飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

資本主義経済の終焉!!特別編

2008-10-12 20:20:23 | 日本

資本主義経済の終焉!!③
に送られてきた『
たばこ大好き君』のコメントに対する反論!!

2008100847002101l

<米テネシー州で開かれた、大統領選の2回目の討論会で、聴衆に手を振るオバマ氏(左)とマケイン氏=AP【記事には無関係:議論は民主主義の基本】>

 投稿 たばこ大好き | 2008-10-12 01:45のコメントに対して、投稿者は直ちに反応した。別に悪意を感じたわけでも、怒り心頭に発したわけではない。少々、行儀が悪いので、叱ったのである。そして、返事を書くと同時に、『たばこ大好き君』のブログに同様のコメントを投稿した。詳しくは、リンクから読んで頂ければ幸いである。

 そしたら、即、回答があった。それを転載する。


【たばこ大好き君の回答の転載開始】

コメントありがとうございます。

確かに、礼儀を欠いた非礼なコメント及び方法だなと、反省しています。

申し訳ありませんでした。
さらに、表記、表現の仕方も乱暴で乱雑であった事も、自分で認めます。

申し訳ありませんでした。自分でもアップして、すぐに。そしてコメントして、すぐに思っておりました。
自分は、瓢平さんのおっしゃってる事に対し、全面的に反論するというか、違和感みたいたものを持っていません。

ただ、「金融は、所詮博打である」という言い方は、ちょっと違うんじゃないかと思う。「金融市場は、国民共有の財産であり」、それを「カジノ化」し て損なう者に対して、きっちりと審判が行われなかったという事を肯定してしまうニュアンスがあるなと思いました。「博打だからしょうがない」と。

そういったムードが他に対する影響力のあるブログ管理人の方がすると、「りそな」や「長銀」「日債銀」の処理、それに対する責任追求。果ては「郵政民営化」まで「博打の処理をするための改革断行、郵政民営化」と叫ばれていた時期と重なる。

金融のカジノ化、その後のバブル崩壊を、うまく利用されてしまった無念さ、また、その繰り返しを見せられてしまうのかという思いがあります。

「金融が博打である」と認識されてしまうのは、金融関係者が、まず反省しなければいけない事だと思いますが、「本来は、博打ではない」事をわかっていただきたいのです。

「金融」は「国家」の血液です。「博打」であっていいはずがないですし、「博打」であるならば、是正しなければいけないと思います。植草先生の闘い も、そこにあると思います。相も変わらず、乱雑な文章で申し訳ないのですが、取り急ぎ、お詫びとご返事をと思い、外出先より返信させていただきました。

これからも、ご指導、ご指摘、よろしくお願いします。

【たばこ大好き君の回答の転載終了】

 
 殊勝な回答である。好感が持てる。従って、遺恨は微塵もない。今度は約束通り、彼の見解に対する詳細な反論を展開する。これは当然の権利であり、そう宣言した義務もある。


 博打は、金品をかけて、賽(さい)や花札・トランプなどの勝負をすること。賭博(とばく)。ばくえき。とある。これは字義である。金品をかけて株や、債権、商品に勝負をすることに変わらないから、株式取引、種々の債権取引、商品取引は広義の博打と表現しても、何の不都合はない。


 『たばこ大好き君』はそれが気に入らなかったみたいだ。それはその人の感じ方であるから、どうこう言うつもりはないが、上記の論拠で博打と表現して批難されるいわれはない。批難でなく、批判であるというなら、その論拠を示すべきである。感じ方でどうこう言うのは、批判ではなく、文句に過ぎない。金融が株式取引、種々の債権取引、商品取引を一般に指すのであれば、金融は所詮博打であると言っても、何ら差し支えがない。


 金融についての見解を披瀝しよう。金融は経済の血液である、一般に言われていることを投稿者は承知している。金融とは、<金銭の融通。資金の需要と供給との関係。金の流れ。>であるから、そういう表現も穿ち得る。博打も金融の一部である。パチンコ・競馬・競輪は博打である。合法とされる博打である。ではその境目は何か。実体経済と無縁の虚業に属するモノを博打と表現すると認識している。
 実体経済とは、物を作り、サービスを提供し、あるいは物流を促進して、経世済民(生活)の用に供するモノと認識する。その為にある金融ならば、博打と呼ぶ事にふさわしくない。投資は直接金融であるし、融資は間接金融である。投稿者はこうした実体経済に対する金融を博打と表するつもりはない。それは常識の範疇で言うまでもないことである。


 しかしながら、現今の金融と称して、どのようなことが行われているか。『金融工学』と称して、実体経済とかけ離れた<金銭の融通。資金の需要と供給との関係。金の流れ。>がまかり通っているのである。これを博打と言わずして、なんと表現出来よう。


 サブプライムローンは金融である。


 サブプライムローン組み込み債権取引は、博打である。投稿者は言外にそう表現したまでで、何の不都合があろうか。それを感じ取られないようでは、議論にならない。見識の違いである。見識の差であると言いたいところであるが、妙に卑下した表現になるので差し控えるが、そういうことである。


 現在、金融は『金融工学』の傘の下、マネーゲーム化した虚業と化している。パチンコ・競馬と何ら変わりがない。オッズと称する掛け率は、金融の世界ではレバレッジ(テコ)と呼ばれる。それが、日証金では株の信用取引では4倍、商品取引では10倍、FX(為替取引)では100倍にも達すると承知している。これらの金融は、博打である。


 パチンコでも、連勝回数が多数になると、警察は摘発に乗り出す。当然である。射幸性の高い娯楽は、如何に合法な博打でも、違法と見なされる。それが、金融の世界にはない。それを、見過ごされることによって、本来、実体経済を潤すべき<金銭の融通。資金の需要と供給との関係。金の流れ。>が、金融と称するマネーゲームに流れているのである。


 あたかも、人体の各部に供給されるべき血液が、金融と称する『ガン細胞』に流れて、人体(実体経済)を蝕んでいるではないか。それを虚業と言わずして何というか。


 本来、直接投資は、リスクマネーと言って見返りは期待するが、元本は保証されない。その投資が、今は事業に投資されることなく、様々なファンドに投資され、それも法外な利回りを当然のごとく吹聴される。実体経済の投資収益率は精々数パーセントであるというのに....。
 銀行は銀行で、殖産興業・経世済民に寄与するならともかく、これも又、M&A、LBA(レバレッジバイアカウント)など企業買収にうつつを抜かし、多くの失業者を生み出す元凶がある。これが金融資本主義に実体である。これはおかしい、何かが狂っている、と考える人々は多い。


 投稿者は、これらの実相を分かり易く、『金融は所詮、博打である。』と表現した。これは言わば、禅の一転語(単刀直入の表現)と言うべきモノで、何ら、不都合な表現ではない。


 以上、詳細に反論したが、『たばこ大好き君』、ご理解頂けただろうか。真意をご理解頂けたとしたら、嬉しい。勿論、どんな反論も受け付ける。


 仲良く、正々堂々と議論しよう。当然、完敗したら、投稿者から頭を下げる事に躊躇しない。潔く、直ちに回答してくれたことを、心より感謝したい。