良いものをね。永代供養をしてくれるところを探しましょうとしきりに妻が言う。
15日の西日本新聞に高齢世帯の4分の1が貧困世帯とか。生活保護受給者と同等の生活水準になる世帯収入を一人世帯160万円、二人世帯226万円と設定して立命館の教授が調査したしたらしい。夫婦世帯は2割の160万世帯、独居女性は56%の250万世帯、65歳以上の高齢者のいる世帯は25%の653万世帯が貧困状態にあるという。
まあこんな状態で先祖の墓をきれいに維持してゆくことや先祖を敬い供養する気になどなれないのかもしれないが・・・。
あらためて瀬戸内寂聴さんの仏教塾からお彼岸について復習しておこう。
1、仏教では穢れた苦の多いこの世を穢土といい、苦も煩悩もない理想郷を浄土という。また現生のことを娑婆(サハ忍耐)ともいい、四苦八苦のこの世を耐え忍んでいかねばなりません。釈迦のおっしゃる八正道を実践すれば無明がなくなり浄土に行けるというのが仏教の教えです。
2、浄土は別名、彼岸といい日本では春分秋分の日の前後1週間をお彼岸と言って先祖供養する仏教行事になっています。しかし仏教の発祥地、インドにも中国にもこの習慣はない。もともと日本は「豊葦原の瑞穂の国」という農業国、太陽に対する信仰があり特に春分秋分時には田植えがうまくいき、秋には収穫をねがう農業神事だった。
3、1300年前、奈良時代、中国の善導大師が浄土は西にある(西方浄土)と著述し浄土教を大成させた。その話が日本に伝わり太陽の沈むさらに西方に浄土があると信じられるようになり農業神事が仏教神事となり先祖をうやまい供養する日となった。ほんとなら毎日先祖に手を合わせねばならないが現代の凡夫の為に年2回は墓参りしなさいということでお彼岸の行事ができた。
とうことだが220万円の年収で心安らかに余生を送るというのは絶対できないのか?ということだね・・・・
収穫をおえた田んぼのあぜ道に赤や白色のヒガンバナがきれいに咲いていました。