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つれづれ 2

庭の花や身近な出来事などを退屈しのぎにあれこれ綴っています。

左義長

2018-01-14 16:01:46 | お出かけ



一年間の無病息災と五穀豊穣を願って
小正月に行われるどんど焼きの行事は
成人式が15日でなくなってから
各地での実施はまちまちの様です。

ご近所の方が誘ってくれなかったら、
今日である事を知りませんでした。
近くの八幡様では午後1時から始まっていました。

時々青竹のパーンと跳ねる音と共に
燃え上がる炎が気持ちよく感じ、
煙と炎は久しぶりに見た感じです。

火力が落ちてきた頃お団子を焼き始めます。
今年は上手く焼けたので
砂糖醤油が用意されていたので美味しく頂き
童心にかえった様なひと時を過ごしてきました。



















泉岳寺

2017-12-06 17:12:49 | お出かけ



師走の一日、高輪の萬松山泉岳寺へ行って来ました。
都営浅草線泉岳寺駅下車、
5分位歩くと中門が見えてきます。
何年振りだろう… 昔 上京した母と妹を
はとバスで泉岳寺へ行った時の事を思い出しました。

亡き母が時々口遊んでいた鉄道唱歌の
汽笛一声新橋を…出発した汽車が最初に通過する名所として
唄っていた「♪右は高輪泉岳寺四十七士の墓どころ 
雪は消えても消え残る 名は千載の後までも…♪」と

そんな事を思いだして友達に話したら頷いていました~
友達のお母様も母と同年輩位の方の様でした。

中門
現在の中門は天保7年(1836)に再建されたもので
昭和7年に大修理を施されています。



山門
天保3年(1832)に再建されたもので戦災を逃れて
昔の姿を留めています。「泉岳寺」の額は普唐の
墨跡研究者であった大野約庵による書です。



本堂
旧本堂は戦災の空襲にあい焼失、
現在の本堂は昭和28年12月14日に落成した。



鐘楼
現在も朝の座禅の時と夕方の閉門の時に憧いています。



義士墓入口の門
この門は浅野家の鉄砲洲上屋敷の裏門で
明治時代に移築したものです。



長矩公夫人の墓と刻まれた墓誌が立っています。
隣りは四十七士を弔う墓所になっています。



大石内蔵助の墓
元禄15年12月14日雪の降る夜、吉良亭へ討ち入りをし、
その後本懐を成し遂げた赤穂義士は元禄16年(1703)
2月4日に幕命により切腹した後直ちにこの地に埋葬されました。



四十七士の眠る墓が並んでいます。
線香の煙が絶え間なく流れていました。



堀部弥兵衞と並んで磯貝十郎左衞門の墓がありました。



友達から12月14日は混むので少し早目に行きましょう、と
誘って貰いましたが、この日も多くの参拝者が訪れていました。

線香の香りが絶える事無く辺りを包んでいました。
オフィスビルが立ち並ぶ何でもない都会の風景が広がる中に
ひっそりと歴史の物語が息づいています。
帰りに中門の裏で頂いたあま酒が冷たい体を温めてくれました。


六義園の紅葉

2017-11-30 12:33:34 | お出かけ



江戸時代を代表する回遊式築山泉水の庭園、
六義園の紅葉を見に行って来ました。(11月29日)
この日は暖かい小春日和の一日で
日中はオーバーを脱いで手で持って歩いている人や
半袖姿の若い人もいました。
友達と駒込駅で落ち合い
今日は特別開門の染井門から入場しました。

10時半、大勢の人がもう染井門の前に並んでいます。



染井門から入るのは初めてです。自然の美しい道が続きます。



先ず、竹林の中の見事な紅葉が目に入った~



「和歌のうら蘆辺の田靍の鳴く声に夜わたる月の影ぞさびしき」
の歌から名付けられた渡月橋。石の橋です。
二枚の大岩の重量感が辺りの雰囲気を引き締めています。



イロハカエデ400本。ハゼの木、銀杏など500本以上。



遠くにつつじ茶屋が見えます。



山陰橋からつつじ茶屋を撮りました。



明治年間つつじの古木を用いて建てられた茶屋で
戦災を免れ、現代にその希少な姿を伝えています。
全体に老朽化が進んでいるため周囲を桑の木の控柱で
補強されています。モミジの紅葉に包まれていました。



