つれづれ 2

庭の花や身近な出来事などを退屈しのぎにあれこれ綴っています。

催行中止

2018-07-04 08:35:26 | にっぽんの街並みと老舗の味




一昨日「重要、すぐにご開封ください」と云う文書が届きました。

にっぽんの街並みと老舗の味のツアーの件でした。
内容は最少催行人数に達しない為、中止せざるをえなくなりました…
謹んでお詫び申し上げます…と云う文面でした。

それも立川・八王子発のコースのみの中止でした。

新宿や上野発は実施しますので、そちらに変更の手続きのご案内も
申し上げます…

新宿や上野発は、とても無理なので早速、電話でお断りしましたが、
全コースを一括で申し込んでいましたので
本当に残念でなりません。にわかに信じられない位、吃驚しましたが
最少催行人数に達しない為…なら やむを得ません…

たった3回でしたが新たな発見や感動を覚える忘れる事の出来ない位、
心に残るいいツアーでした。
スタッフのさりげない心遣いにも感謝しております。

又新たな感動を求めて代替えを探したいと思っています。


情緒溢れる佐原と十一万石の城下町佐倉へ

2018-06-22 14:31:42 | にっぽんの街並みと老舗の味



にほんの街並み第三回は千葉県です

毎日の雨降り続きで、心配していましたが
曇天でしたが、この時期としてはラッキーな一日でした。

一度も行った事のない佐倉城址は一番興味をもっていましたが
やっぱり「百聞は一見に如かず」です。
参加する事に意義があると思いました。(6月21日)

最初に訪ねた佐原街並み交流館。ここでガイドさんと合流しました。
歴史の息づく町の様子などや、ミニ建物の奥の細かい部分に至るまでの
手造りの展示を拝見しました。



忠敬橋からは遠くに「とよはし」別名「ジャブジャブ橋」が見えます。
ジャブジャブ水が落ち続けている橋です。





伊能忠敬記念館(撮影禁止)
忠敬の人生と共に伊能家の沢山の資料を拝見しました。

江戸時代の佐原は利根川や小野川を利用して江戸の文化が一早く伝わり
商人の町ならではの自由な雰囲気がありました。

当時の伊能家は酒造りや米の売買などの商売をしている名家でした。
忠敬は17歳で伊能家へ婿養子になりました。

忠敬は好奇心旺盛な勉強家だったようです。
文学・歴史・医学・数学・測量術・天文暦学の本に親しむ
教養人であった事が展示物を見ていて伺えました。

55歳で北海道南岸の測量を行い、日本全国の測量を71歳まで続け
73歳で亡くなりましたが没後3年にして弟子達により日本全図は完成しました。



伊能忠敬の旧住宅
主な家業である酒造業を営んでいた店舗となっていた処で
江戸時代の雰囲気が良く表れています。



庭には
伊能忠敬像があります。



佐原は江戸時代から利根川水運の中継港として発展し
商人の町として栄えました。
伊能忠敬旧宅の近辺には江戸・明治大正・昭和期の町屋・土蔵・レンガ造りなどの
情緒漂う建物が数多く残っており関東で初めて国の
「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。




麻生家本店の老舗で鰻の昼食を頂きました。
美味しい うな重でした、やっぱり千葉県である事が頷けます。

午後は佐倉城址公園から歩きます。ここでガイドさんが変わります。
二班に分かれて各班にガイドさんが付いてくれました。

佐倉城は印旛沼へ注ぐ鹿島川、高崎川を外濠とし、台地上に土塁を加えて
築城した平山城で石垣を用いていません。
戦国時代の中頃千葉氏の一族鹿島幹胤(みきたね)によって初めて築かれたと伝えられ
別名を鹿島山城とも呼ばれました。
後に徳川家康がその要害に着目し、土井利勝に命じ慶長16年(1611)正月から
7年間を費やし、元和3年(1618)ごろに完成しました。
佐倉城址概略図



