もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をはる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
レイチェル・カーソン著「センス・オブ・ワンダー」より抜粋
レイチェル・カーソン著「センス・オブ・ワンダー」より抜粋
『空のこい』ー 金子みすゞ作 ー
お池のこいよ、なぜはねる。
あの青空を泳いでる、
大きなこいになりたいか。
大きなこいは、今日ばかり、
明日はおろして、しまわれる。
はかない事をのぞむより、
はねて、あがって、ふりかえれ。
おまえの池の水そこに、
あれはお空のうろこ雲。
おまえも雲の上をゆく、
空のこいだよ、知らないか。
お池のこいよ、なぜはねる。
あの青空を泳いでる、
大きなこいになりたいか。
大きなこいは、今日ばかり、
明日はおろして、しまわれる。
はかない事をのぞむより、
はねて、あがって、ふりかえれ。
おまえの池の水そこに、
あれはお空のうろこ雲。
おまえも雲の上をゆく、
空のこいだよ、知らないか。
『野菊』
遠い山から吹いてくる
こ寒い風にゆれながら
けだかく清く匂う花
きれいな野菊
うすむらさきよ
秋の日ざしを浴びてとぶ
とんぼを軽く休ませて
しずかに咲いた野辺の花
やさしい野菊
うすむらさきよ
霜が降りても負けないで
野原や山にむれて咲き
秋のなごりをおしむ花
あかるい野菊
うすむらさきよ
唱歌(初等科音楽1) 昭和17年3月
石森延男作詞
下総皖一作曲
遠い山から吹いてくる
こ寒い風にゆれながら
けだかく清く匂う花
きれいな野菊
うすむらさきよ
秋の日ざしを浴びてとぶ
とんぼを軽く休ませて
しずかに咲いた野辺の花
やさしい野菊
うすむらさきよ
霜が降りても負けないで
野原や山にむれて咲き
秋のなごりをおしむ花
あかるい野菊
うすむらさきよ
唱歌(初等科音楽1) 昭和17年3月
石森延男作詞
下総皖一作曲
『地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとがあったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけ出すことができるでしょう』
レイチェル・カーソン著「センス・オブ・ワンダー」より抜粋
レイチェル・カーソン著「センス・オブ・ワンダー」より抜粋
「白い雲」
おお見よ、白い雲はまた
忘れられた美しい歌の
かすかなメロディーのように
青い空をかなたへ漂っていく!
長い旅路にあって
さすらいの悲しみと喜びを
味わいつくしたものでなければ、
あの雲の心はわからない。
私は、太陽や海や風のように
白いもの、定めないものが好きだ。
それは、ふるさとを離れたさすらい人の
姉妹であり、天使であるのだから
ヘッセ詩集より
おお見よ、白い雲はまた
忘れられた美しい歌の
かすかなメロディーのように
青い空をかなたへ漂っていく!
長い旅路にあって
さすらいの悲しみと喜びを
味わいつくしたものでなければ、
あの雲の心はわからない。
私は、太陽や海や風のように
白いもの、定めないものが好きだ。
それは、ふるさとを離れたさすらい人の
姉妹であり、天使であるのだから
ヘッセ詩集より
ヘルマン・ヘッセ詩集より
「しおれた葉」
花はみな実になろうとし、
朝はみな夕べになろうとする。
永遠なものはこの地上にない、
変化とあわただしい移ろいのほかには。
美しい限りの夏もいつかは
秋と衰えを感じようとする。
葉よ、根気よくじっとしていよ、
風がおまえを誘惑しようとしたら。
おまえの戯れを戯れよ、逆らうな、
静かになすにまかせよ。
おまえを折る風のままになり、
家路へ吹き運ばれよ。
「ある詩集への献詩 3」
葉は木から、
歌は命の夢から、
戯れつつそよぎ去る。
あまたのものが滅んだ、
心こもれるメロディーを、
私たちが初めて歌った時から。
歌もまた命はかなきもの、
とわにひびく歌はない。
すべては風に吹き散らされる。
花もチョウも、
すべて朽ちせぬものの
たまゆらなたとえに過ぎない。
「けれどもひそかに私たちはあこがれる」
優美に、精神的に、唐草模様のように微妙に、
私たちの命は、妖女の命のように、
