goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学の科学

science of philosophy

世界の構造と起源(18)

2011-02-12 | xx4世界の構造と起源

ちなみに意図を持つ主体が目的を追求して行動することで世界の物事が推移するという世界観は目的論と呼ばれ、アリストテレスから近代哲学に至る西欧哲学の系譜のひとつになっています(BC三三〇年頃 アリストテレス形而上学』既出、一七八一年 イマニュエル・カント純粋理性批判』既出)。私たちが人間や動物の動き(あるいは心理現象や社会現象)を見るときは、ふつうこういう見方をしています。

これに対して因果論と呼ばれる、物事はすべて原因から結果が引き起こされることが連鎖して推移していくのみであってどこにも目的を追求する主体などはない、という考え方も、古くから東洋にも西洋にもあります。西洋哲学ではこちらもアリストテレスから始まって近代哲学(一七三九年 デイヴィッド・ヒューム人性論既出)において発展し、現代科学の根底を支える思想になっています(自然主義という)。

因果論は、世界の中である変化が起こるのはその前の状態に原因があって、その状態から決まった法則に従って結果が起こるからその変化が起こる、という考え方です。世界には物事の推移を決める法則がまずあって、その法則に従って原因が結果を決めている。すべてはその法則と初期の状態だけで決まってくる、という理論です。

現代科学は典型的な因果論として作られています。現代物理学では、宇宙全体の時空間の上に定義される状態量伝搬方程式(時空間関数方程式)の展開によってすべての物事が推移するとする場の理論によって世界を描写しています。

科学が描く世界像によれば、物質現象を表現する微視的な(正確にいえば量子的確率分布の)状態は隣接直近過去の状態(物理学では境界条件という)によって必然的に決まることになります。そのような物質変化が連鎖し蓄積することですべての物事は推移していく。私たちの目に見える日常的な現象について例をあげれば、カエルの子は必ずカエルになる、つまりDNA分子が物理化学的法則にしたがって生物体を組織するから生物ができあがるのだ、という現代生物学の原理がその典型です。別の例をあげれば、犯人の頭蓋骨の内部にある一群の脳神経細胞に電位変化が起こったから指収縮筋の運動神経が活性化した結果、ピストルの引き金が引かれて殺人が起こったのだ、という見方を導く考え方です。その神経細胞の電位変化はその数ミリ秒前の周辺の連結神経細胞の電位変化を原因とする結果であり、そのまた原因はそのまた数ミリ秒前の神経細胞ネットワークの連結状態からの必然的な結果である、等々となる。犯人の犯意などいうものが表現される必要はない、となります(拙稿10章「欲望はなぜあるのか?」)。

因果論場の理論による世界の描写(自然主義ともいう)が正しいのか それとも目的論・意図的行動表現による世界の描写(反自然主義ともいう)が正しいのか? どちらでしょうか?

私たちの直感では、どちらもそれなりに正しいと思えるところがある。直感がそうなっているということは、人類が、互いに矛盾するこの二種類の世界認知機構を生得的に備えているということでしょう。実際、現代の認知心理学では、人間の幼児は機械的存在として非生物の概念を作り、目的論的存在として生物の概念を作り、その中間的なものとして人工物の概念を作るような生まれつきの認知機構を備えている、という実験にもとづく理論があります(一九九二年 フランク・ケイル『概念、種類と認知発達』)。

私たちの脳神経系に、他の動物の意図的行動を予測する機構が生まれつき備わっているとすれば、目的論あるいは意図的行動を読み取ることによる世界の捉え方(反自然主義)はそこから来ていると考えてよいでしょう。どうも私たちは直感を使う限り、単純な物事の動きは因果関係から予測する一方、(動物でないものも含めて)複雑な物事の動きは目的を持つ主体が意図的に動いて引き起こされている、と見たくなるようです。私たちは、雨乞いをしたり、転がるゴルフボールに向かって「入れ」と命令してみたり、株価チャートに向かって「そろそろ上がれよ」とか、つぶやきます。

人類の言語が意図を持つ主体の行動を仲間と一緒に集団的に予測するという(反自然主義的な)図式のもとに構成されている表現システムであるとする拙稿の見解(拙稿18章「私はなぜ言葉が分かるのか」)が正しいとするならば、言語を使って物事を記述する限り、私たちは目的論・意図的行動により世界を描写する理論(反自然主義)の枠内でしか物事を考えられないはずです。

一方、人間や社会の動きを含めて世のすべては自然の法則で移ろい行くだけであって、目的などどこにもない、というような因果論あるいは場の理論による世界の描写(自然主義)は、仏教やインド哲学などにみられるように歴史的に古くから無名の賢者たちによって唱えられてきたようです。この思想が現代科学の真髄になっていることはおもしろい現象でもあります。

しかしながらこの思想(因果論・自然主義)は歴史的に古いといっても(拙稿の見解では)たかだか一万数千年くらいの(農耕牧畜から始まる)人類文明の歴史の中で本格化した考え方でしかないと思われます。言語の発生は(拙稿の見解では)少なくともその十数万年も前に起こっています。したがって、人類の認知する世界像は、もともと目的論・意図的行動による世界の描写(反自然主義)が土台になっていて、後から因果論あるいは場の理論による世界の描写(自然主義)が、自然の物質現象を観察する実務家(ハンター・航海者・農業手工業生産者・軍人・医者など)あるいは理論家(哲学者・宗教家・天文学者・科学者)によって普及されたのではないか、と(拙稿の見解では)推測できます。

Banner_01

コメント    この記事についてブログを書く
« 世界の構造と起源(17) | トップ | 世界の構造と起源(19) »

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

文献