第七章 「宗教家」として より
「宗教界の王者に」 その2
そして宗門との戦争に専念するには、背後を固めておく必要がある。最もうるさい共産党を黙らせておかねばならない。そのための創共協定だった手強い相手にはすり寄っていく。弱いと見れば徹底して喰らいつく。これが池田手法の特徴である。
~中略~
振り返れば宗門との対決も、早くから下地が均されつつあった。宗門を刺激するような挑発行為が、あえて小出しで繰り出された。後で思えば、ボクシングにおける、ジャブのようなものであったのだ。
我々が仰天したのは、本尊模刻事件だった。前述のように日蓮正宗の信者が拝む御本尊は、すべて法主上人の書写したものでなければならない。ところがこれを、池田氏が勝手に贋造し始めたのである。第六四世日昇猊下から下付されたものを、「聖教新聞」のカメラマンに撮影させ、それを元に板本尊を彫らせた。法主の専権事項とされたきたものを侵したわけで、これは教義を軽視、侮辱したことに他ならない。信徒としては絶対にやってはならないことだった。宗門側に知れて問題化したのは、一九七五(昭和五〇)年を過ぎてからだが、実際に模刻を始めたのは七二年にまでさかのぼる。
実はこの模刻は、「お守り御本尊」から始まったという話もある。各家庭の仏壇には猊下からいただいた本尊が祀ってあるが、これとは別にペンダントのようにして、首からぶら下げる小さな御本尊がある。これをます模刻し始めたというのである。その後、学会会館の仏壇に祀る御本尊まで模刻するに至った。
当然ながら宗門としては看過しておけない大不祥事である。こいつらは教義をいったいなんだと思っているのか。自分たちで勝手に法主の仕事を代行するなど、思い上がりも甚だしいとなった。
その3に続く…
「御本尊はただのモノです」
と池田氏は発言しているのですから、模刻ご本尊やお守りご本尊に対して抵抗がないのは当たり前でしょう。
私は日蓮正宗の信徒ではありませんので、ご本尊に対しての扱いというものに絶対視する考えは持ち合わせていません。ですが、創価学会はどうだったのか。
はじめから「モノ」扱いして考えているならば、そもそも宗門とやっていくことなどできなかったはずです。
こういった考え方・行動からも、宗門からの独立あるいは、宗門を傘下にするとの野望を腹に抱えていたのだな、と安易に想像できてしまいます。