真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

第二次家庭崩壊の危機 その3

2009-08-15 13:44:34 | 我が家の創価問題

母親は一体どういう気持ちで父親の働いたお金を、パート勤めする会社につぎ込んでいたのでしょうか…?

祖母との言い合いの中での言葉のニュアンスだと「すぐ返してもらえる」、「今潰れたら私(母親)の未払い分の給料も払ってもらわれない」と思っての延命措置だったのだと思われます。

たぶん、一回の危機をたとえ父親の給料出してでも乗り切れば、つぎ込んだ父親の給料と自分の給料を返してもらえると思ったんでしょう。

しかし会社の経営状態の悪化はそんな付け焼刃で乗り切れるほど軽い症状ではなく、母親がつぎ込んだ資金も飲み込んで転落していきます。そして母親にはその転げ落ちる会社をどうしても見限れなかった。

母親にとってはその会社は単なるパート先ではなく、第二の実家であり、社長夫妻は学会員家族だったのですから。

祖母にとんでもない告白をしにきたのは、お金を貸して欲しいという以上に、自分の今の状態を知って叱って欲しいと心のどこかで思っていたのではという気がします。

このままでは会社に巻き込まれて自分だけでなく家族もろとも路頭に迷わせてしまう…と。

結局この時の◇◇会社(母親の会社)の危機は何とか乗り越え、その後母親の給料は最低額は払ってもらってる、そうでした。あくまで母親が自分で言っているだけで、何の証拠もありません。とーっても怪しいと、当時も今も思っています。

祖母は母親の顔を見るたびに「会社辞めろ」と諭します。母親は「もらってない給料もらうまで…」と何とか、残ろうとします。

そして一年ほど経ち、遂に◇◇会社は倒産(自己破産)することに決まりました。

そのときも祖母は「倒産するまで残っとらんと、もう絶対給料は戻ってけえへんねんからスッパリ関係断ち切って、はよ次の仕事探し!」と言います。

この時の祖母の言葉は正しかった。本当に、最後に言うこと聞いてこの通りにしていればよかったのです…。

母親は倒産すると決まった後も「残務整理」と称してそれまでと同じように出勤します。勿論夜も通い、酔っ払って帰ってきます。この頃、酔って帰る時間がたまにとんでもなく遅い時間になったりもしていました。

そしてまた私が夏休みで朝寝している時、衝撃のニュースが飛び込んできました。

社長夫妻が自宅で首を吊って亡くなった、と。

発見者は母親です。

社長夫妻は息子が一人いますが、同居しておらず二人暮らしでした。

母親がいつも通り出勤すると、和室に奥さんが立っている陰が見えて「奥さんそんなトコで何してんの?」と近寄ると、電灯の傘からロープで首を吊っていたのです。

そしてリビングに奥さんの遺書が残されていました。

社長は上の階の仏壇の前で、同じように首を吊って亡くなられました。

奥さんの遺書によると、夜中の3時頃まで社長は一心不乱に題目を上げ、そして何も言わず、奥さんに相談もすることなく自殺されました。奥さんは何も言われなかったけどその日、社長が自殺すると分かっていたようです。そして社長が首を吊った後、自分も別室で命を絶たれました。

前の日の晩、母親はいつもと変わらぬ様子の社長夫妻と晩御飯を食べ、晩酌をしていました。

社長夫妻、特に社長の方は自己破産という現実が耐えられなかったようで、もう生きていけないと口にすることがあったそうです。

母親は貧乏に耐えてきた人生なだけあり、「自己破産なんかしたって別に今の生活と変わりないよー」と軽く励ましていたようです。

そして題目しかない、と…。

奥さんの遺書には、母親を巻き込んでしまい、大変申し訳ないと謝罪の言葉がいくつも書いてありました。そして家に残った家財道具は母親に譲るから、今までの給金の代わりにしてくれと。

母親はまるで本当の娘のように、警察や役所関係に行って手続き(?)したり、葬儀さえも取り仕切りました。(あくまで喪主は息子さんでしたが)。

葬儀には私も少しだけですが、参列しました。後から母親に聞いた話だと、学会員さんが自殺だというのにたくさん弔問に訪れてくれたと、何故か誇らしげでした。

父親は通夜にも葬儀にも一切顔を出しませんでした。

社長夫妻が自殺した日、母親は「何で死ななあかんの!?なんでこんなことするん!」と泣き崩れていました。

しかし、葬儀の後は周りの学会員さんと示し合わせたかのように「これで良かったんや、きっとこれが二人には最善の道やったんや」と言うこともしばしばありました。また、「自殺やのに成仏の相が出てるから、きっと天国(極楽?)に行っている」とも。

自分にそう言い聞かせていたのだと思います。

そして母親は、社長夫妻のいなくなった会社(兼自宅)に最後の最後まで残務整理に残り、二ヶ月ほどでしたか、それまでと同じように毎日会社に通いました。もう夜は行かなくなりましたが…。

