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徒然にっき'18

OCNブログから引っ越してきました。
文華の日常を綴った、プライベート日記です。

「がんばろう福島」を背負った歌の祭典

2011-08-23 20:23:00 | 教育
我が子達は、今年も全校生で地区の合唱祭に出場。
元気な歌声を響かせてくれた。
この合唱祭は、NHKのコンクールの予選をかねている。
我々のような「自由参加」の部は、なんとなく震災復興を意識した選曲が多かった。
「Smile again」
「I love you & I need you ふくしま」
「With you smile」
といった感じ。


そして、我が校が歌ったのは「小さな祈り」。
実は震災前から、今年はこの曲を歌わせようと決めていた。
そして、練習開始をした5月のこと。
楽譜を印刷するときに、作者のコメントを読んで驚いた。
この曲は、作者松井孝夫(中学校の先生)さんが総合的な学習の時間で取り上げた、あるビデオがきっかけで生まれたというのだ。
そのビデオとは、チェルノブイリ原発事故で被曝した子どもたちを中心に結成された民族音楽団「チェルボナ・カリーナ」のドキュメント番組。
そのとき判ったのだ。
この歌で歌われている世界の「悲しい記事」とは、実はチェルノブイリ原発事故のことを指しているのだと。
これは、原発事故の影響に苦しむ福島の子ども達にぴったりだと感じた。


指導に携わる先生達にはその主旨を伝えたが、私からは、子ども達にははっきりとは伝えていない。
(担任の先生によっては、子どもに判りやすく伝えてくれたようだ。)
この歌で一番好きなところは、なんと言っても最後の歌詞。


「こんな小さなわたしでも 自分らしさを大切に生きたい。」


まぁ、いろいろと大変だけれど、福島の子ども達には誇りを失わずに生きて欲しい。


小さな祈り
※ 撮影を依頼した先生の撮り方が余り上手ではないので、予めご了承下さい。
私は最初と最後にしか映っていないので、無駄だけれど入場から退場まであります。




※参考HP
作曲者 松井孝夫さんの総合学習実践報告
ttp://diep.u-gakugei.ac.jp/output/002007006/Index.htm


夏休みを堪能する@二日目【浜通り被災地巡り】

2011-08-09 22:07:00 | 教育
久しぶりに、前々任校へ行ってきた。
7年間住んでいたいわきの現状を知りたかったからだ。
前任校には去年のうちに3回行ったし、メールや書簡でやりとりをしていたので、今回の訪問はパスした。


前々任校では、合唱部を4年受け持っており、私の後任を大学時代の同級生が務めている。
そして、私が1年生の時に担任した子達が、6年生になっている。
合唱部の子達にはお菓子の差し入れを購入したのだが、その後友人から
「教頭先生に連絡しておくね。」
なんて余計な連絡が入ったものだから、「学校にも手ぶらでは行けん!」と思い、急遽近所の果樹園にて桃を購入した。
6個入りで1000円也。
うーん、美味しそう♪
Momo


高速道路でいわきへ向かう。
晴天のドライブ日和。
写真は磐越道での一枚。
Banetsu_dou


合唱の練習は、なかなかの熱血指導だった。
一応動画も撮ってきたので、YouTubeにこっそりUpしてみた。


練習後は、自分が担任した子達との雑談に花が咲く。
女の子との会話に飢えていたので、久しぶりにレベルの近い話が出来て嬉しかった。
(何せ、うちのクラスはオール野郎だからw)
やはり、6年生ともなると、ファッションに五月蠅い。
女の子達の一押しは、ハニーズとユニクロだった。


友人と昼食後、被災地を案内してもらった。
友人の車で移動の為、写真は少ししか撮れなかった。
Tsunami_1


大震災直後はがれきの山だったそうだが、今はすっかり片付いているとのこと。
やや消化不良気味だったので、友人と解散後、北上することにした。
福島第一原発20キロ圏内ぎりぎりまで、近づいてみようと思ったのだ。


