宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

人の不思議

2021年09月18日 | 
『ツボちゃんの話 夫・坪内祐三』(佐久間文子 新潮社)を読む。

読み終わった後、検索したら、あらタイムリーかも? 中野翠さんと著者佐久間文子さんとの対談が。
「考える人」対談ページ

個人的にこの本を読もうと思った経緯
『サンデー毎日』連載をまとめた中野翠さんのコラム集『いいかげん、馬鹿』の2020年1月の項に、坪内氏の逝去について書かれており、あらためて思い出す。

図書館にあった福田和也氏との対談集『羊頭狗肉 のんだくれ時評65選』を読んで、あらためて興味を持つ。
(2012ー2014年頃の内容だけど、ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞を予言(待望)していてびっくり。当時そういう話題がすでにあったのかな。あと、東京オリンピック開催決定まであれこれがあらためて興味深い。)

近くの図書館で検索したら貸出中だったのだが、休館明けに行ってみたら目につくところにあり、ありがたく借りる。

坪内氏の著書については、中野翠さんの影響もあって、2000年代の初めごろまでは意識して読んでいたような気がする。『ストリートワイズ』は図書館で借りたような気がする。家の中をみたら『古くさいぞ私は』があった。雑誌『en-taxi』の創刊号もあった。『週刊SPA!』の対談は知っていたけどあまり読んだことはなかったような。2018年まで続いていたとは知らなかった。ここ10年くらいは『文藝春秋』内の「人声天語」と、『週刊文春』内の文庫本紹介ページを読んでいたくらいかなぁー

なんとなくうっすらと「細かいことにこだわる」「粘着質」「執念深い」「公に人の悪口を書く」「公に怒りを撒き散らす」といった負のイメージも半分くらいあって(具体的になにがどうというのは不明だが)、敬遠するようになったような気もする。書いてみると「おたく第一世代」の他の人たちへの認識とも共通するなぁ。

と前置きがすごく長くなってしまった。
本を読んで思ったのは、その人がどういう人であるかは、本人の自己認識よりも、周りの人がその人のことをどう見たかの総体なんだな、全然知らない第三者にはそっちのほうが説得力があるなということ。
坪内さんは愛されて幸せ者だ。
著者はさすが元新聞記者、記述に抑制が効いていて、見方が公正。
思うに、坪内さんみたいな人とつきあえるのは、基本的にいい人、おおらかな人、人間ができている人でないとだめなような。
恋愛となるとまた別の要素が入るのだろうけれど。
そもそも卑近で身も蓋もない感想だが、突然死は勘弁してと思った。
佐久間さんは気づいてあげられなかったと自責の念にかられているようだけれど、関係ない読者としては、勝手に死なないでよーと思ってしまった。残された者の負担も考えろ。
私も医者嫌いだけど、警察沙汰にならないためには、具合が悪くなった時に診てもらっておくことが大事なのね。

神藏美子さんの『たまもの』についてや、第十一章の「『ロマンティックなエゴイスト』のこと」は、表面的に評論やコラムを読んでいるだけではうかがい知れない坪内氏の別の側面が立ち現われて、なんとなく心細く怖くなる。
人生や人間について分かってきたつもりでいたけど、恋愛でこそ踏み込める深淵というのがあって、私は見ないようにして逃げている。
この本はそこも見つめていることによって、作品としての深みが増していると思う。
人それぞれの運命だと思うけど、私は人とこういう関係はつくれないな・・・

ともあれ、坪内氏の著作にまた興味がわいてきたので、追って読んでみたい。

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