半年は過ぎましたが、いまだに復興への道筋は見えていません。それどころか、相変わらずの失言大臣で政局の混乱を招く始末です。
浦安市も液状化により被災し、半年たったいまも、段差のある道路や傾いた塀・電柱、道端に残る吹き上がった砂など震災の爪痕が残っています。完全復旧の道のりは遠いですが、少しずつ復興へむけて進んでいくことでしょう。
がんばろう、ニッポン。がんばろう、うらやす。
最後に111・113系です。トップナンバー車クハ111-1が展示されています。
東海道線用に1962年に製造開始され、1964年からは出力増強型の113系になり、1981年まで製造されました。東海道山陽筋ではおなじみの電車です。ちなみに113系は電動車のみ形式が与えられ、制御車と付随車は引き続き111形で製造されました。
車内は原型のままです。ドアも懐かしい鋼製ドアです。のちにステンレス製ドアに取り替えられていきますが、113系や103系でも交換されずに残っていた車両があり、原型ドア車として珍重されていました。武蔵野線には更新車にも関わらず、鋼製ドアのままの車両がいて、通学時に乗車すると得した気分になったものです。
このほかにも振り子特急の祖381系や、オイラン車とよばれる車両限界測定車なども保存され、大宮・鉄道博物館と違った楽しみ方ができます。
リニア・鉄道館
東海道新幹線名古屋駅よりあおなみ線乗車。終点金城ふ頭駅下車すぐ。
お次は輸入電機を2台。最初はED112です。ED11形は1923年のアメリカ・ゼネラルエレクトリック製で、2両が輸入され横須賀線・伊東線で使用されました。当機はその後1976年まで浜松工場にて入換用で使用され、廃車後は同工場にて保存されていました。ちなみに相棒の1号機は西武鉄道に譲渡されE61となり、現在は横瀬車両管理所で保存されています。
こちらはED182です。イギリス・イングリッシュエレクトリック製です。ED18形は大宮・鉄道博物館に保存されているED17形の軸重軽減改造機で、台車に軸重軽減用の小型車輪がついています。飯田線でつかわれ、車体の通風機から「クロコダイル」とも、また製造工場から「ディッカー」とも呼ばれ親しまれました。当機は飯田線で活躍後、先述のED11形に変わり浜松工場で入換機になりその後廃車されましたが、1992年に車籍復帰し、古巣飯田線でトロッコファミリー号を2005年まで牽引していました。
両機をつぶさにみていると、アメリカとイギリスの違いみたいなものを感じることができます。