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ケチの美しさについて(1)

2016-01-06 | yy49ケチの美しさについて

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ケチの美しさについて


49 ケチの美しさについて


新聞を読んでいると、ミニマリストと称する人が増えているとの記事があったので、何のことかと思い、検索で調べてみると、パソコンの他には何もない部屋で暮らす人達を指すらしく、家具のないフローリングの部屋の壁に寄りかかってノートパソコンかスマートフォンを触っている人の写真が添えられています。
おしゃれな流行という面でマスコミでも面白がられて紹介されていますが、簡単にいえば、スマートにケチな生活を楽しもう、ということなのでしょう。
無駄なお金を使わないで、美しく感じられる形を作れれば、立派なことです。ケチの美しさ、というような言葉は語感が悪いらしく、あまり使われませんが、そういうことでしょう。余計な装飾や無駄な材料を使わずに(つまりケチをして)きれいにまとめられればさっぱりとすがすがしく、スマートで美しく見えるのは当然、とも思えます。
建築の世界でも、ミニマリズムという考え方は前世紀ころから基本的な思想になっていて、現代建築は機能を満たす最小限の部材で設計されることは当然とされています。外観は装飾を排しコンクリート、ガラスなど機能材をそのまま見せる。内装もコンクリート打ち放しの表面などを美しく見せる、窓など同じ部材を繰り返し使ってコストを低くすると同時にパターンの美しさを出す。などの手法はいまや現代建築の常道です。
建築物や製造物の場合、機能を満たす最小限のコストを目指して設計されたものは資源とエネルギーの消費が最小限になり、エコの精神を実現できます。地球環境の保全に役立ち、将来世代にも胸が張れる。気持ちよく物つくりができる。そういう製造物は美しいはずだ、という気分がします。

原始時代、サバイバルのために人は知恵と力を振り絞って、シェルターをつくり、炉を作り、獲物を焼いて食べていました。無駄なものはなかった。サバイバルぎりぎりのものしか人は持たなかったはずです。私たち現代人も、その原始生活に適応して進化した身体になっているはずです。
現代人は、その身体が適応するシンプルな生活にあこがれて、エコを唱えているという面もあります。人間の身体は、実はサバイバルぎりぎりの生き方をしている場合に、最も充実感に満たされるようにできているのではないだろうか?徹底的に倹約して少しでも生存の可能性を上げようとする生活に身体がなじんでいるのではないか?無駄が嫌い、質素が好きであるとか、登山やワイルドライフを好む人が案外多い、あるいは多くがエコに好感を持つ、という傾向は、人類の身体がそうなっているからではないでしょうか?

もしそうであるならば、現代人が到達した物質文明、物があふれる豊かな生活、は美しいのか?人間の身体は、これを美しいと感じるのか?あるいは、そうでなく、最小限のものしかない最小限の消費しかしないシンプルな生活が美しいと感じるほうが自然なのでしょうか?
千馬力のスポーツカーで高速道路を飛ばす人間が美しいのか?いやミニカーで街角を走るイメージのほうが美しいと感じる?いやいや自転車乗りのほうがもっと美しい?あるいは、パンツ一枚のランナーが一番美しい、と感じるか?テレビにどれが多く映っているでしょうか?意外と、パンツ一枚が視聴者に受けることをテレビマンは知っているようです。

鴨長明という鎌倉時代の世捨て人は、京都郊外の山林に、方丈つまり3メートル四方の部屋を作って住み、質素を好み、シンプルライフの快適さを自慢しています(一二一二年 鴨長明「方丈記」)。
当時民家もない、伏見山中の自然を楽しむ。人もめったに訪れず寂しいくらいなのがまたよい、などと書いています。家具など何もいらんと言いながら琵琶は弾いていたようで優雅なものです。
世の人々は大豪邸をうらやましがるがそれはよろしくない、自分も大きな家を持っていたがこの小屋のほうが素晴らしく快適だ、と批判しているところから推測すれば、その頃の人も現代人と同じで、豪壮、豪華絢爛好きが多数派であった一方で、文筆家や僧侶など少数のインテリがミニマリストであった、ということでしょう。
鎌倉時代、禅宗の僧の居室はたいてい方丈だったということですから、インテリは最小限の部屋に居住するのが知的だと思っていたのでしょう。中世日本のミニマリズムは禅宗、茶室、書院造、枯山水、水墨画、箱庭、盆栽などに展開されて、中世文化の一つの軸を作っていたようです。この文化は近代にも引き継がれ、さらに今日では世界的に日本文化のコアと受け取られています。

必要最小限の機能に限定した設計に美を感得するセンスは日本文化の影響もあって、二十世紀には、欧米の建築、美術、演劇など新時代を代表する芸術改革を引き起こしました。もちろん明治以降の近代日本においても、衣食住生活全般にわたって簡素を尊び、華美を戒めるモラルを作り出してきました。
ケチという言葉はネガティブに受け取られているのであまり使われませんが、謹厳実直、質実剛健、という表現は、日本人自身が好む自画像です。これも贅沢、虚飾を嫌い、質素、実質を好む生活態度を美しい、とする感性でしょう。





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