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徒然にっき'18

OCNブログから引っ越してきました。
文華の日常を綴った、プライベート日記です。

被災生活7日目~節約と風評被害と

2011-03-17 21:32:00 | 日記・エッセイ・コラム
午前9時50分頃、やっと水が出た。
何よりも嬉しかった。
これで、トイレのタンクに水を汲み入れる必要がない。
久しぶりに、水道水を使ってまともに洗濯をした。
外に干せない、浴室乾燥機も使えない(放射能汚染をふせぐため)ので、1日1回しか洗濯ができない。
寝室に、自分と弟の洗濯物を干した。


水道復旧の知らせを受けて、実家が洗濯をしに来た。
(実家の方はまだ断水中。)
だが、水圧が安定していなくて、洗濯の途中でエラーが出てしまった。
仕方なく、風呂に溜めておいた(水道復旧後、風呂に3分の1ほど溜めておいた。)水ですすぎをし、洗濯機で脱水をした。
この現象を見て、念のため水道からバケツに水を溜め、風呂に移しておいた。


福島市の放射能測定値が以前よりも下がってきたので、午後から買い出しに行く。
ホームセンターとスーパーを回り、生活用品、食料品をゲットした。
特に嬉しかったのが、電気ケトルと電子レンジ用パスタ容器をゲットできたこと。
換気扇とガスの使用をなるべく控えたいので、できるだけ電気で調理したいのだ。


ライフラインがすべてそろったところで、さらなる節約方法を考えた。
まず、水については今後も節水の方向でいくことにした。
3日ぶりの風呂は、洗面器にお湯を入れて、シャンプーや体の洗浄をした。
使用した水の量は、バケツ1.5杯分(15リットル)といったところか。


節電のために、リビングおよび寝室の照明を交換した。
リビングには、寝室で使用していた蛍光灯を。
寝室には、前の家のキッチンで使用していた白熱灯を。
これで大分節約になったはずだ。


トイレの水が流れるって、本当にありがたいね。
あとは、原発事故による放射線及び放射性物質の心配だけだ。
うちの父は、「おれは被爆者だ。」と言っていた。
胃のCTスキャンやレントゲンを撮りまくっているからだ。
今は1時間レベルでみれば大したことない数値だが、長期に渡ることを考えれば、なるべく防ぐのが賢明だ。


しかし、屋内退避区域では、風評被害を懸念して、物流が大変滞っているとのこと。
放射能測定値だけみれば、福島市の方が20~30キロ圏内の5倍の数値をたたき出しているのに。
(福島市では、ガスボンベを運ぶトラックやタンクローリー車見かけているので、物流復活の兆しがある。)
さらに、福島県から遠く離れた地域に住んでいる人が、関西への避難を始めているとのこと。
「福島県は国に見捨てられた。」
と思っている人もいるに違いない。


誰しもが、安全と安心を求めているのは解る。
だが、どうか地元で残って対応に当たる人達のことも考えて欲しい。
自分は公務員だから、私的事情で好き勝手に避難することはできない。
独自にデータを収集しつつ、対応にあたりたい。


被災生活六日目~祈り

2011-03-16 21:33:00 | 日記・エッセイ・コラム
日記を書いていたのが、途中で誤って消してしまった。
なので、大事なことだけ書くことにする。


原発事故の報道は、日々ストレスがたまるばかりだ。
非常事態であることは理解できるが、福島県の外野の人間までが過剰に避難したり、買い占めたりするのは、どうかやめて欲しい。


今日は自分への応援歌の意味も込めて、動画をupした。
以前から歌いたいと思っていた「旅立ちの日に」だ。
(新しく動画を作成する気力はないので、被災前の試し録音ver.だ。)
男声パートを、ニコニコ動画「男声ひとり合唱」で人気のおたさんにお願いした。
快く引き受けて下さり、感謝している。
よろしければお聴き下さい。

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YouTube: 旅立ちの日に (On the day of departure)~混声三部合唱ver.





被災生活五日目~原発事故との闘い

2011-03-15 21:16:00 | 日記・エッセイ・コラム
今朝は、出勤途中に実家で分け合った食料を自宅に置き、職員との集合場所に行く。
どうやら、通勤経路で落石事故があったらしく、迂回をよぎなくされた。
その迂回路がまた、とてつもない山道で。
職場に着いたときは、予定時刻を15分ほど過ぎていた。


そして、目が離せないのが、原子力発電所の動向。
次々と事故が発生し、空気中に放射線物質が放出。
報道への発表があるのが、放射線物質が放出されてから2~3時間後であることが多いので、もう外出自体がとても怖くなってきた。
(原発から福島市の距離は、約60キロ。)


18日まで学校の休校が決まったため、午後から21日まで、自宅待機することにした。
ボスがぶつぶつ言っているが、通勤経路がいろんな面で危険なのに、仕事している場合ではないと思うのだ。


帰宅するときは、ちょうど雨だったので、雨の中の作業を余儀なくされた。
その後、福島市で他地区よりも強い放射線値を観測している。
一応、できる限りの対応(着た服は脱いで袋をしばる、顔や髪を拭くなど)をしてみたが、短時間放射線を浴びたかもしれない。
ごく微量であっても、この生活が続くと思うと、われわれ県民にとっては恐怖の連続だと感じる。


