●無意味なせっかち
老人はせっかちが多い。
たいした目的もないのに今すべきことを見つけて、すぐしようとします。それもかなり懸命にする。それで頼まれていたほかのことを忘れる。ほかの人の迷惑になる。ということで年寄りはいやだ、と嫌われます。
記憶能力に余裕がないからでしょう。記憶力が弱っているからすぐしないと、何をしようとしていたのか忘れてしまいます。それでほかのことやほかの人の都合を無視して自己中に、我先に急いでしまう。
しかしせっかちにあせるのも老人の趣味である、と割り切ってしまえば自己嫌悪することでもありません。せっかちは楽しい、となる。
そもそも、今すぐしないといけないことなどない。そう言ってしまうと、老人としてはどこにも重要な目的などあるはずがありません。ぼうっと座っていればよい、とか家で寝ていればよい、とかになります。しかしそうすることは、実に身体によくない。すぐ老化が進みます。
動かないでいるとすぐ血流が悪くなる。血管が細くなる。筋肉も内臓も頭脳も縮小してきます。安息状態の身体組織はその状態に適応して縮退していくように動物は進化しています。
せっかちのホルモン、コルチゾンやアドレナリンがときどきは出て身体全体があせあせしないと身体組織はなまります。細胞は縮退します。
その縮退に抗おうとする潜在意識がはたらいて老人はせっかちにならざるを得ない。
せっかちに動くことの目的は、健康のためであるとか、安全のためとか、資産保全とか、ひとのため義理のためなどと自分では思っていますが、実は老い先短い老人にとって切実な目的などありません。であれば、すなおに趣味でせっかち、細胞活性のためのせっかち、と言ってしまってもよし。せっかちが楽しい、無意味なせっかちでよし、と思うほうがよくないか?
たいした意味はないと内心思いつつ、とにかく赤い鉢巻をしてあるいは髪振り乱して、せっかちに走りまわる。無意味なせっかち。それも老人らしくて立派な趣味でしょう。■
(83 趣味としての老人 end)