馬出し空合濠
城門前に築いて人馬の入り口を敵に知らぬようにした土手が「馬出し」です。
この空濠は、明治初期より連隊造営の為埋め立てられていたもので、
昭和46年から二回にわたる発掘調査により、長辺121m・短辺40m・のコの字型、
深さ5,6mの規模と確認されました。
(復元にあたっては長辺、短辺はそのままとし深さを約3mとしてあります)



椎木門跡。



一の門跡。
東面、木造、本瓦二階造り、本丸から見て初めての門で一の御門と呼ばれていました。


説明版より



本丸跡。
天守閣、銅櫓、角櫓、御殿がおかれ御殿の前庭には
金粉をすり込んだ栗石が敷かれていたと伝えられています。



夫婦モッコク
本丸跡にあり庭樹の一つであったと考えられます。



佐倉城の天守閣は二段の土塁上に片側を掛ける造りでした。
本丸側からは4階建て、反対側崖下(搦め手側)からは3階建てに見えました。
その造りを石碑で再現しています。
天守閣は文化10年(1813)に盗人に行燈が倒された事により火災になり
焼失し、その後再建されませんでした。





二の門跡。
東面、木造、本瓦、二階造り、
本丸から大手門に至る第二の門で「二の御門」と呼ばれていました。
一の門の東方一直線にあたり、武器庫として使用されました。
門内は二の丸といい、藩政を執る役所が置かれていました。


説明版より


大手門跡(追手門)
大手門は惣曲輪の表門、この門の西側には
広小路、中下町、大下町と云った武家屋敷が整備されています。


説明版より



武家屋敷通りに隣接した小径「ひよどり坂」を登りました。
今でもサムライが出てきそうな雰囲気の小径でした。

昇ったり下りたりで前日の雨の為、道が悪かったので大変でしたが
両側を竹林に囲まれ江戸時代の雰囲気を良く残した小径でした。



武家屋敷通り
関東地方では最大級の武家屋敷群になります。
道路に面して築かれた土塁や生垣など江戸時代の雰囲気を色濃く残しています。
通常は建物の外からの公開になっています。

旧武居家住宅
武家屋敷関連の出土品の展示が見られます。



旧但馬家住宅
武家屋敷関連の展示があります。



旧河原家住宅
武家屋敷の中で最も古いものとされています。
展示されている調度品に佐倉の武士の生活様式が伺えます。

城下町佐倉には佐倉藩の政治を支えた武士たちの屋敷や当時の様子などを
沢山見る事ができ、佐倉で生きた武士たちの生活を垣間見る事ができました。

今回もB2版(510×728)の大きな佐倉城の古地図を頂きました。

次回7月は山梨県です。
どんな歴史、文化、自然に出会えるか楽しみです。










小江戸色の残る商都・蔵の街とちぎ

2018-05-25 12:10:10 | にっぽんの街並みと老舗の味



にっぽんの街並みと老舗の味のツアー第二回は栃木市です

栃木県栃木市、県名を名乗る栃木市は何故か縁遠い所でしたので
是非一度訪ねてみたい所でした。
栃木市と云えば蔵の街、最大の見所でもある巴波川(うずまがわ)からの
眺めは黒塀と白壁土蔵が栃木市を代表する落ち着いた景観でした。(5月24日)

バスを降りて駐車場から歩き始めた。
大通りの面した蔵の街です。



今日のボランティヤの先生です。
愚問にもニコニコと答えて下さる優しい方でした。



今日の最初は船乗り場からの乗船です。



船の上からの景観は一味違った風情です。
白壁の塚田歴史記念館などが立ち並ぶ眺めは雄大でした。



船頭さんの漕ぐ船に身をまかせて楽しんでいる先に見えてきたのは
水門です。河幅が広くて気持ちのいい時間を過ごしました。



船から降り地上から眺める川沿いの蔵の景観は実に素晴らしかった。



何と言っても江戸後期の土蔵白壁の塚田家の住宅の存在です。
一目で当時としては たいそう立派な住宅だったという事が
すぐ解ります。この塚田家は船賃で財をなした
木材回漕問屋だったそうです。



