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哲学の科学

science of philosophy

いのちの美しさについて(12)

2021-05-08 | yy77いのちの美しさについて


生物体を高分子情報の制御系であるとみれば、自然環境における核酸タンパク質系自己複製構造へのダーウィン理論の超長期にわたる作用結果が驚異的な複雑性多様性を実現しうることは納得できます。

一方、ミクロな高分子機構の作動結果を、電子顕微鏡を使わない一般人のマクロな視覚聴覚で感知しようとすれば、生物個体全体を見て分かる特徴的な運動や形態変化をとらえて、非生物とは異質の、目的志向の存在感を感知するしかないでしょう。
この直感的な認知の対象を、いのち、ライフという語で表現し、いのちは美しいあるいは怖いという感情で反応することは人類普遍の生得的感性です。
生物現象を高分子の結合エネルギー分布から分析する二一世紀の現代生物学とはむしろ無縁の、この素朴な直感生物観は時代錯誤の非科学として否定されるべきものでしょうか?しかし科学者といえども感性としては無視できないこの素朴な世界観は、逆に見れば、人間存在のコアではないか、ともいえます。

目的をもって存在しているように見えるものを、生きている、というならば、自然は生きているといえるでしょう。草も木も虫も生きている。
鳥も獣も、ペットや人間も、もちろん生きている。そうであれば目の前に満ち溢れているいのちは美しい。生きているだけで美しい、といえます。自分もまた、命を持つものであり、美しいものにつらなっている、と思えます。
この感性から人は、たぶん、人生とその終焉、死も認知していくのでしょう。トロツキーも西行も近づく死の気配を感じながら、いのちの美しさを語っています。














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