新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

東日本大震災から半年

2011-09-11 08:43:44 | 日記
東日本大震災発生から今日で半年が過ぎました。
半年は過ぎましたが、いまだに復興への道筋は見えていません。それどころか、相変わらずの失言大臣で政局の混乱を招く始末です。
浦安市も液状化により被災し、半年たったいまも、段差のある道路や傾いた塀・電柱、道端に残る吹き上がった砂など震災の爪痕が残っています。完全復旧の道のりは遠いですが、少しずつ復興へむけて進んでいくことでしょう。


がんばろう、ニッポン。がんばろう、うらやす。

リニア・鉄道館8

2011-09-10 11:08:50 | 鉄道

最後に111・113系です。トップナンバー車クハ111-1が展示されています。
東海道線用に1962年に製造開始され、1964年からは出力増強型の113系になり、1981年まで製造されました。東海道山陽筋ではおなじみの電車です。ちなみに113系は電動車のみ形式が与えられ、制御車と付随車は引き続き111形で製造されました。

車内は原型のままです。ドアも懐かしい鋼製ドアです。のちにステンレス製ドアに取り替えられていきますが、113系や103系でも交換されずに残っていた車両があり、原型ドア車として珍重されていました。武蔵野線には更新車にも関わらず、鋼製ドアのままの車両がいて、通学時に乗車すると得した気分になったものです。

このほかにも振り子特急の祖381系や、オイラン車とよばれる車両限界測定車なども保存され、大宮・鉄道博物館と違った楽しみ方ができます。


リニア・鉄道館
東海道新幹線名古屋駅よりあおなみ線乗車。終点金城ふ頭駅下車すぐ。


リニア・鉄道館7

2011-09-09 21:00:40 | 鉄道
こちらは非常に珍しい車両です。ホジ6014といい、蒸気動車と呼ばれる車両です。
まだディーゼルエンジンが実用化される前、いわゆるローカル線用に蒸気機関を利用して開発された車両です。写真の側の車内に蒸気機関車と同じようにボイラーがあり、台車にはシリンダーからピストン棒がつながっています。その後ろに三等客室があります。屋根に煙突があるのがわかると思います。
しかし、ガソリンカーやディーゼルカーが実用化されるまでの活躍でした。辛うじて戦後まで残りましたが、ディーゼルカーの本格投入でひっそりと消えていきました。

当車は1912年に安治川口の汽車製造会社大阪支店で製造され、鉄道院に納入されました。廃車後は愛知県犬山の博物館明治村に保存されていました。国内唯一残る蒸気動車です。

リニア・鉄道館6

2011-09-08 19:19:10 | 鉄道

お次は輸入電機を2台。最初はED112です。ED11形は1923年のアメリカ・ゼネラルエレクトリック製で、2両が輸入され横須賀線・伊東線で使用されました。当機はその後1976年まで浜松工場にて入換用で使用され、廃車後は同工場にて保存されていました。ちなみに相棒の1号機は西武鉄道に譲渡されE61となり、現在は横瀬車両管理所で保存されています。


こちらはED182です。イギリス・イングリッシュエレクトリック製です。ED18形は大宮・鉄道博物館に保存されているED17形の軸重軽減改造機で、台車に軸重軽減用の小型車輪がついています。飯田線でつかわれ、車体の通風機から「クロコダイル」とも、また製造工場から「ディッカー」とも呼ばれ親しまれました。当機は飯田線で活躍後、先述のED11形に変わり浜松工場で入換機になりその後廃車されましたが、1992年に車籍復帰し、古巣飯田線でトロッコファミリー号を2005年まで牽引していました。
両機をつぶさにみていると、アメリカとイギリスの違いみたいなものを感じることができます。


リニア・鉄道館5

2011-09-07 20:17:13 | 鉄道
よくぞこの電車を復元してくれたと思います。モハ63638です。当初はクモヤ90005がリストアップされていましたが、原型に復元して展示してくれました。良くも悪くも国鉄電車史に名を記す電車です。
モハ63型電車は戦時中の逼迫する通勤輸送に対処するために製造されました。資材不足のため三段窓や内装の簡略化、さらに一部車両は電装も省略されました。そのため絶縁不足による火災で109名の犠牲者を出す桜木町事故を起こしてしまいます。
しかし、20m級4扉ロングシートの車体構造は通勤電車の基本形となり、現在のE233系や321系へつながっています。さらに戦後には東武・小田急・南海など私鉄にも投入され、各社で4扉通勤電車化を進めて行きました。