東鳴尾町2丁目の一角にあった『東鳴尾皇太神社』です。
小さいし、とっても小さければ又記事にもなるのですが、書く事といってさしてなさそうなのですが、やってきたからには地元の人にも敬意を表して記事にしなければならないと思い、綴っています。
皇太神社という名前は適当ならざるを以って、大字名をとって名前を付け直したとあります。
その適当ならざる理由が知りたいのが人情というものでしょう。
この小さな神社に『皇太』という畏れ多い名前を付けたのが原因なのでしょうか?
因みに『皇太神宮』とは伊勢神宮の内宮のことを指すようで、区別するために東鳴尾を付け加えるよう指示されたのかも知れません。
だけど1691年以降260年以上もこの皇太神社名を使っていたし、神宮じゃなくて神社なので、全く同じではなかったのですから、そのままでも良かったんじゃないかと思うのです。
ついでに、伊勢神宮の外宮は『豊受大神宮』と言うそうです。
昭和19年といえば、日本は太平洋戦争で連戦連敗を重ね、神社の名称などにかまっておれるような情勢ではなかったと思われます。
いや、戦地は日本国内ではなく、報道も実際とはかけ離れたことを知らせていたのですから、神社の改称をすることによって『余裕』を見せていたのかも知れません。
そして翌20年には戦争で焼失、再建が昭和33年です。
暫くの間この神社は無かったのでしょうから、再建した際名前をどうしよう・・・という論議はあったのだろうと思います。
名称の交代は再建時が適当なように思いますが、どうでしょう。
石は燃えませんから、この狛犬は残ったのでしょうね。
何故なら古いタイプの狛犬です。
この阿形の狛犬、角の跡があります。昔から作られていた狛犬は皆角があったらしい。
向かって右側の吽形の獅子、台座が新しいようですから、再建当時のものか、阪神大震災で作り直したのでしょう。
右奥にあった祠、赤い鳥居は一つだけ残して、手前のものは全部切ってしまったのでしょうか?
それとも再建時にこうして短い柱だけ建てたのでしょうか。
いずれにしても、この方がサッパリしているように思います。
お稲荷さんで狐を祀ってあると思いきや、三種の神器の一つ、鏡のようでした。
境内の一角に植えられていた花、黄色いのはよく目にするように思うのですが、違うのかなぁ・・・
花の名前を教えてください。
案内板の下に咲いていた梅、白でも紅でもありません。
もう梅の季節も終わりのようで、残っていた花びらです。
小さいし、とっても小さければ又記事にもなるのですが、書く事といってさしてなさそうなのですが、やってきたからには地元の人にも敬意を表して記事にしなければならないと思い、綴っています。
皇太神社という名前は適当ならざるを以って、大字名をとって名前を付け直したとあります。
その適当ならざる理由が知りたいのが人情というものでしょう。
この小さな神社に『皇太』という畏れ多い名前を付けたのが原因なのでしょうか?
因みに『皇太神宮』とは伊勢神宮の内宮のことを指すようで、区別するために東鳴尾を付け加えるよう指示されたのかも知れません。
だけど1691年以降260年以上もこの皇太神社名を使っていたし、神宮じゃなくて神社なので、全く同じではなかったのですから、そのままでも良かったんじゃないかと思うのです。
ついでに、伊勢神宮の外宮は『豊受大神宮』と言うそうです。
昭和19年といえば、日本は太平洋戦争で連戦連敗を重ね、神社の名称などにかまっておれるような情勢ではなかったと思われます。
いや、戦地は日本国内ではなく、報道も実際とはかけ離れたことを知らせていたのですから、神社の改称をすることによって『余裕』を見せていたのかも知れません。
そして翌20年には戦争で焼失、再建が昭和33年です。
暫くの間この神社は無かったのでしょうから、再建した際名前をどうしよう・・・という論議はあったのだろうと思います。
名称の交代は再建時が適当なように思いますが、どうでしょう。
石は燃えませんから、この狛犬は残ったのでしょうね。
何故なら古いタイプの狛犬です。
この阿形の狛犬、角の跡があります。昔から作られていた狛犬は皆角があったらしい。
向かって右側の吽形の獅子、台座が新しいようですから、再建当時のものか、阪神大震災で作り直したのでしょう。
右奥にあった祠、赤い鳥居は一つだけ残して、手前のものは全部切ってしまったのでしょうか?
それとも再建時にこうして短い柱だけ建てたのでしょうか。
いずれにしても、この方がサッパリしているように思います。
お稲荷さんで狐を祀ってあると思いきや、三種の神器の一つ、鏡のようでした。
境内の一角に植えられていた花、黄色いのはよく目にするように思うのですが、違うのかなぁ・・・
花の名前を教えてください。
案内板の下に咲いていた梅、白でも紅でもありません。
もう梅の季節も終わりのようで、残っていた花びらです。
皇太子は天皇になる予定の男の子、皇太后とは先帝の皇后や飛鳥の頃の女帝が退位した時に名乗った称号、そういうドエライ方々の御文字を戴くなどとだいそれたことを考えた神社がこの地域に二つもあったのに驚いています。
この間は七川の桜を観に行ったのですが、やはり早すぎました。
平草原の桜、キレイに撮れたらUPしてください。楽しみにしています。
短い柱がとっても気になります。
仕様なのでしょうか?
予算の都合でないことを祈りますww
杭みたいですね。
確かにすっきりしてます。
梅の次はサクラですね。
毎年、白浜の平草原へ行ってます。
でもいつも目にするのは黄色ですよね。
せっかくの南紀州新聞のオススメは、見ていかなかったんですが、串本で信号待ちした横にその新聞舗があって、暫く眺めていたんですよ。熊野新聞もあるんですね。
狛犬・・・ちのとさんのいつかのBlogにリンクされてあった大島の雷公神社に行ってきましたが、狛犬はありませんでした。
海金剛の駐車場に車を停めたので、雷公神社は判りにくかったです。
キンカンを売ってるおばあさんに教えてもらいましたが、トイレの奥にある道を辿っていったのですが、下まで着くと広場があるばかり、海には出れたのですが、私はどこかに釣り場はないかななどと思うばかりで、海の方ばかり見てました。
帰ろうと振り返ったら、左の奥に鳥居が見えました。
車での道も教えていただいたので、帰りは道路を通りましたが、三叉路があるからそこを曲がるんやと言われていたのですが、曲がるところは三叉路ではありませんでした。ただ単に横道があるだけ、たぶん車で行ってたら、気付かんかったと思います。
そのうち記事にします。
それにしても 南紀地方の神社(小さい)のには由来なんてものの 看板はないなぁ・・南紀人は歴史に興味がないのか・・・
花は マツバギクではないかと思います。昔は冬に弱く地上部は枯れていたけど、最近は一年中見られる。
マツバギクだと思うんだけど