憚(はばか)りながら
価格:¥ 1,500(税込)
発売日:2010-05-15
第4章 創価学会との攻防 「元公明党都議との密会ビデオ」 より(1)
ところが、最初の内容証明を出して(83年3月)から3ヶ月後ぐらいに、富士宮署に突然、「後藤組壊滅対策本部」ができたんだ(同年6月設置)。当時はまだ、山一戦争も始まってなかったし、地元では、それまで散々大暴れしたのに、そんなもんができたことは一度もなかったんだ。
この対策本部ができてからというもの、ウチの若い衆が片っ端からパクられていった。それこそションベンしても、屁をひってもしょっ引かれて、1年足らずの間に60人以上がブチ込まれたんだ。ガサ(家宅捜索)の時は決まって、(静岡県警)本部から、わざわざ本部長がヘリに乗って飛んできて、(後藤組の)事務所の上をグルグル回って、本部長自ら、(家宅捜索を)指揮してたんだよ。
その時、思ったね。ああ、そうか、お前ら(学会)はいざとなるとこんな汚い手使ってきやがるんだな、と。そりゃ、国会だったら公明党使って、警察庁に圧力かけりゃいい話だし、池田のお膝元の(東京)都議会でも、公明党は昔から与党だったしな。予算握ってるもんで、警察庁に圧力かけるのも造作はないわ。
けど、これには本当に頭にきた。「じゃあ、池田先生に直接、ものを言いに行くしかないわな」と思ったよ。
そうこうしているうちに、若い衆が、池田が東京女子医大に入院したという話を聞きつけて、俺より先に「池田先生」に会いに行ったらしいわ(笑)。ところが、それを知った池田が急に退院しちゃったもんで、若い衆は(東京都新宿区)信濃町の学会本部(創価学会文化会館)まで出かけて行ったんだ。
1985(昭和60)年11月12日、新宿区信濃町の創価学会文化会館で、後藤組系幹部ら3人が発砲。銃刀法違反で現行犯逮捕された。
これには池田もビビッただろうな。そりゃそうだわ、行く先々で"パン"って音がするんだから(笑)。それであわてて、俺んところに池田の使いのもんが飛んできて、詫びを入れてきたんだ。この人間は山崎と違ってまだ生きてるし、俺はべつにこの使いのもんが心底憎いとか、嫌いというわけじゃないから、本人の名誉のためにも「X」とでもしておこうか(笑)。
このXが、山崎の後の、俺と学会との"窓口"になったわけだ。「陸軍中野学校の出身」とか言って、山崎がいなくなった後はこのXが"裏"の仕事を担当してたんだ。このXを通じて池田が詫びを入れてきたことで、その後はまた学会に協力してやることになったんだ。
…長くなるので(2)に続きます。
こういう話を聞くと、本当に公明党って創価学会と池田大作名誉会長を守るために存在するんだなと、再認識させられます。
ていうか静岡県警の当時の本部長は学会員さんだったのか?
本当に警察を動かせるんだなー。
すごいよ、イケダさん!!
しかしまあ、こういう筋の人たちと一度関わるとそう簡単に手は切れないという見本のようなお話ですね。