幸来橋の上からの巴波川です。
栃木市の歴史の中心とも云える河で江戸時代には多くの材木を運ぶために
利用され江戸との交易の中心となった河です。当時の巴波川は
利根川を通り江戸の木場まで材木を運ぶための重要な交通ルートで
多くの物品が取引されました。現在は国の一級河川として整備されています。
江戸時代には巴波川沿いに多くの蔵が建てられ栃木は商人の街として栄えました。



河の対岸には横山郷土館が見えます。
横山家は店舗の右半分で麻問屋、左半分で銀行を営んでいた明治の豪商でした。
両袖切妻造りと呼ばれる貴重な建物には当時を忍ばせる帳簿などが再現されています。



「栃木蔵の街美術館」です。
およそ200年前に建てられた土蔵3棟を改修し美術館として現在に蘇らせ
栃木市ゆかりの作家の作品を中心に収蔵しています。



割烹〝仲乃屋”(1913創業)の老舗で地元食材を使った割烹料理で昼食。



午後は中乃屋の近くにある神明宮へおまいりをしました。


拝殿です。


本殿、御祭神 天照皇大神
神明宮は室町時代の中頃、伊勢の神宮より
御分霊を頂き創建された神社で「栃木のお伊勢さま」と称されています。
御祭神の天照皇大神は明るく強く生きる力を与えて下さる
霊験あらたかなる神様です。





次に訪ねた近龍寺の山門です。
室町時代の応永28年(1421)良懐上人の創建した浄土宗の寺院。
明治の初期、栃木県で最初の小学校及び師範学校が当山内に開設されました。



ここの寺には山本有三の墓があります。



墓誌には理由は解りませんが、戒名が刻まれていませんでした。



近くには「山本有三ふるさと記念館」があります。
高等学校卒業後、一時浅草の呉服商に奉公に出されましたが嫌で故郷に戻り
実家の家業である呉服店を手伝わされていました。
その後、どうしても勉強がしたくて、東京の学校に通うために上京し、
東京帝国大学に進学しました。後に日本を代表する小説家、劇作家になりました。
代表作に「路傍の石」「女の一生」等があります。



ここより日光例幣使街道に入ります。
現在の群馬県高崎市の倉賀野宿で中山道から分岐し、
佐野市の天明宿や栃木宿 等13の宿を経て鹿沼市の楡木宿で
「日光道中壬生通り」に合流する街道で元和3年(1617)に
徳川家康の棺が静岡の久能山から日光山へ改葬された際に
設けられたとされています。



これからの道は日光例幣使街道を代表する道です。



赤いポスト辺りから右に入ると代官屋敷が拝見できます。
江戸時代の陣笠や陣羽織、明治時代の床屋跡など見所が沢山ありました。



岡田嘉右衛門家
26代を数える栃木県屈指の旧家です。
ケヤキ一枚板の廊下、床柱は黒柿、天井板は屋久杉などと
見事な木造建築でした。




江戸時代には江戸との交易の中心ともなった巴波川、
蔵の街の中心部を流れるこの巴波川は栃木市の発展に大きな
役割を果たしてきた河でした。
船頭さんの案内や歌を聞きながらゆったりと
江戸情緒あふれる街並みを楽しみました。

今回も市制十五周年記念に発行されたと云う古地図を
頂きました、B2版(515×728)の大きさの立派な地図でした。

次回6月は千葉県です。
どんな歴史、文化、自然に出会えるか楽しみです。

 










真田の里・沼田城下町

2018-04-28 09:40:07 | にっぽんの街並みと老舗の味



〝にっぽんの街並みと老舗の味〟のツアー第一回に
参加してきました。(4月26日)

途中、1907年創業の酒蔵を見学し甘酒を頂いて一休みしてから
又バスからの車窓を楽しみながら沼田市内に入った。

そうそうバスの中で、一文銭のシールが六枚貼ってある
チケットを頂きました、好きな名物と交換するのが楽しみ…です。

(散策後、私達は樫木のバームクーヘンと名物味噌パンに交換しました)

