ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

ザビエル公園

2014-07-01 05:00:00 | 大阪にて

今日から7月、2014年も半分過ぎて残り6ヶ月になりました。それにしても今日閣議決定されようとしている集団的自衛権の行使容認、紛争の解決に武力を用いないという憲法とは明らかな矛盾があるというのに、国会議員が憲法を守ろうとしない、そんな態度で良いのかという疑問が湧いています。平和を希求するはずの公明党までが、権力の座に座り続けたいがために党是を擲ってまで戦争への道を進もうとしているのです。私自身は戦前に生きていたわけではないので、いつか来た道を体験しているわけではありませんが、90歳ぐらいの人なら、昨今の情勢をいつか来た道と酷似しているように感じているのではないかと思うのです。

             

南宋寺でお金を払って拝観しなかったので、今回はお金を払って観てこようと思い、先週25日に三度(「さんど」ではなく「みたび」と読んでね)堺へと行ってきました。2回目の堺行で紀州街道を南下すると私が46歳の頃、2週間ほど赴かされたNTTの大小路(おおしょうじ)ビルがあることに触れましたが、そのビルの前の街道を挟んだ対面にザビエル公園が有ります。

             

入社してから28年間、電報一筋の仕事をしてきたので、電話のことなど全く知らない電電公社~NTTの職員でしたが、1985年の民営化後、電報の合理化に伴って、私もついに電報マンではいられなくなり、電話の勉強をするために大小路ビルに派遣されたのでした。私が電電公社に入社したのは、大阪で万博が催された1970年、当時は京橋に建てられた電電公社の学園で三ヶ月間の訓練が有りましたが、新たに電話の講習を受けるのに2週間とは、あまりにも短い期間であり、それもそのビルの何処かの課の課長代理というエラそうな奴に教えてもらったので、何のこっちゃ?とそもそも言葉が解らないのに専門用語を並べ続けるアホな課長代理の為に、無駄な2週間を過ごしたように思います。

             

当時は公園などには興味も無かったので、公園内には入っていませんでしたが、入ってみると結構広い公園でした。ソフトボールなら出来そうな多目的広場もありましたが、きっと球技は禁止なのだろうと思います。

             

公園内には4つのモニュメントが有り、その一つがこの堺鉄砲の碑、戦国時代から近江の国友、紀州の根来、和泉の堺は火縄銃の製造地として有名であり、堺には火縄銃保存会も有るようです。

             

ヨーロッパの西の果てのポルトガル、アジアの東の果ての日本との出会いを象徴したと言われるジョルジ・ヴィエイラの彫刻、『東と西の接点』と題されていますが、大阪万博時にポルトガル館に設置されていたものをポルトガルが堺市にくれたものだそうです。何故か案内板にはポルトガルのガが小さく書かれていますが、パソコンではガの小さい字は打てません。

             

フランシスコ・ザビエル芳躅碑、ザビエルが来日し、京に登る際に堺の豪商・日比屋了慶の屋敷に滞在したのですが、ザビエル来航400周年の1949年に日比屋了慶屋敷跡と言われるこの地に公園を建てたので、ザビエル公園という名前が通称となっていますが、本当は戎公園と言うのだそうです。碑文にはザビエルはザヴィエルとなっていました。

             

堺出身の詩人、安西冬衛の歌碑です。タイトルは『春』この写真ではなかなか読めませんが、“てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った”と彫られています。何故だか熊谷守一の絵が脳裏に浮かびます。

             

これが私が2週間通ったNTT大小路ビル、前を走る阪堺電車の駅は花田口、大聖寺駅は次の駅ですが、何故かビルは大小路の名前が付いています。営業所が有った1階はお菓子屋になっています。暖簾がかかっていますが、この日は休みでした。