ニュートン力学とリンゴの話はこれくらいにして、もっと単純な、言語の原型とも言える、幼児語を研究してみましょう。一歳の赤ちゃんが犬を見て「ワンワン、ワンワン」と叫んだとします。大人語に翻訳すれば「犬がいる」、あるいは「幼児と同じくらいの大きさで四足で歩く動物的なものがいる」「この動物的な物体はワンワンと鳴くだろう」、あるいは「ワンワンと鳴く動物が現れた」などとなるでしょう。
この時、赤ちゃんは実際のところ、何をしているのか?
犬に注目していることは間違いありませんが、なぜこういう言葉を叫ぶのか?それは赤ちゃんだけを観察していてはよく分かりません。赤ちゃんの周りはどうなっているか?お母さんがいます。お母さんはたいていの場合、こういう状況では「ワンワンね」とか「ほらワンワンがいるよ」と赤ちゃんより先に言葉を発している。赤ちゃんはお母さんの声を聞きながら、時には顔を見上げながら「ワンワン、ワンワン」とワンワンについて何事かを叫ぶ。
つまり赤ちゃんとお母さんは、仲間として、犬の出現に対応している。犬の出現によって自分たちのまわりの状況が変化し、その結果これから自分たちに関係のある何かが起こってくる。何が起こっていくのか? それを仲間(この場合お母さん)と一緒に予測しようとしている。そういう場合に、赤ちゃんは「ワンワン、ワンワン」と叫ぶ。
「ワンワン、ワンワン(ワンワンがワンワンする)」という幼児語は、こう使われます。赤ちゃんとお母さんは一体となって犬の身体になっている、二人一緒にその犬になってワンワンと吠える気持ちになっている。その犬がワンワンと吠えようとしている気持ちがよく分かる。
その犬はワンワンと吠えることによって状況がしかるべく変化することを予測してワンワンと吠えるに違いない、と思えます。赤ちゃんは、そういう犬の気持ちが自分の気持ちになっている。そしてワンワンと吠えることにより(たとえば自分はこわい犬であるということを証明することができるだろうと予測したうえで)ワンワンと吠える犬の気持ちになっている。身体がそのように動く気持ちになっている。
赤ちゃんにとっては自分の身体のこの反応が犬の概念を作っていきます。その概念に関連した運動の予測を行う。たとえばワンワンと吠える場合の発声運動の予測です。その予測が記憶されます。
この場合、発声運動を実行する場合に身体がどう反応するかの予測に伴う神経活動の記憶が赤ちゃんにとっての犬の概念となっています。そういうふうに身体が反応するとき、「ワンワン、ワンワン」という言葉が出てくる。言葉はそうして発生する。逆に言えば、その言葉を聞く聞き手は話し手の身体内部で起こっているこのような身体反応を(運動共鳴によって)感じ取ることができるからその意味がそれと分かる(拙稿18章「私はなぜ言葉が分かるのか」)。
赤ちゃんは「ワンワン、ワンワン」と叫ぶとき、自分がそれに注意を向けて興奮しているのが分かっています。目の前に犬がいる場合、犬の姿が視界の中心に来るように目玉と顔と身体をしかるべく回旋する。目を見張る。指さす。よだれも出します。犬の存在と関連する自分の身体のその興奮を記憶しているからお母さんが次の日に犬を指さして「ワンワン、ワンワン」と赤ちゃんに言いかけるとき、すぐに昨日と同じ神経回路を使って興奮することができて「ワンワン、ワンワン」と叫ぶことができるようになっている。身体が反射的に反応するその興奮が「ワンワン、ワンワン(ワンワンがワンワンする)」という幼児語の内容です。その身体反応がその言葉の意味である、といえます。
「~する」という言葉の意味はそういうことでしょう。人間は、犬が吠えるのを見聞きしたとき、ある一連の身体反応を起こす。その身体反応は、個人差はあるけれども、共通に理解し合える。そこに共通の運動共鳴が起こる。その共鳴に対応して(拙稿の見解では)言語は作られています。
赤ちゃんは犬の鳴きまねをする。赤ちゃんにとっては、鳴きまねではなくて、犬として鳴くことそのものです。そのときの自分の身体運動の興奮を記憶する。それが「ワンワンする」ということです。それが赤ちゃんの内部に作られる犬の概念となります。