ガリレオの時代の多数決では、地球は回っていないということが真実。現代の多数決では、地球は回っているということが真実。そういうものが真実です。実際、ガリレオの時代の人々は身体でそう感じていたし、現代の私たちは身体でこう感じているのです。
そういうものが真実ということであるならば、人間は、当然、真実を知ることができる。多数派にとっては、すでに知っていることが真実であるからして、当然、真実を知っているわけです。そして少数派は、その数が減っていき、20%から10%、5%、2%と減っていって、ついには多数派に呑み込まれてしまう。そういうことになれば、多数派の真実が本当の真実になります。そのとき私たち全員にとって、その真実はもともと真実であった、と身体で感じられます。
昔は、地球が回っていると思わない人々がいた、という話は、それはそうだったろうなと思うけれども、それだからといって現代人の私たちが、もともとから地球は回っているのだ、と思うことには変わりがありません。それは真実であるからです。それは、つまり、私たち現代人の皆がそう思うからといえます。
グローバリゼーションが進むにつれ、生活のあらゆる面が、国境を越えて、均質化してきています。特に、科学や経済、あるいは工業、農業などの生産技術や軍事、情報、金融、医学など実務技術さらにそれらに伴ってエンターテインメントや社会習慣、社会常識、社会構造までも国境、民族を超えて均質化していきそうです。そうであるとすれば、世界的規模でますます多数派の知る真実というものの量は大きくなるでしょう。
科学が急速に真実の知識を蓄積しているように、科学ばかりでなく、いずれの人間活動においても、真実の知識は広く深くなっていきます。そうであれば、人間は時代が進むにつれ急速に真実の知識を積み重ねていき、そう遠くない将来、私たちの後輩は、あらゆる問題に関して真実を解明してしまうだろう、という気がします。
地球の表面積は有限であり、人類の数はいくら増加するとしてもやはり有限でしょうから、グローバリゼーションに見られるように、その人々がすべて均質的に同じ文化同じ文明に収束してくるとすれば、同じ問題に関しては同じような行動をとる仲間ばかりとなります。その数十億人、あるいは百数十億人が同じような行動をとることで真実は一つに収束してくる。皆が同じものを真実と思うようになる。現代文明の趨勢、グローバリゼーションはなぜ進むか、それはどうしても進むしかなさそうです。
そうであれば真実は加速度的に解明されていく。その結果、人間はだれもが、自分たちはあらゆることに関して真実を知ることができる、あるいはもう知っている、と思うようになると思われます。
さて人間は、本当に、真実を知ることができるのか?
この設問に関しての答えが出てきたようです。