「未来の人に、戦争の体験は不要です。しかし、戦争の事実を正しく学ぶことは必要です」──広島市で行われた平和祈念式典で述べられた「平和への誓い」。
原子爆弾が投下される前の広島には、美しい自然がありました。
大好きな人の優しい笑顔、温もりがありました。
一緒に創るはずだった未来がありました。
広島には、当たり前の日常があったのです。
冒頭この言葉で始まった今年の「平和への誓い」は、「一人ひとりの命の重みを知ること、互いを認めあうこと、まっすぐ世界の人々に届く言葉で、あきらめず、粘り強く伝えていきます。広島の子どもの私たちが勇気を出し、心と心をつなぐ架け橋を築いていきます」という言葉で締めくくられました。
今年の8月は、これまでと違う情勢のもとで迎えています。
それは、7月7日に核兵器禁止条約の採択という歴史上初めて核兵器が「悪の烙印」を押されて迎える夏だからです。(核兵器禁止条約の意義については、党創立95周年記念講演会で志位委員長が講演した内容をご覧ください)
広島市長の「平和宣言」、子ども代表の「平和の誓い」と比べて、一国の首相のあいさつがいかに陳腐であったかは論じるまでもありません。
ごく普通の日常。長男は私の膝の上、長女はパートナーの膝の上。家族で目をつぶって黙祷しました。次男は発熱でぐっすり眠ています。ごく普通の何気ない朝の時間。こういう当たり前の日常を奪うような戦争や核兵器に私は体をはって反対します。
8月6日8時15分、町田市では広島に原爆が投下された日として無線放送が流れる。長男は私の膝の上、長女はパートナーの膝の上。家族で目をつぶって黙祷。次男は発熱でぐっすり眠る。ごく普通の何気ない朝の時間。こういう当たり前の日常を奪うような戦争や核兵器に私は体をはって反対する。
— 池川友一 (@u1_ikegawa) 2017年8月6日
「絶対悪」である原子爆弾は、きのこ雲の下で罪のない多くの人々に惨たらしい死をもたらしただけでなく、放射線障害や健康不安など心身に深い傷を残し、社会的な差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪めてしまいました。https://t.co/9EjzpSIKGu
— 池川友一 (@u1_ikegawa) 2017年8月6日
72年前の今日、広島に原爆が投下されました。
— 『この世界の片隅に』ロングラン上映中! (@konosekai_movie) 2017年8月5日
わたしたちの映画では追悼の念にはまだまだ足らないのかも知れませんが、それでも戦争を考える何かのきっかけになればと思っています。 pic.twitter.com/z2xKJZC6jA
(写真は長島可純さん撮影)
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