松山城は1602年に加藤嘉明にによって築城が開始され、1627年に加藤嘉明の後に松山入りした蒲生氏郷により完成した城です。天守は1854年に再興されたもので、現存12天守のうちで最も新しい天守ですが、江戸時代の建築様式を残す最後の建物で重要文化財になっています。松山城は勝山の山上に作られた山城で、山の上の天守は松山市内からもよく見え、築城当時は威容を誇っていたことでしょう。
松山城といえば登り石垣。見上げるような勾配の石垣は今見ても素晴らしいものです。しばし佇み石垣を鑑賞しました。
登ってゆくと、二の丸から本丸へ向かう場所にある筒井門に出ます。松山城最大の門ですが、現在見られるのは復興された門です。登城した際には甲冑姿の門番がいました。観光客向けのサービスのようで、写真撮影にも気軽に応じていました。
その横には重要文化財の隠門。筒井門に攻め込んでくる敵の背後から襲撃できるようになっている門で、築城当時の建物が残っています。石垣の向こうに隠れるようにあるので、言われなければ通り過ぎてしまう門です。
筒井門をくぐり枡形を通ると太鼓門と巽櫓。この太鼓門は本丸へ通じる門で、連続して太鼓櫓や巽櫓が設けられて敵の侵入を阻んでいます。こちらは復興櫓と門ですが、復興された建物とはいえものがあるとないのではイメージが変わってくるのを改めて感じます。
太鼓門を抜けて本丸へ出ると、松山市街地が見渡せます。マラソンがスタートを迎えたようで、アナウンスが街から聞こえ、上空にはヘリコプターが飛んでいました。
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