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哲学の科学

science of philosophy

風の存在論(2)

2019-11-24 | yy71風の存在論


顔に受ける風を感じます。皮膚が風圧と冷感を感じます。息を吸う時、吐くとき、鼻孔を通過する風のようなものは空気でしょう。空気は見えないけれども身体の周りじゅうにあるらしい。部屋にも充満している、らしい。それを読む。無意識に、私は。

空気を読む。空気は読める。皆さんの喋り方や表情を観察する。視線の動きを見る。身体の感覚で観察する。そうすれば空気が読めます。
人が何を感じているか、感情や思考は身体の周りの空気に滲み出てくるのでしょうか? よそ者の私が入った瞬間、部屋の空気がひやっと冷たくなった。文学的な表現ですが、実際、そう感じます。空気はそういうものなのでしょうか?

時代の空気を読む。しかし時代とともに空気は入れ替わってきます。新しい風が吹く。空気は読めても風が読めるか?
科学者でさえもそうです。一六八七年までは、アリストテレスやせいぜいコペルニクスを研究していれば科学者をやっていられました。このあと、ニュートン力学の新風がすべてを吹き払う。その後一九一六年まではニュートン力学を規範にすべてを解説していられましたが、そこで突風が吹く。相対論、量子力学を身体で感じ取る必要が出てきました。そういう空気に入れ替わって行きます。そんな空気は読みたくない、と言っても現代物理学の空気は充満しています。ブラックホールがいまや宇宙に充満して来ています。

空気とは何なのか?古代から近代初期まで、空気は、火や水とともに、世の中を作っている物質の素(element元素)のひとつである、とされていました。
啓蒙時代になってようやく、空気の科学が解明されました。
アントワーヌ・ラヴォアジエ(一七四三年ー一七九四年)が、空気が酸素と窒素の混合物であることを示しました。ちなみに、この人は死後だいぶたってから近代化学の元祖といわれるようになりましたが、富豪であり徴税請負人であったためフランス革命でギロチン台に送られて終わりました。この時代のパリ、ブルジョアへの風当たりはひどかった。そういう革命の空気は読めなかったようです。






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