静かに踊りつつ虚無のまわりを旋回するように見える、
私たちが存在と現在とを犠牲にささげた虚無のまわりを。
息吹きのように軽く、清い調子の
夢の美しさ、やさしい戯れよ、
おまえの陽気な表面の下ふかく、
夜と血と野蛮へのあこがれが微光を放っている。
空虚の中を、強いられず、思いのままに
自由に私たちの命はいつも戯れの心構えで旋回する。
けれどもひそかに私たちはこがれる、現実に、
生産に、誕生に、悩みに、死に。
「しおれた葉」
花はみな実になろうとし、
朝はみな夕べになろうとする。
永遠なものはこの地上にない、
変化とあわただしい移ろいのほかには。
美しい限りの夏もいつかは
秋と衰えを感じようとする。
葉よ、根気よくじっとしていよ、
風がおまえを誘惑しようとしたら。
おまえの戯れを戯れよ、逆らうな、
静かになすにまかせよ。
おまえを折る風のままになり、
家路へ吹き運ばれよ。
「ある詩集への献詩 3」
葉は木から、
歌は命の夢から、
戯れつつそよぎ去る。
あまたのものが滅んだ、
心こもれるメロディーを、
私たちが初めて歌った時から。
歌もまた命はかなきもの、
とわにひびく歌はない。
すべては風に吹き散らされる。
花もチョウも、
すべて朽ちせぬものの
たまゆらなたとえに過ぎない。
「けれどもひそかに私たちはあこがれる」
優美に、精神的に、唐草模様のように微妙に、
私たちの命は、妖女の命のように、
静かに踊りつつ虚無のまわりを旋回するように見える、
私たちが存在と現在とを犠牲にささげた虚無のまわりを。
息吹きのように軽く、清い調子の
夢の美しさ、やさしい戯れよ、
おまえの陽気な表面の下ふかく、
夜と血と野蛮へのあこがれが微光を放っている。
空虚の中を、強いられず、思いのままに
自由に私たちの命はいつも戯れの心構えで旋回する。
けれどもひそかに私たちはこがれる、現実に、
生産に、誕生に、悩みに、死に。
地球の生命は私の生命。
調和、平和、美、バランス。
地球の足は私の足。
調和、平和、美、バランス。
地球のからだは私のからだ。
調和、平和、美、バランス。
地球の想いは私の想い。
調和、平和、美、バランス。
地球の言葉は私の言葉。
調和、平和、美、バランス。
ーナバホ族 スウェット・ロッジの歌
スウェット・ロッジの概念は、誕生前の時空に戻り、精霊の力を借りて、人生で積んだ心身の垢を洗いながし、完璧な赤子として生まれなおすというもの。目的は心身の清めや癒し、そして個人や社会の悩みを晴らすこと。
エリコ・ロウ著「アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉」より
調和、平和、美、バランス。
地球の足は私の足。
調和、平和、美、バランス。
地球のからだは私のからだ。
調和、平和、美、バランス。
地球の想いは私の想い。
調和、平和、美、バランス。
地球の言葉は私の言葉。
調和、平和、美、バランス。
ーナバホ族 スウェット・ロッジの歌
スウェット・ロッジの概念は、誕生前の時空に戻り、精霊の力を借りて、人生で積んだ心身の垢を洗いながし、完璧な赤子として生まれなおすというもの。目的は心身の清めや癒し、そして個人や社会の悩みを晴らすこと。
エリコ・ロウ著「アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉」より
“夕”
あたたかき海は笑ひぬ。
花あかき夕日の窓に、
手をのべて聴くとしもなく
薔薇摘み、ほのかに愁ふ。
いま聴くは市の遠音か、
波の音か、過ぎし昨日か、
はた、淡き今日のうれひか。
あたたかき海は笑ひぬ。
ふと思う、かかる夕日に
白銀の絹衣(すずし)ゆるがせ、
かく愁ひ、かくや聴くらむ、
紅の南極星下
われを思ふ人のひとりも。
角川文庫 北原白秋詩集より
あたたかき海は笑ひぬ。
花あかき夕日の窓に、
手をのべて聴くとしもなく
薔薇摘み、ほのかに愁ふ。
いま聴くは市の遠音か、
波の音か、過ぎし昨日か、
はた、淡き今日のうれひか。
あたたかき海は笑ひぬ。
ふと思う、かかる夕日に
白銀の絹衣(すずし)ゆるがせ、
かく愁ひ、かくや聴くらむ、
紅の南極星下
われを思ふ人のひとりも。
角川文庫 北原白秋詩集より