飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

あきれた高級官僚の倫理規範!

2007-11-15 21:06:26 | インポート

接待ゴルフは「300回・1500万」…米津参考人

(2007年11月15日14時3分  読売新聞)によると、
 <参院外交防衛委員会(北沢俊美委員長)は15日午後、守屋武昌・前防衛次官(63)を証人喚問した。

 午前中は、航空・防衛分野の専門商社「山田洋行」の米津(よねづ)佳彦社長を参考人として招致、米津氏は、同社元専務の宮崎元伸容疑者(69) による守屋氏にかかわる接待ゴルフにかかった費用は、「8年間で300回以上、総額は1500万円以上」だったことなどを明らかにした。>だそうである。

【ある税理士の嘆き】
 とある法定講習があって、出席を余儀なくされた。そこで、講師の税理士の嘆き。面白かったので報告する。

 仮にOさん(女性税理士・講師)としておこう。Oさんは平成2年まで勤めた元公務員だった。退職して、現在は売れっ子の税理士である。勤務先は3大都市の某税務署。
 税理士になってからも、時々、その都市に行ったときは、元同僚の友人(某税務署 課長)を訪ねる。食事をして、時には友人の家に泊まらしてもらい、旧交を温める。こういう付き合いを、何度もしている。
 しかし、平成13年になって、久しぶりにOさんは友人に連絡を取った。『また、行くのでよろしくね。』 ところが、友人の返事が思わしくない。 『もう、あなたとは会えない。』とつれない返事。どうしてかと訊くと、国家公務員倫理規程(平成十二年政令第百一号)以来、『会って、付き合いが発覚する と、懲戒解雇されるかも知れない。』とのこと。
 と言うことは、友人が退職するまで、従来のように会うことも出来ないのかと、Oさんは愕然とした。税理士である現在の職業を恨んだ。

 Oさんの落胆ぶりに意を決した友人は、思い切って国税局局長に直談判した。一税務署の課長が、キャリア官僚の局長に直談判である。『旧同僚が、久しぶりに出てくるが、会うと国家公務員倫理規程に抵触するか否か。旧同僚は税理士である。』
 局長の回答。『Oさんのクライアントが、管轄内にいる場合は、抵触する。いない場合は抵触しない。』
 幸いなことに、Oさんのクライアントは、元勤務先の都市には一人もいなかった。めでたし、めでたし。二人の交友は続いている。

 しかし、それに引き換え、高級官僚の国家公務員倫理規程無視は、目に余る。それは、特権意識からか、誰もとがめないからか。国家公務員倫理規程 はノンキャリアのみ対象と決めているからなのか。単なる規範意識の欠如か。そもそも、高級官僚のために国家公務員倫理規程が出来たのではなかったのか。
 高級官僚の接待交際のメリットは大きいが、下っ端の接待なぞ、大してメリットはないと思うのは、世の常である。

 これでは、国は治まらない。


信用創造の巧妙なトリック!

2007-11-15 17:06:15 | インポート

信用創造という金融マジックに欺されるな!!!

 一体、何人の人が、お金の仕組みついて深く考えたことがあるだろうか。? 手にしたお金。世の中のお金。銀行のお金。預金。借金。マネーサプラ イ。公定歩合。長期プライムレート。準備預金。準備率....。マジックが複雑であるほど、その仕掛けが多い。これは世の常である。
 お金の基本は、誰でも知っている。交換の便利な手段として機能である。ところが、現代のお金はそれだけではない。お金そのモノが価値を主張し、お金を生む魔物と化している。それが『信用創造』と言うマジックである。

 世の中にどれくらいのお金が出回っているのか、銀行の金庫にどれだけのお金があるのか知る人は少ない。実は、ほとんどないのである。ウソだと 思ったら、(仮に口座にあればの話だが)早朝、銀行に1千万円引き出そうとして、訪ねてみれば解る。連絡無しに突然行くと、銀行員はあわてて上司に相談す るか、小さな支店だと断られるか、寄せ集めのシワクチャの紙幣を無造作に束ねて差し出される。そして、云われる。『今度は、前もってご連絡頂けませんで しょうか。くれぐれも。』

 実は、銀行は預金量の最大100倍貸し出し可能である。今、金利が安いから、預金金利が1%とすると、貸出金利はまあ3%であるとする。庶民 は、差額が2%が銀行の差益だと考えるが、これは大間違い。仮に10億の預金量の支店の場合、年間差益は最大約(1,000億X3%-(10億X1%+諸 経費+α)=29億9,000万-(諸経費+α)なのである。αは準備預金費用その他である。
 これは、日本銀行の準備預金制度における準備率(http://www.boj.or.jp/type/stat/boj_stat/junbi.htm)から荒っぽく推計したモノである。

 つまり、世の中のお金の最大100倍バブル化することを予定して貸し出し枠を決めているのである。貸出金が順調に返済されることを前提にしてのことではあるが.....。
 この事を考える人は少ない。貸出金が順調に返済されない状況、それがバブルの崩壊である。理論的に云うと、上記の場合、3%以上不良債権化すると、銀行は内部留保を取り崩さなくては為らず、危機に立つ。いわゆる信用収縮である。

 それにしても、いつからこの制度が出来たのであろうか。そして、この制度故にこの恩恵に浴し、資金を調達できる人はごく一部である。貸出金が順 調に返済されることを前提に信用を供与できる人は少ない。故に信用保証事業がセットになり、預金金利を上回る保証料を要求される。そして、生命保険をセッ トされる。担保を差し出す。連帯保証人を要求される。
 それでも貸し出し量をまかなえないから、ノンバンクを通じて高金利で貸し出される。
 
 資本社会は、所詮自転車操業が前提である。実体経済(実際にあるお金)の数十倍の借入金により、得べかりし利益を求めて自転車操業しているのが 実情である。資産はその経済の規模から算出された含み資産として計上されて、バランスを保ったかに見えるが、所詮は砂上(得べかりし利益上?)の楼閣であ る。
 この制度で、誰がもっとも不労所得を得るか。云うまでもなく銀行である。制度が崩壊しない限り、銀行が全ての王様であって、銀行による銀行のための制度である。その元締めは中央銀行である。
 中央銀行を制する者は、その国を支配できる。全ての中央銀行を制する者は、世界を支配できる。全ての産業、全ての市民はお金によって隷属している。国際金融資本が世界を支配する構造はこの『信用創造』のトリックによる。

 お金について考え、お金の制度を変えるときに来ている。お金が交換便益を否定することは出来ない。ならば、その制御を市民に取り戻さねばならな い。そして、行き過ぎた『信用創造』と『金利』という概念を根底から変更しなければならない。全てにコストはかかるから、コストは分担しても、金利は見直 さなくてはならない。お金は『お足』という。本当の『お足』に作り替えなければならない。その時に来ている。
参考:エンデの遺言 -根源からお金を問う-
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=566211
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=566214