真実と幻想と創価学会

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私が愛した池田大作 ~宗教界の王者に その3

2010-06-27 22:35:17 | 私が愛した池田大作

第七章 「宗教家」として より

「宗教界の王者に」 その1はコチラ

「宗教界の王者に」 その3

 もう一つが日蓮正宗国際センターだった。世界布教のためにこうしたセンターを設立したい、ということで宗門側との連絡協議会が七四(昭和四九)年に開かれたのだが、提案は宗門側がとうてい呑めないような内容だった。
 まずこのセンターの会長は池田氏である。日達猊下も一応、名誉総裁との肩書きがつけられてはいるがいかにも名目だけ。他にも理事長、専務、常務など主だった役員はすべて学会幹部で占められ、どう見ても宗門は学会の下部組織に他ならなかった。
 
しかも海外に造る寺院の僧侶職も、池田氏が授与する。つまり海外布教権や僧侶の任命権を池田氏が掌握するということで、要は海外においては一切を創価学会が仕切るということだった。日本国内では宗門が上だが、海外ではウチが上位に位置するぞ、という宣戦布告に等しい。
 もちろんこんなもの、宗門が了承するわけがない。五月四日、連絡会議の報告を受けた日達猊下は、

「日蓮正宗から切り離してやるならよい」

「そうでなければ海外住職も引き上げる」

 と反発した。

~中略~

 また同じ七四年には、池田氏が山崎氏らに命じて、日蓮正宗支配の計画案を作らせたという話もある。山崎氏と、彼の後任で弁護士の八尋頼雄氏はこれを受け、

「本山の問題はほぼ全容をつかんだ」

として、その対策を詳細に述べている。彼らが提出した報告書には、

①学会に火の粉の降りかからない範囲で、向こう三年間の安全確保を図り、宗門との関係をいつでも清算できるようにしておく

②長期にわたる宗門管理の仕掛けを今やっておいて、背後を固める

 という二通りのやり方が提案されている。どちらにしても宗門との対決は、時間をかけてじっくり確実に取り組むべきだという内容である。
 これを受けての国際センター提案だったわけだが、それが報告書どおり時間をかけて取り組む、その第一弾だったのか、それとも報告書に反しての勇み足だったのか。いずれにせよ
学会の宗門対決姿勢が明確化したのは「五二年路線」、つまり一九七七年になってからだが、すでに下地は七〇年代前半からあったということだ。
 言論出版妨害事件で池田氏が声明を出し、事態を沈静化させたのが七〇年。本尊の模刻開始が七二年。国際センター提案や山崎報告書が七四年で、創共協定の締結が同年末。言論出版妨害事件で「政界の王者」から「宗教界の王者」へと路線変更し、宗門へのジャブを繰り出しつつ創共協定で後顧の憂いを断つ。時期的な流れを見ても、戦略は見事に一貫している。

~後略

創価学会では宗門から破門された(独立した)のは、宗門側が学会を妬んで切り捨てたのだというようなことを言っていたと思います。C作戦とかね。

しかし、これらの流れを見る限り、宗門と手を切りたいor宗門の上に立ちたいと考えて創価学会が行動を起こした、と見るのが正解のようです。

この国際センターは今のSGI(創価学会インターナショナル)の原型なのでしょうが、会長に池田氏が納まるのはまだいいとして、僧侶職を池田氏が授与するってどういうことでしょう。

池田氏は僧侶ではない。この時代、単なる信徒団体の代表に過ぎません。一信徒なわけです。

まさに「宗教界の王者」たらんとしたわけですね。

ところで記事とは関係ありませんが、久しぶりに「創価学会」と「正本堂」をウィキってみたら私が最初に見た一年ちょっと前からだいぶ内容が変わっているようです。

もちろん創価寄りに。こういうの、キモチ悪いなぁ…。