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哲学の科学

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目的の起源(1)

2013-09-22 | xxx6目的の起源

(36 目的の起源  begin) 

 

 

 

 36 目的の起源

 

 

 

 

 

へぼ将棋、王より飛車をかわいがり。人生もしかり。筆者などは人生においていつも飛車をかわいがって失敗しています。王を守らなければいけないのに、飛車で派手に攻めることばかりしたがるから結局負ける。人生の生き方、その人のだめなところがすぐ出ます。しかしなぜ、人はしばしば飛車のほうをかわいがってしまうのか?

 

将棋というゲームが勝つことを目的とする以上、王将を守ることが最優先であるはずです。それなのに私たちは王の守りを忘れて飛車を生き残らせようとしてしまう。ゲームの目的を忘れてしまうのです。

 

何のためにゲームをしているのか、忘れる。目の前の問題をかたづけることだけに熱中してしまう。オンラインゲームでも、ビジネスでも、株相場でも、戦争でも、人生でも、よくある。よくあるというより、筆者たち凡人はいつもそうです。目の前の勝ち負けにだけこだわってしまう。そうであるから、こういう格言、本末転倒するな、目的を忘れるな、というような戒めの言葉を私たちはよく言い合うのでしょう。

 

なぜ私たちはしばしば、目的を忘れて間違った行動をしてしまうのか?目先の小さな勝負に夢中になってしまうのか?

 

たいていは損をしてしまいます。たまに間違った行動が結果的には目的達成に役立ってしまうということも、人生にはありますが、だいたい損をする。人生というゲームにおいても、長期的な大きな目的をしっかり意識して日々努力を積み重ねる人が成功します。いや、筆者が成功したわけではなく、人が成功した話を聞くとそうである、ということのようです。

 

 

 

つまり人間は正しい目的をまずしっかりと決めて、そこに到達するために最適な行動を積み重ねていくべきだ、ということになります。目的志向、目的追求という行動形態です。人生のあらゆる重要場面で、目的追求の行動形態があらわれます。

 

勉強にしてもスポーツ練習にしても、その目的をしっかり立てなければ成果が上がらない、と先生たちは言います。会社経営にしても、社内出世競争にしても、オンラインゲームでも、目的をしっかり意識しないと無駄な間違った努力をしてしまう、と先輩たちは教えてくれます。

 

目的をしっかり意識することが重要です。ということは、私たち人間は、しっかりしないと、すぐに目的を忘れてだめな行動をしてしまう、ということでしょう。

 

ではなぜ、私たちはしばしば、目的を意識しないで行動してしまうのか?それは、疲れるとすぐ休んでしまうとか、おなかが減るとすぐつまみ食いしてしまうとか、怖い顔をする人にはつい言うべきことが言えないで追従笑いをしてしまうとか、なさけないけれども反射というか衝動的な行動をとってしまうからです。自分の考えというものをしっかり持たないから、つい身体が動きやすいほうへ行ってしまうのです。

 

犬や猫と同じですね。赤ちゃんや幼児もまったくその通りの行動をとるので、お母さんに叱られています。大人のしっかりした人間だけが、目的をしっかり持つことによって、人にも尊敬されるし自分でも満足のいける行動をとることができる。

 

 

 

さて、その目的追求という行動ですが、これはどうも人類という動物種に顕著に観察される行動形態のようです。人間以外の動物はほとんど、こういう行動はしません。

 

人間以外の動物の場合、目的のようなものはあるとしても、それは今実行しようとしている運動の(数分後あるいは数十分後の)直接の結果を予測することでしかない。それ以外の言葉による抽象的な目的概念はありません。

 

馬とか象とか猿とかの場合、「口をあけてバナナを食べる」という運動の運動目的イメージは「口をあけてバナナを食べる」という運動シミュレーションのことです。そして、それが行動の目的そのものでしょう。ところが人間の場合だけ違う。人間が「口をあけてバナナを食べる」という運動目的イメージの行動をする場合の目的は、単に「口をあけてバナナを食べる」ことではありません。ふつう言葉でいえるような抽象的な目的がある。

 

私たちが(意識的に)口をあけてバナナを食べるときは、「ダイエットによさそうだからそうする」とか、「朝から午後四時ころまで忙しくてランチを食べる暇がないから、まだ十一時だけれど何かを口に入れておいて午後の空腹を避ける」とか、「一緒に食事をする友人がバナナしかいらないというから、もっとちゃんとしたものを食べたいけれどしかたない、ここは付き合ってバナナで我慢することによって良好な人間関係を維持しておく」とかいう抽象的な目的概念を持っています(拙稿21章「私はなぜ自分の気持ちが分かるのか(9 )。

 

このような人間の目的概念は、ふつう数日後、数ヵ月後、あるいは数年後に予測される自分の状況を望ましいある状態にまで持っていくために現在必要な行動を実行する、という形で表現できます。つまりかなり長期的な将来の予測が伴う。現在の状況から将来の状況にいたる変遷の過程を予測できる。その状況の中で自分はどう動いて、どういう状況におかれるかが予測できる、ということです。

 

 

 

 

 

 

 

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