その家には息子さんが戻って来たので、家財道具の処分までは手を出すことはありませんでした。現在その家がどうなっているのか、もう母親も知りません(社長夫妻が亡くなる前に引っ越しているので、家があまり近くなくなっていた)。

今はもう完全に◇◇会社の家とは縁が切れています。

社長は奥さんの遺書にあったように、どこまでもついてきそうな母親に対して申し訳ない気持ちもあったのだと思います。

そしてもう、「解雇」で別れられるような関係でもなかったのでしょう。

以前の記事で、バリ活さんのコメで「正しい仏道修行だからこそ魔か襲い掛かって止めさせようとする」という言葉に腹を立てていましたが、こういう台詞を聞くたびに私は社長夫妻のことを思い出します。

そういう理論で言えば、社長夫妻の自殺は「魔障」の仕業であり、それに負けたのですね。

母親が大変な苦労と悲しみに見舞われたのも、同様の理由でしょうか?

もしもの話になってしまいますが、母親達は適切な距離を見誤ったんだと思います。

社長夫妻の自殺の原因はもちろん自己破産(する前に亡くなったので結局していない)が一番の原因ですが、そこには母親に対する負い目のようなものも確かにありました。

母親は勿論、追い詰めるつもりなど毛頭ありません。

でも情や絆が深くなればなるほど、背負うものも重くなるのは当然でしょう。

母親と社長(と奥さん)は、一介の経営者と従業員ではありえなかったのです。

社長がもし、身一つでもっと早く倒産していたら、(本当にもしもの話で恐縮ですが)自殺の道は選んでいなかったかもしれません。

でも母親の気持ちも分からないでもない。自分の家では学会員としての母親は肩身が狭い。社長夫妻のような家族が、本当はほしかった、嬉しかったんでしょう。

しかしお互い本当にやりすぎてしまった…。

会社が倒産&社長夫妻が亡くなったことで、母親の給料や父親の給料が返ってくる望みはもう一切消えました。父親は自分の給料が使われていたことを、「ほんの一部」だと聞かされて(それでも激怒しましたが)それで事は収まっていました。

勿論我が家の生活は困窮します。

社長夫妻が亡くなってようやく、祖母は我が家に子供らの学費という名目でお金を入れてくれました。結構大きな金額であったはずです。

祖母はもうこの頃、仕事を引退して年金暮らしでした。それでも今まで働いて得た貯金とで、静かに暮らしていたのです。孫にお小遣いあげるレベルの話ではありません。

保険を解約し、我が家を助けてくれました。

我が家はそのおかげで、路頭に迷わずに済みました。

祖母がいなければどうなっていたことか…。これが我が家の第二次家庭崩壊の危機の顛末です。

でもこの危機は乗り切ったように見せて、ズルズルと尾を引き、第三次に引き継がれるんですけどね…。それはまた、機会があればお話することにします。

お盆の季節ですね。皆さんお墓参りなどされたんでしょうか?

祖母と社長夫妻の冥福を祈ります。


第二次家庭崩壊の危機 その2

2009-08-15 01:55:05 | 我が家の創価問題

お待たせしました、その2です。

が、その前に「その1」であまりちゃんと伝えられなかったかなぁ?と思うので、今一度詳しく書きます。

母親が第二の実家として入れ込んだ社長夫妻ですが、おそらく母親にも社長夫妻にも自分達のしていることが非常識であるとか、やりすぎだ、とかは思っていなかったと思います。

というのも、私たち家族もあまりそう感じないトコロがありました。

学会のマインドコントロールと同じで、徐々に時間をかけて慣らされてしまったのです。

その状況を離れて冷静に見れば分かることなんですけどね…。

ですから私は当時から、社長夫妻を「非常識だ!」とか全く思っていなかったし、今でもあんまり思いません。社長夫妻も、徐々に母親がいるのが当たり前の光景になっていたんだろうなぁ、と思います。

ではでは、「その2」の始まりです。

母親が勤めていた会社はとても小さな会社です。バブル崩壊を乗り切って細々とやっていましたが、不況の影響はそうそう拭えるものではなかったようです。

私が高校生後半~大学生にかけて、相当経営状態は悪化していきました。

後から分かることですが、その時期、我が家の家計も比例して逼迫していきます。その原因は母親の給料の未払いであり、そしてもっと重大な事実が明るみに出ます。

前回記事の「一世のおばあちゃん」で書きましたが、私と弟たちはよく祖母の家に遊びに行っていました。私が大学の夏休みで祖母のところに泊り込んでいたときです。

母親が珍しく一人で、祖母の家に来ました。両親が祖母の家に来るときはたいてい子供達と一緒か、盆・正月くらいです。

勿論私がいると分かってのことです。その方が祖母と話しやすい(怒られない)と考えたんでしょう。

母親はかなり神妙です。そして私の前で、祖母に話を切り出します。

「お金、貸して欲しい」

という、別に珍しくもない話でした。しかし祖母はサスガ母親の母親なのか、何か嗅ぎ取っていたんでしょう。鋭く追及していきます。

母親が家の生活費が苦しい、と言うと、祖母は「〇〇(父親の名前)ちゃんの給料とあんたの給料でやっていけへんわけないやろ」と言います。贅沢はできませんが、確かに家族が慎ましやかに暮らしていける収入です。

