将来いつの時代かは分かりませんが、不老不死が実現するとすれば、そういうふうに実現するでしょう。逆に、そういうふうにしか実現はできません。
劣化した部品を常に交換することでしかシステムは維持できない。身体の任意の部品を修復あるいは置換できる技術は身体全体を何度でも、何個でも複製できます。改変も自由でしょう。
家のどんな破損でも修理できる工務店は新築もできます。どんな故障でも修理できる自動車修理工場は、本物そっくりの新車全体を製造することもできます。
自我を持ったまま人間が再生される。同じ人間が何度でも何人でも再生される。それは不気味な世界である。たしかに不気味で、想像もしにくい。しかし潜在的にそれが可能であるというならば、私たち人間というものは、そもそもそういう存在なのではないでしょうか?
私とまったく同じ人間が何個も作られてしまう。私とそっくりだがちょっとだけ変えた人間もいくつでも作られてしまう。そういう世界です。馬鹿げています。しかし実は、私たちが現実と思っているこの物質世界は、もともとそういう世界なのだというしかありません。
私というものの実体がデジタルデータであるとすれば、それは当然、不老不死であって永遠に不滅でしょう。昔の人が信じた霊魂の不滅という直感はこのことを言っていたのかもしれません。
今ここにいる私も、もしかしたら、一時間前に作られた百個の私の一つであるのかもしれません。その事実を私は知らない、というだけのことです。
おかしな世界です。UFOに誘拐された話に似ていますね。しかし、もし遠い将来、私たちが知りようのない未知の、その時代の技術によって、本当の不老不死が実現するとすれば、それはこのように実現するでしょう。
