私には2歳年上の兄がいたのですが、母が妊娠中に風疹にかかって、それがもとで生まれた時から心臓に穴があいていたのでした。(心臓障害です)
このままだと二十歳まで生きられないとか何とかで、手術をすることになったのですが、成功率は50%ぐらいだと言われており、結局手術中に亡くなってしまったのです。
この時、私はまだ母親のお腹の中にいたので、実際に兄の顔は見た事がありません。
その話は小さいころから聞かされていたのですが、小学生の頃、内科検診があり、その時に医者に「心臓から雑音が聞こえる」と言われ、病院で検査するように勧められました。
その時、「兄が心臓病だったから、自分も“その気”があるのかな?」なんて思い、「もし手術しなきゃいけなくなったら、嫌だな~・・。どうしよう・・。」と怖くなった時がありました。
後日、病院で検査をしましたが、特に異常なしで終わりました。
その10年後、また心臓の辺りが痛かったので、大病院でエコーなどの検査をしましたが、その時も結局何も悪いところはなく、「肋間神経痛」など言われて終わりました。
今から思えば、もしかしたら心臓病で幼くして亡くなった兄が、私に憑依して(心臓の異常)訴えていたのかな?と思いました。
なぜ“憑依”かというと、まずは検査しても原因がわからないこと。
そして、亡くなった親族と同じような症状が出れば、亡くなった人の事が否が応でも頭をよぎります。
それこそ、まさに亡くなって成仏できず、苦しんでいる人がサインを送っているという証拠だと思っています。
私の場合、友人の自殺の件から星椎水精先生に導かれたわけですが、もし先祖に気がつかず、星椎水精先生の浄霊というものをしていなかったら、もしかしたら何かしらの心臓病を発症していたかもしれません。
それほど、私に助けを求めていたという事ですよね。
ただ肝心な事は、先祖さん達はあくまで我々末裔を苦しめたいわけではなく、ただただ助けてほしいだけなのです。
その見えない苦しみを理解して、助けてあげられるのは、我々「光の当たった末裔」だけなのです!
≫星椎水精先生のホームページ:先祖供養
携帯版はこちら
クリックしてね !!
このままだと二十歳まで生きられないとか何とかで、手術をすることになったのですが、成功率は50%ぐらいだと言われており、結局手術中に亡くなってしまったのです。
この時、私はまだ母親のお腹の中にいたので、実際に兄の顔は見た事がありません。
その話は小さいころから聞かされていたのですが、小学生の頃、内科検診があり、その時に医者に「心臓から雑音が聞こえる」と言われ、病院で検査するように勧められました。
その時、「兄が心臓病だったから、自分も“その気”があるのかな?」なんて思い、「もし手術しなきゃいけなくなったら、嫌だな~・・。どうしよう・・。」と怖くなった時がありました。
後日、病院で検査をしましたが、特に異常なしで終わりました。
その10年後、また心臓の辺りが痛かったので、大病院でエコーなどの検査をしましたが、その時も結局何も悪いところはなく、「肋間神経痛」など言われて終わりました。
今から思えば、もしかしたら心臓病で幼くして亡くなった兄が、私に憑依して(心臓の異常)訴えていたのかな?と思いました。
なぜ“憑依”かというと、まずは検査しても原因がわからないこと。
そして、亡くなった親族と同じような症状が出れば、亡くなった人の事が否が応でも頭をよぎります。
それこそ、まさに亡くなって成仏できず、苦しんでいる人がサインを送っているという証拠だと思っています。
私の場合、友人の自殺の件から星椎水精先生に導かれたわけですが、もし先祖に気がつかず、星椎水精先生の浄霊というものをしていなかったら、もしかしたら何かしらの心臓病を発症していたかもしれません。
それほど、私に助けを求めていたという事ですよね。
ただ肝心な事は、先祖さん達はあくまで我々末裔を苦しめたいわけではなく、ただただ助けてほしいだけなのです。
その見えない苦しみを理解して、助けてあげられるのは、我々「光の当たった末裔」だけなのです!
≫星椎水精先生のホームページ:先祖供養
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いくら心を込めても、結果が出なければ故人の苦しみは変わりません。
霊障が重くなる前に、末裔が助けて地球を良くしていかなければいけませんね。
全く自覚症状がないのに、検査では癌の一歩手前。
何度も今度は覚悟しておいてくださいといわれました。
でも詳しく精密検査すればするほど異常なし。
なので医師はそれが不思議で仕方なかったようです。
検査できないところに癌があるのかもしれないといわれ、
検査で一部をとりましたが、全くの異常なし。
それからは検査で「異常なし」になりました。
先生に「先祖が子宮がんを計画している」といわれ
ほんとにそのとおりになるところでした。
ご供養していなかったら、癌の恐怖とともに生きなければいけなかったでしょう。