ただ、年配の先生から、特攻隊で生き残った父が、終戦後地元に帰れず、広島で一週間足止めをくらった話を聞いた。
その父は、(放射線に汚染されているかもしれない)川の水で炊いたご飯を食べる生活を一週間続けたにも関わらず、81歳まで生きたそうだ。
だから、「なるようになるよ。」ってことで解散した。


夕方からは、大学の同級生達からの連絡があった。
みんな無事だけれど、原発事故の不安を同じように抱えているようだ。


アパート生活+自宅待避ということで、当分水の確保はできない。
(放射線の影響を考えると、今後井戸水をくんでも飲料には使えない。)
水道がまだ復旧しないので、水を大切に使っていかねばならない。
だが、洗いもの、台所の掃除、調理、トイレなど…、水は必要最小限に節水しようと思っても、あっという間になくなることが解った。
なので、調理、掃除などに使った水を汚水としてため、トイレに使用するという作戦。
そのトイレも、何度か溜めて流すことにしている。
(一回流すだけで、十リットルぐらい流れていく。)
自宅でなので、避難所の方ほどの不便はないが、この生活が長期化すると考えると、肉体的にも精神的にも本当に辛い。


今まで原発で問題があっても、
「浜に住んでいる人たちは、いつも危険と隣り合わせで大変だね~。」
と外野的に見ていた。
今回、まさかその危険が自分にも降りかかるとは思わなかった。
電気は少なくてもいい。
今すぐ福島の原子力発電所を廃止して欲しいと思う。


復興に向けて~被災四日目

2011-03-14 21:25:00 | 日記・エッセイ・コラム
職場に出勤。
職員の大半がガソリンを補給できなかったらしく、最後の砦の給油所に向かっていた。
(職場付近は通電が遅れたため、スタンドにガソリンが残っていた。)


ガソリン満タンな自分はまず、チャイムと連動している時計の修正を任された。
(各教室の時計は、すべてチャイムと連動しているため、すべての教室において狂っていたのだ。)
マニュアルを引っ張り出し、何とか修正できた。


午前中は雑談をしながら仕事を進め、11時過ぎに臨時打ち合わせ開始。
昨日まで電気が復旧していなかったため、子ども達の多くは近隣の避難所で生活していたようだ。
走り回るほど元気だったと聞いて一安心。


午後から教室の片付けに当たった。
本や電化製品などだけではなく、揺れの影響ではがれ落ちた壁材(細かい塵のようなもの)が、広範囲にわたって落ちていた。
掃除機でかき集めたり、ぞうきんで拭き取ったりしながら、作業を進めていった。


今にもフラスコなどが落ちそうな理科室は、針金タイプのブラシで位置を修正し、棚の片付けをしていった。
そして、今後の余震にそなえ、割れる危険性のあるものは、すべてダンボール箱に収納した。


退勤後、アパートで待機していた弟と落ち合う。
ネット復旧のため、アパートに来てもらっていたのだ。
iMacのネットワークも無事復旧し、空き時間を利用してあちこち買い出しに回ってくれていた。


そして、実家に向かう途中、井戸水を提供してくれているところを発見。
バケツ三杯分の水を確保する。
さらに、開いている店(コンビニもどき)を見つけたので、食料やたばこ(男性陣)などを確保した。
これで、週末まではなんとかなりそうだ。


職場が明日から節車作戦を開始するため、実家に泊まるのは今日が最後であることを伝えた。
また、明日から仕事の始まる弟は、利便性を考えた結果、しばらくは私のアパートに住まうことになった。
てなわけで、今まで集めた食料を二分配。


夕食後、確保した井戸水を沸かして、久しぶりに髪の毛と体を洗った。
一人バケツ1ぱい分。
(約10リットル)
何とかなるもんだね。
ものすごくさっぱりした。


少しずつ、復興に向けて動き出している。
もしかしたら、明日には水道が復旧するかもしれない。
不安もまだまだぬぐえないけれど、よい方向に向かっているのは確か。
また、笑顔があふれる日々が戻ることを願ってがんばろう。


被災生活三日目

2011-03-13 17:17:00 | 日記・エッセイ・コラム
自宅の片付けのため帰還。
電気が復旧していた。
転げ落ちていたiMacも、問題なく起動した。
ただし、ネットの設定がリセットされてしまったらしく、情報源としては使えない。
被災後初めてテレビを見た。
恐ろしい光景と音声がたくさん流れていた。
放射線被曝の危険性はあるものの、家があり、食事や暖に困らない自分達は、きわめて軽傷であると感じた。


もともと片付いていないところに地震が来たので、部屋がぐちゃぐちゃだった。
どうせすることもないので、半日かけて掃除&片付けをした。
すっきりした♪


洗濯物がたまっていたので、貴重な風呂水を使って洗濯もした。
洗剤なしの、水洗いと脱水のみ。
浴室乾燥機は怖いので、ブルーヒーターで乾かした。
灯油の残りが少ないので、こちらも省エネモードで。
食べ物確保のため、無洗米と有り合わせの材料で炊き込みご飯を作った。
まな板を使わないよう、ピーラーとはさみでカット。ご飯を炊くための水代わりにビールを使用。
洗い物は、やかんに残っていたほんの少しの水を使い、ティッシュでふきとる作戦だ。
ご飯の味はビールを使用したせいで苦みが出てしまったが、ぜいたくは言っていられない。
我が家の食料はほとんど実家に提供したので、簡単に調理できるものはほとんどなくなってしまった。
次に買い出しできるのはいつになるのだろう…。
取りあえず、今夜も電気の復旧しない実家に泊まることにする。