僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

ギリシャはこうしてマケドニアに征服された。

2009-06-19 23:28:40 | Weblog
ギリシャの市民は、早くから奴隷を所有していました。紀元前31年当時のアテネ市民は35000人で、全人口の14%でした。これに対して奴隷は10万人で43%もいました。市民は政治、軍務、文化活動に専念して生産活動にはほとんどタッチしていませんでした。農耕・採鉱・土木工事等の生産活動は主に奴隷が担っていたのです。
またスパルタは、ドーリア人がアイオリス人を征服して建国した国であり、早々と降伏した人々をぺリオイコイ(半自由民)とし、最後まで抵抗した者をへロット(奴隷)として支配しました。へロットの数はスパルタ市民の10倍に達していました。
 ギリシャの哲学者アリストテレスも、その著「政治学」の中で
「奴隷は生きた財産である。精神が肉体を統治するように、主人は奴隷を統治する。奴隷にとって統治されるのはよいことである。奴隷と家畜の用途には大差ない。なぜなら両方とも肉体によって人生の必要に奉仕するものだから」と論じています。

 この奴隷制度はギリシャ人の間に労働を軽視する風潮を生み、ポリスを腐敗させる原因ともなりました。外国からの侵略の危機が去ると、ポリス間の団結にひびが入り、ポリスの両雄アテネとスパルタが戦うギリシャ最大の内戦、ペロポネソス戦争が起こったのです。 この戦争による農村の荒廃、無産市民の激増、奴隷の反乱などのより経済的にも不安定になり、弱体化し、やがてマケドニアにより征服されてしまうのです。

光焔 万丈長し   檀一雄

2009-06-19 22:02:32 | Weblog
今日6月19日は、太宰治の生誕の日です。
それにちなんで、檀一雄の太宰にまつわる文章を紹介します。

 じめじめと暗く寒い日のことである。中原中也と草野心平がふらりと私の落合の家に現れた。先客として太宰がいた。
 「おかめ」というおでん屋に打連れて出かけていってかなり酔った。中原と太宰は初対面である。酒の暖で体がほぐれてゆくのと一緒に、例の通り中原中也は
太宰治にひどくからんでいるようだった。太宰は閉口し、くしゃくしゃな泣き出しそうな顔だった。中原を兎にも角にも先輩として尊敬していたからである。
ひどくからんで、さんざんしぼり上げた末、中原は太宰に言った。
「おめえ、何の花が好きだい?」太宰はちょっと当惑してへどもどした。
「ええ、何だい?おめえの好きな花は?」
まるで断崖から飛び降りるような思いつめた表情で、しかし甘ったるい、今にも泣き出しそうな声で、とぎれとぎれに太宰は言った。
「モ、モ、ノ、ハ、ナ」
言い終わって、例の愛情、不信、含羞、拒絶、何とも言えない様なくしゃくしゃな悲しいうす笑いを泛べながら、しばらくじっと中原の顔を見つめていた。
「チェッ、だからおめえは」
という中原の声を上の空のように聞いているのか聞いていないのか、太宰はその悲しいうす笑いの表情のまま、ぷいと立上がって、それから矢のように逃げ帰っていってしまった。みんな白けたが、私は暫時、私の盃の中にぽっかり桃の花片が泛んでゆくのを見る。