遠くに先ほど渡って来た山陰橋が見えます。



吟華亭(吟花亭)・峯花園跡
作庭当時周囲の桜などを眺めながら食事をする場所として
利用され吟花亭と云う建物があった所です。
今はつつじが多く植えられています。



滝見茶屋も鮮やかな紅葉に包まれています。



松の木には雪吊りが装飾として庭園を飾っていました。
この六義園の六義とは 風・賦・比・興・雅・頌 の六体が
名称の由来となっています。
古代中国の詩の形成を分類したものです。



宣春亭(茶室)の紅葉です。



宣春亭(茶室)まで行ってみました。
風趣の門に一本の美しい彩りのモミジの木がありました。



茶室側からの眺めです。

柳沢吉保が作った回遊式築山泉水の雅な庭園に
和歌の心の息づく美しさが反映されている六義園。
紅葉も然ることながら十分に堪能できた一日でした。




日光東照宮

2017-11-08 14:10:47 | お出かけ



今年の立冬は暖かくて快晴の一日でした。(11月7日)
その日、日光の東照宮へ行って来ました。

駐車場からなので大鳥居からは入りませんでした。
静寂な感じの道を東照宮へ向かいます。



表門より入る(人の少なくなるのを見計らって撮っていますが…)



境内で先ず目の入った上神庫の創造の象。
上神庫の端に二頭の大きな彫刻があり、耳の付き方や
尾の形が実際とは異なっている。
東照宮建立時、狩野探幽が実物を知らず想像で下絵を描いた事から
想像の象と呼ばれている。





東照宮で最も有名な「見ざる 言わざる 聞かざる」の三猿の彫刻は
神厩舎の8枚の欄間の二番目にあたるもので猿の一生をもって人間の
生涯を風刺した物語となっている。



玉石と石段の続く境内。



奥に陽明門が見えています。



国宝陽明門。
日光を象徴する建物です。



柱は欅に過巻の彫刻が施されている。



動物や花等が沢山彫刻されています。




天人の舞楽や昇竜など…
息をのむ様な鮮やかな彫刻が素晴らしいので一日見ていても
飽きないと云う事から別名 日暮の門とも呼ばれています。



国宝 眠り猫
坂下門へと続く東回廊の上にある彫刻で
牡丹の花の中で眠っている小さい猫。左甚五郎の作と云われている。





この回廊を潜って長い石段を昇ると徳川家康の墓があります。
「人の一生は重荷を背負うて遠き道を歩くが如し急ぐべからず」



重要文化財 奥宮御塔(徳川家康の御墓所)
八角九段の基盤の上に建っている宝塔です。

前日、日光がテレビで放映された事もあってか、もの凄い人出でした。
人物が入ってしまった写真が多いので沢山割愛して投稿しています。
何年振りかの懐かしい一日を過ごしてきました。

六義園

2017-11-02 16:00:35 | お出かけ



六義園の近くにお住いの友人宅へ遊びに行って来ました。
お邪魔する前に六義園の散策をしましょう…と云う事で
まだ紅葉には早いようですが
何年か振りに園内を歩いて来ました(11月1日)

駒込駅から歩いてすぐの所にある染井門は閉ざされています。
特別開門は桜と紅葉の見頃の頃だけです。



少し右へ回って正門より入る事にした。
煉瓦塀が長く続きその先に正門はあります。
この煉瓦塀の説明書きがある処だけが歴史的な返遷を
物語っている煉瓦で、他はタイル張りだと友達が教えてくれました



正門より入る。



内庭の大門を潜ると枝垂れ桜があります。
三人で春の満開の頃に是非観に来ましょうと約束をしました。



六義館跡の宣春亭は茶室として利用されています。



遠くに田鶴橋と灯篭が見えます。



大泉水。
この庭園は元禄15年(1702)川越藩主柳沢吉保が自ら設計
指導して完成した回遊式築山泉水庭園です。
吹上茶屋の赤い絨毯が目に入ります。夏の緑と違って
装う前の色々と混みあっている緑に、中々の趣がありました。



つつじ茶屋へ行く道ですが今日は時間の都合で行きません。



対岸では多分ウルシ科の木だと思いますが少し紅葉しています。



吹上茶屋で景色を愛でながら美味しいお抹茶を頂きました。



吹上茶屋からの眺めです、田鶴橋と中の島が見えます。



一服した後 渡月橋の石橋を渡って又歩き始めた、田鶴橋は通行不可でした



出汐湊は大泉水の池畔の名の一つ。
湾流から大河川、そして最終的に海へと流れて行く河口の湊を
イメージしている池の眺めだそうです。

予定があるので大急ぎで大泉水を一回りしてきましたが
山茶花、ツワブキ、ホトトギスなどの
赤や黄色、橙が大名庭園を彩っていて思いがけない
いいミニミニクラス会でした。