途中、四倉の道の駅へ立ち寄った。
ここは2年前、両親と来たところだ。
座礁した船や、壊れた建物など、津波の脅威をひしひしと感じた。
Tsunami_2


そして、更に北上し、「緊急時避難準備区域」の広野町へ。
Jヴィレッジ(原発事故収束の前線基地)付近まで近づいてみた。
Hirono_hastudensyo


写真に大きく映っている煙突は、広野発電所のもの。
(しかも、東京電力らしい。)
遠くに夜間の為の照明が見える。
これは、Jヴィレッジのものと思われる。
ここより先(多分1~2キロ)からが、警戒区域だ。
しかし、高速道路で帰ろうと思っていたので、この交差点を左折した。


下の写真が、警戒区域ぎりぎりまで近づいた証拠。
この先の高速道路は、通行止めになっている。
Tuko_ken


Zyouban_dou


驚いたのが、途中立ち寄ったPAのゴミ箱に、こんな表示があったこと。
Pa_gomibako

世も末だ~!!と悲しくなった。


そして、帰ってきました福島。
Ryokinzyo


罹災&被災証明書確認渋滞ですがな。
無料で通行できるのはありがたいけど、これじゃ確認する人が大変だ。
もうちょっといいやり方はないのかな?って思った。

今回の日帰り旅で思ったこと。
浜通り南部は、津波の被害はあったものの、放射能の影響は比較的少ない模様。
少しずつ復興に向かっているって感じがした。
(「がんばろう○○」ののぼりも少ない。)
一方で、原発から60キロも離れているのに、放射能にピリピリする福島市。
思わず「いわきはいいなぁ。」って思ってしまったよ。
いろいろ総合すると、いわきの方が震災の被害は大きいんだけれどね。


最後に、一番気の毒に思うのが、友人の家族達。
友人はナント警戒区域出身なのだ。
数年前に退職し、第二の人生を謳歌するはずだった友人の両親は、現在会津でアパート生活とのこと。
故郷に住めない、戻れないってことほど切ないことはないよね…。
放射能にピリピリしつつも、震災前とほぼ同じ生活ができることは、家をなくしたい人や、家に帰れない人よりはマシと思うことにしよう。


草原から山が出現!?

2011-08-05 23:36:00 | 教育
3月の震災以来、草むしり&草刈り禁止令が出ていた校庭は…。
みるみる草が生え、すくすくと育ち、見たこともないぐらいに荒れていた。
まるで草原である。
Sougen


8月に入り、漸く表土入れ替え作業が始まった。
今日は、表土を5cm削り取る工事。
草がボーボー生えていた校庭は、次々と表面が削り取られ、久しぶりに茶色い土が顔を出してきた。
そして、校庭の真ん中には、大きな山ができた。
原発事故処理って、本当に膨大な費用と時間がかかるなぁと感じている。
Tsuchiyama


去年のこぼれ種から芽を出したひまわりは、自分の身長を超える高さにまで成長した。
表土入れ替え作業の際に、花壇に植えているものはすべて撤去されると聞き、途中から手入れを断念した。
その結果、ひまわりとアサガオのコラボレーションがたくさんできているw
写真では判りづらいかもしれないけれど、ひまわりの茎に、アサガオのつるが巻き付いているのだ。
Himawari2


夏休みが終わる頃には、何もかもきれいになくなっているのだなぁと思うと少し淋しい。
でも、これも放射線対策のためだから、仕方がないよね。


出張先で知った、被災地の惨状

2011-08-04 22:04:00 | 教育
コンピュータ関係の講座受講で、一日出張だった。
隣に座った方が、浜通り(原発の近く)からの被災者を多く受け入れている学校の先生だった。


地震直後から避難所になっていたため、土日も休みなく出勤。
4月は子どもの出入りが多かっため、毎日名簿を作り替えていたそうだ。


新学期は学用品を揃えるのが大変だったため、教職員からカンパを集めたり、保護者から寄付を集めたりして凌いだそう。
その後市からの補助も来たけれど、「遅かった。」と言っていた。


