何もしないで一日が過ぎていく、という経験をほとんどしたことがない若い人は多いでしょう。一日中何もしなくても人間は生きていけます。空気を呼吸して適当に何か食べていればよい。テレビを見なくても携帯端末がなくても、時間は過ぎていく。むしろ、時間というものはそうして過ぎるものではないでしょうか?
努めて何もしない、ということを人間はできるのか? それはとてもむずかしいらしい。
ブレーズ・パスカルが『パンセ(1670)』の中でこう書いています。「人間は生まれながら屋根職人その他どんな仕事もできるが、部屋の中にいることだけはできない。(断章138) 私が発見したことであるが、人間のあらゆる不幸はただひとつの事実から来る。それは自分の部屋におとなしくしていることができないということだ(断章139)」。
パスカルは、たしかに数学者、物理学者、哲学者、宗教家、随筆家、都市バス発明家として三十九歳で死ぬまでに多岐にわたる分野で歴史的な仕事を成し遂げた多才かつ多忙な天才ですが、部屋にこもって何もしないことだけはできなかったようです。それほど、どんな人間にとっても、ひまは手ごわい相手のようです。
人間以外の動物は、むしろ、ひまに強い、というか何もしないのが得意なようです。暑いとき犬は何もしないで、ぐったりと横たわっているし、寒い日に猫は動きもせず、コタツで丸くなります。アリなどは、せっせと働く人間になぞらえられますが、寒くなると巣から出ません。マグロは止まらずに泳ぎ続けないと窒息してしまう(ラム換水呼吸という)ので、不眠不休の例にあげられますが、実は何も考えずに眠りながら自動的に泳いでいるらしい。つまり泳いでいても何もしていない、ひまである、ということでしょう。何もしないことが不得意なのは人類だけの特徴です。
人類はなぜ、何もしないことが不得意な身体を持っているのか?ひまに耐えられないのか?なぜそのように進化したのか?それは、何もしないと生存繁殖においてかなり不利になってしまうような生活形態にあったからでしょう。過去数十万年にわたる人類の生活において、何もしないと置いていかれてしまう、とか、仲間に見放されてしまう、というような状況にあったと推定されます。何もしないで泰然としていられるような遺伝子を持つ子孫を残せなかったということになります。