8月23日に姫から電車で帰り、9月は18日に串本にやってきたのですが、その間約1ヶ月の間に玄関横の庇にクモの糸が張られていました。家から出るときは滅多にそのクモの糸にはかからないのですが、家へ入る時は壁沿いに歩く癖があるのか、その糸が頭にかかるのです。山など歩いていたら、時々張ってあるクモの糸に気付かずに体にかかることがありますが、サッサと歩いていますから糸は切れてしまいますが、この家に張られているクモの糸は結構弾力があって切れないのです。クモの糸と繭から取った絹糸を併せて新しい繊維を作る企画があると聞いたことがありましたが、その糸は強いことが特徴だったかと思うと、このクモの糸が切れにくいのにも納得がいきます。
HOXYのティッシュの箱、真ん中右上から左下へ斜めの細く白い線がクモの糸
『蜘蛛の糸』は芥川龍之介の作品ですが、お釈迦様が地獄へクモの糸を降ろし、生前クモを踏み殺しかけたのを止めたことがあるカンダタに地獄から極楽へ登れるチャンスを与えた話でした。芥川はクモの糸が強いことを知っていたのですね。お釈迦様の降ろしたクモの糸は決して切れることは無かったのに、カンダタは自分に続いてきた罪人たちの重さで切れると思ったので「これは俺の糸だ!」と言ってしまったところで、プッツンと糸が切れたお話しでした。芥川の初めての児童文学ということですが、子供にはなかなか真意は伝わらないのではないでしょうか。
先にも記したように私は8月23日に電車で大阪へ帰ったのですが、その時紀伊姫の駅で『紀伊姫駅ノート』が置かれているのに気が付きませんでした。このノートによると、設置者の和歌山出身・大阪在住のベーシスト・鉄道ファンさんは14日にこの紀伊姫駅に来られ、4冊目となるノートを置いて行かれたようでした。私が帰るまでに15日・19日・22~3日と3人の書き込みがあったようです。22日に駅宿した人などは言ってくれれば私の家に泊めてあげれたのにと思います。
それにしても設置者のベーシストさんは毎年、8月14日に紀伊姫駅に来てるような気がします。でもこれが最後と書いてありますから、いくらニアミスしていてももう出会うことは叶わないかも知れません。私は3冊目が無くなった時にはもう諦めたのですが、それにしてもベーシストさんはしつこいですね、いや、諦めないことは良いことです。
今回は書き込みが順調なようで、1か月余りで9件、大阪や神戸からが多いですが、名古屋や東京からの方もおられます。地元の方や学生の書き込みはありません。こうして読んでいるとおそらくもう2度とはこの駅に来ないでしょうに、というより、2度とこのノートを見ることがないでしょうに、自分の書き込みに対して何か書き込んでもらえるような期待を抱いているように思えてなりません。私もこれまでにノートに書き込まれたことを少しばかりは紹介していますが、書き込んだ方がこの『ぼんくら放浪記』を閲覧した形跡が有りません。
今回最後の書き込みは9月20日、Y下君が釣りにやって来た日です。どうやらJRの職員のようで、何故かこのノートがJR和歌山の職員によって設置されたかのような錯覚を抱かれているようで“・・・雨・風に負けずがんばれ”と激励を送っています。何よりもこのノートが何者かによって持ち去られることなく、まじめな書き込みが続くことを願っています。
クモの糸とミッフィーちゃんが雲に乗ってるイラスト、雲×クモでかけたってことですか?
ベーシストさんはちゃんと「ぼんくら放浪記」の方って書いてますね。
クモと雲なんて、考えたこともなかったです。ミッフィーちゃんが雲に乗ってたって、今気が付きました。
ベーシストさんは、紀伊姫駅ノートへの書き込みを紹介しているのは私だけだろうと思うけど、読んでくれているかなぁ。今回はノートの設置に気付くのが遅れたし・・・。