もっとも衝撃的だったのが、浜通りから避難してきた教員の方が、
「わたしたち、今まで何か悪いことしてきたのかな。思い返してみたけれど、何にも悪いことしていないんだよね。」
とぼやいていた、ということ。


原発からの避難者は、下のような状況であるようだ。
(様々な人の例を挙げている。)


・着の身着のまま避難してきた。
・家のローンは払い続けている。
・一時帰宅したけれど、子どもに大事なものしか持ち帰れず、多くの大事なものを自宅においたまま。
・勤務の関係上、長距離通勤や二重生活を強いられている。
・受験を控える中・高校生が、進路に不安をかかえている。
・震災のトラウマから、子どもが不登校になっている。
・家や家族が津波で流されている。
・仮設住宅を希望しているが、その後の生活がどうなるか分からない。


世間は
「放射性物質が~、セシウムが~。原発反対!」
などと騒いでいるけれど、原発周辺から避難している方は、「生きること」がまず大変なのだなと感じた。
家に帰りたいのに帰れないまま、不安かつ不便な生活を強いられいる人が近所に多く存在することに、改めて衝撃を感じた。


久々に、近況報告でも。

2011-07-27 20:02:00 | 教育
7月中盤、夏ばて気味で日記をさぼっておりましたな(^^ゞ


夏休み入ってすぐの帳簿整理は無事に終わり、特例の人事異動(本来は3~4月に行われるはずだったもの)で、やや慌ただしくなっている職場です。
自分は異動はしないので、今年の夏は図書室の本の整備をすることにしました。
閉校した学校や分校の本も引き取った我が職場は、本の冊数がやたらと多く、棚に収納しきれません。
おまけに、津波で本が流されたわけでもないのに、次々と各種団体や企業から寄贈本が送られてきます。
(このありがた迷惑な被災地支援システム、何とかならないものかw)
今後のことを考えても、ある程度これから入る本のスペースを確保しておかねばなりません。


てなわけで、奥の手を使うことにしました。
それは、
「子どもに人気のない、古い本は隠す!」
今の時代には全くそぐわない、昭和な百科事典とか、古めかしい図鑑などを、現在は使用していない2階の配膳室の棚に押し込んだのです。
この作業を1人でこなさなくてはいけないので、移動できる本の冊数にも限りがあります。
(他の学校とは大きく違い、人手のない職場なのです。)
全く図書分類番号通りの配列になっていないところも気に入らないし、本格的な整備には、あと1年はかかるかな。
自分は図書館が大好きで、今でも時々通う人なので、子ども達にも図書室が好きになってもらえるといいな~。


それから、今日から本格的な校舎の除染作業が始まりました。
業者がクレーン車と高圧洗浄機を使い、ひたすら校舎の外壁を水洗いしていきます。
途中、「雨?」と思ったら、除染作業の水でしたw
窓を閉めて本の整理をしていたので、暑くて気分が悪くなりそうでした。
それにしても、膨大な水の量と、人手と、かかる日数と…。
いろいろ見ていくと、「原子力事故」って、あまりにも被害が大きすぎていいことが一つもないなぁって思いました。


最後に、どうでもいいことですが、夏休みに入ってから、弁当作りをがんばっています。
自分のモットーは、以前から宣言しているとおり。
「冷食ゼロ。海のものと山のものを入れる。赤、黄、緑の食品を入れる。」です。
今年は、それプラス「放射線量の計算」を考えなくてはならなくなりました。
給食は、地元産を防ぎようがないので、せめて夏休みだけでも内部被曝を少し減らさないとね。
「きゅうり」のように、地元産しか出回らない物は潔く購入し、他の食材を他県産、もしくは外国産、缶詰などにすることで、被曝量の軽減を考えています。
あーあ、去年までは、「できるだけ地元産」という買い物の仕方だったのになぁ…。
旬の新鮮な野菜や果物を、喜んで味わうことができないのが残念です。