ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

大念仏寺

2013-11-08 05:00:00 | 大阪にて

家から往復1時間以上かかる全興寺まで行ったのですから、もう少しネタになるようなところは無いかと地図を見ていたら、近くに大念仏寺という聞いたことのあるお寺と、杭全神社が有りました。大念仏寺を何処で聞いたのか、電報の仕事をしていた頃なのかとも思いましたが、そんなことは思い出せません。なにわ七幸めぐりというのがあり、そのうちの一つがこの大念仏寺ということになっていて、そのうちの太融寺にも立ち寄っています。

             

山門の手前にある碑、有形文化税に登録されています。講話が書かれていて“時は過ぎ去るものではなく、積りゆくものである 自分の足跡 生きた跡は、全部積って残ってゆく”と何かエラそうなことを書いてありますが、時には積りゆく面と過ぎ去る面があり、自分の足跡や生きた跡など、何も残らないと私は思っています。長いこと続いているこのブログも私が月額を払わなくなったら、すぐに消えて無くなってしまいます。

       

左から山門、本堂、そしてこのお寺の開祖、聖應大師像が祀られている小さなお堂、この本堂は大阪府下最大の木造建築物だそうです。

             

これが聖應大師像、門が開いていて、写真を撮ってはいけないとも書いていなかったので、遠慮なしに撮っておきました。

       

境内の広さが窺えるでしょ。公園などに設置されているコンクリートのベンチより、木製のベンチの方が良いですね。丁度昼ごろだったので、何処かで弁当でも買ってきて、ここで食べてもいいなぁとは思いましたが、二重手間になるので辛抱しておきました。

             

本堂には賓頭蘆尊者像、久し振りに見ましたが、いつもは真言宗のお寺で見ていたのに、ここは真言宗ではなく、融通念仏宗という一風変わった名のお寺です。この像の横には賓頭蘆尊者の言い伝えとして、ある村の長者の娘が釈尊と弟子を招いて供養をしたいと申し出、皆は喜んで神通力で供養先に行こうとしたが、賓頭蘆尊者は神通力で供養先を引き寄せてしまい、釈尊に叱られて永久に涅槃を取ることはならず、広く人天に供養するよう言われたので、今でもこのようにして触られることで病を治すために座っているのだとか、私も撫でて結石を治したいものですが、尊者には結石があるのかどうか。

             

本堂の中、何処にも写真を撮ってはいけないとは書いてないと思ったのに、撮ってから奥に進んでいくと撮らないようにとの文言がありましたが、後の祭りと言うものです。

             

一茶の“はる風や 巡礼どもが ねり供養”の句碑が山門外に建っていました。33歳の年(寛政7年)3月8日に讃岐を発った一茶は丸亀から倉敷、下津井、赤穂、姫路、高砂を経て17日に大阪に到着、28日に天王寺へ詣り、平野を経て藤井寺、誉田八幡へ向かったのですが、平野ではこの大念仏寺を訪れ、このお寺の万部おねりという行事を詠んだ歌なのでしょう。

なにわ七幸やら、なにわ七福神やらと、何かにつけて人をあちこちへ行かそうとしてくれていますが、このお寺、大きさや広さは半端なもんじゃないけど、全興寺の方が人が集まって来てました。

                       gooリサーチモニターに登録!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