「姫本」と云う老舗で真田御膳を昼食に頂いた~
流石は創業100年以上続いていると云う老舗だと納得した。
六文銭に見立てた薄切りの里いもの上に
柚子 山椒 甘味噌等…が載っているという「先付け」は
特に印象に残る美味しさだった!
沼田名物の〝だんご汁〟には皆さんも美味しい!と絶賛していました。

午後は散策です。三班に分かれて市内在住のボランティアの方が
各班に付き、古地図を見ながら街並みを歩くと云う楽しい散策。



タイムスリップした様な古いお店や、住宅の中に蔵がある家屋など
何時までも残して置きたいような暮らしの様子を沢山拝見し
沢山の写真も撮らせて頂きました。(掲載は省略します)



ここは鳩時計の専門店。
可愛い外観でお店の外まで沢山の鳩時計が掛けられていました。



参勤交代の殿様通りに面して 海王山金剛院があります。
これは高さ9メートルの大石灯篭です。
古刹に相応しく天海大僧正の像、四方赤良、狩野探幽
等の貴重な文化財が残されていました。


本堂。
境内には六地蔵、稲荷大明神、鐘楼などがあった。



この建物は沼田市役所。

その他、神明宮の常夜灯(重要文化財)や外濠の後を利用している駐車場など
見所が沢山ありましたが多すぎるので掲載は省略します。


沼田小学校の校門(大手門 正門跡です)





急勾配の坂道が多い街として有名ですが、これも眞田氏の防衛策の一つ。
長くて なかなか昇り切れない坂を時々見かけました。





天空の城下町真田の里 沼田
いよいよ沼田城址入り口に着きました。
日本歴史公園100選に選ばれています。
かって沼田城があった場所は現在はこの様な公園になっていますが
城があった頃の様子を思い浮かべながら城址散策に入った。



関ケ原の戦いで
兄、真田信幸は徳川方へ、弟の真田幸村は石田方に付いて戦った。
兄弟で東西に分かれて戦う事になったのは
どちら側が勝っても真田氏が存続できる様にと考えた父、
昌幸の策謀によるものと云われています。



園内ではチューリップ、芝桜、藤の花、つつじが
満開で私達を迎えてくれた。



沼田公園のシンボル鐘撞堂。
真田氏時代の城内にあったものの復元で、昭和58年に建てられた。
1634年に鋳造された沼田城三の丸で時の鐘として使われていたものが
架けられていたが現在は老朽化の為レプリカが架けられている、
本物は沼田中央公民館に保存されています。



城跡からの眺めです。



当時の石積が残る西櫓台跡。
かっては五重の層の天守閣をもつ大きな城があった所です。
1681年に破却された沼田城でしたが石組みの一部は完全に破壊されず
埋められていました。この西櫓台跡の石組みの階段は
発掘調査によって発見されました。


この石垣の上には真田時代から残る樹齢400年の御殿桜があり
現在でも春には美しい花を咲かせるそうです。


城跡からの眺めです。
谷川連峰などの山々が見渡せるピューポイントです。
谷川連峰が実に綺麗でした~
鐘撞堂の横を北に進むと小さな展望台がある所です。
広い公園内を歩いただけでは実感できませんが
こうして見ると、この場所が高台にあり、
この地域においては城を建てるのには絶好の場所である事がわかります
確かにこの場所なら、城下が一望でき敵が攻めてきても
その様子が手に取る様に解ります。







ふと、3,4年前頃だったでしょうかNHKのプラタモリで知った
河岸段丘と云う言葉を思い出しました。
平坦な部分と崖が交互に現れる地形の事ですが
河岸段丘に築城されている事を実感できる場所です。
この特殊な地形に目をつけた真田氏によって
天空の城下町は生まれました…
(あの時、沼田駅前でタモリさん絶賛していましたよね~)

再び鐘撞堂に戻った。

関ケ原の戦いの時、留守をしっかりと守った小松姫のお墓が
正覚寺にあると聞きましたが時間の関係でお参り出来なかったのは
残念でしたが、でも実に楽しくて いいツアーでした。
来月は栃木県です。どんな老舗の味が楽しめて
どんな古き良き歴史、文化、自然に出会えるか楽しみです。