すると母親は「◇◇会社(母親の会社)がもうギリギリで、給料出てないねん」と打ち明けます。

私は一切口を挟みませんでしたが、心の中では仰天していました。何故なら母親は毎日それまでと全く同じように働きに行っているからです。エーっ、タダ働きしてたの!?とビックリしました。

祖母は、給料も出さんと働かせる会社なんか辞めてしまい!と至極当然の反応です。でも母親はますます深刻に俯いていきます。

どういう台詞で話したのかはもう覚えていませんが、母親は実はお金を貸して欲しいのは我が家の家計にではなく、会社に金を貸して欲しいと頼みます。

社長夫妻の意向ではありません。母親の独断です。

祖母は烈火の如く怒ります。「アンタがそこまでする義理はない」と。

しかし母親も食い下がります。いついつまでにいくら用意しないと、倒産するから…と。

それでも当然ですが、祖母は母親を更に叱り付けるだけで首を縦には振りません。

母親は会社への金は諦め、せめて生活費を貸して欲しいと頭を下げます。

祖母は「アンタすぐ◇◇会社辞めて違うトコ(仕事)行き!〇〇ちゃんの給料とでやっていきなさい!」と言います。まともです。何故この祖母からこの母親が生まれたのか一番の謎です…。

母親は半泣きでもう畳に額がつくほど俯き、呟くような声で告白します。

「会社に入れた」と。

私は何のことか一瞬「?」でした。次の瞬間祖母が今までになく怒って、初めて母親が何をしたのか分かりました。

祖母「〇〇ちゃんの給料、◇◇会社に次ぎ込んだんかー!!」

母親は何も言えず頷きます。

そうです、母親は自分の給料が未払いでタダ働きしていたばかりか、父親の給料を半年ほどその会社につぎ込んでいたのです。

まー、驚愕の事実です。さすがに私もそんなことが行われているとは、全く予想だにしませんでした。呆気にとられると本当にマンガのように口をあんぐりと開けてしまうものですね。自分でやるまでオーバーな表現だと思っていましたよ。

祖母は怒り狂います。私は生まれてこの方、祖母がこんなに怒ったのを見たのは初めてです。

祖母が社長は父親の給料って知ってて使ってるんか!?と問うと母親はまた言葉なく頷きます。祖母は半ば土下座状態の母親の頭を平手で叩き(!)「アホか!なんでそんな馬鹿なことしたんや!」「社長は何考えてんねん!アンタにそんなんさして、なんも思ってないんか!」と怒鳴りつけます。

母親は泣きながら「おかあちゃん、ごめん、ごめん」と謝ります。祖母に謝ってどうする…。

怒りを抑えきれない祖母は、これから母親の会社行って社長に話つけたる、と母親を立たせようとします。

しかし母親はまるで駄々っ子みたいに首を振って、畳に座り込んで「それだけはやめて」と祖母と腕の引っ張り合いです。

結局母親がもう二度としない、と約束してすぐに祖母の家を逃げるように出て行きました。勿論祖母から一銭も貰わずにです。

祖母が人に手を挙げるのを見たのは初めてです。今でもその衝撃的なシーンは脳裏に焼きついています。

祖母は母親が帰った後も興奮納まらず、本当に怒りまくっていました。

私に「(母親は)毎日仕事行ってんの?」「お父さん何も気づいてないんか?」と聞いて来るので、「普通に仕事行ってたで。夜もずっと。給料もらってないなんて全然知らんかった」「そりゃ知らんと思うで。知ってたらいくら父さんでも怒ってるで」と答えます。

本当に私も全然気づきませんでしたし、分かりませんでした。なにせ、母親と接触する時間が極端に短いのですから。

そして祖母は決意のように言います。「辞めさせなあかん…」と。当然ですが祖母も社長夫妻が学会員だということは知っています。生涯両者が会うことはありませんでしたが。

後に思い返し、私はハタと気づきます。

両親のケンカの時、母親の常套句は「その分給料貰っている」でした。確かに最初の頃は残業代として給料に色がついていたはずです。それがいつから嘘になっていたのか…。そしてそれがいつから、もっと悪い事態になっていたのか…。

またまた長くなってしまいました。その3に続きます。