死ぬかもしれないのに逃げない老人という形だけを見れば、大津波で死んだ老人たちとソクラテスは似ている。それ以外の面では大違いでしょう。なぜ逃げなかったのか、という理由も大いに違っているように見えます。どの程度の確率で自分が死ぬことになるのか、という予想も大いに違っていたでしょう。特に、周りから逃げるようにと勧告されたにもかかわらず自分の意志ではっきりと退避を断ったかどうか、に関しては正反対かもしれない。しかし、拙稿の見解では、逃げないという形だけではなく、もっと大事な点で両者は非常に似ているところがあるのではないか、と思われます。
それはどちらのケースでも、逃げなかった人は老人であったこと、そして老人たちは自らの意志で自分が助かるための行動を熱心にしたようには見えない、ということです。
大津波のとき助かった老人たちは、たいていだれかに助けられています。「おばあちゃん、すぐ逃げなきゃダメだよ」とか言われて、手を引かれたり、持ち上げられたり、車に乗せられたりして高い場所へ移動させられた結果、生き残ったと言われています。自分から助かろうとしてひとりで死に物狂いの努力をした老人の話は少ないようです。老人に関しては、自力というよりも他力によって、生死が決まっているように見えます。
ソクラテスの場合も、弟子たちが彼の言葉を無視して縛り上げ担いで隠れ家に移動させ、監禁しておけば死ぬことはなかったでしょう。つまり本人が助かろうとして努力したかどうかということではなく、家族や仲間など他の人々の行為によって助かるかどうかが決まってくる。
そうであるとすれば、大津波の場合もソクラテスの場合も、周りの人たちが強引に逃がそうとしなければ、「彼らは逃げない人々だった」という結果になる、といえます。つまりこれらの老人たちは、身の安全のためには身体を移動させなければならない状況であることを知っていても、いまいるところから移動しようとしなかった、ということになります。