goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学の科学

science of philosophy

ひまを守る(6)

2015-02-07 | yy43ひまを守る


まず、一日はすぐ終わる。あっというまに日が暮れて夜になってしまいます。
暗くなる前に洗濯物を取り込んだり、戸を閉めたり、カーテンを閉めたりしなければなりません。一日の終わりにすることをするためには、午後の早くから積んであるものを片付けておかなければならない。それをしながら、明日の仕込みを済ませておく必要がある。いつでもそのような事情であるから、ひとつの仕事を片付けるとすぐ、次の仕事に着手しなければなりません。
ひとつの仕事を片付けるとすぐ次にかかる。それが終わればすぐまた次にかかる。きりがありません。
そういう生活をしていると、たまに手が空いても、次は何かな? 何かないのかな? という気持になります。ひまができるはずがない。

昔の人は、毎日やるべきことが決まっていたから、それが終わるとひまだったようです。なべを磨いたり、刀を磨いたり、トイレを磨いたりしていた。そういうとき、「ひまだなあ」と思っていたようでもありません。それをすることが当然だったからでしょう。
実は、ひまであるのに、本人がひまだとは思っていない。退屈だと思っていない。そういう場合、真正のひまとは言えません。
本人がひまだと思っている。退屈している。それでも、何かをする気にはなれない。本気で眠る気にもなれない。それで何もしない。ごろごろしている。ぶらぶらしている。仕事をしているふりをしている。無職でもよいが、農業、手工業、勤め人、主婦その他、職業生活はしていてもいつも退屈している。そういう状態が正しい意味で、ひまを守る,という状態です。
こういう状態は、聞いている限り、楽そうです。たいていの人は毎日忙しくてうんざりしていますから、ひまにあこがれる。楽そうだな、良いなあ、と思います。しかし実際自分がそれになってみると、楽ではない。むしろつらい。つらいけれどもその状態を守る。まるで修行僧のようです。
実際、中世の修道士とか僧侶とかは、懸命に瞑想したり座禅したりしてひまを守ることを修行としていたそうです。







Banner_01

コメント    この記事についてブログを書く
« ひまを守る(5) | トップ | ひまを守る(7) »

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

文献