「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2018・08・06

2018-08-06 09:40:00 | Weblog




    今日の「お気に入り」。


       「 ―――― われわれは他者の人生に意味を与えることはできません。

         ―――― われわれが彼に与えることのできるもの、人生の旅の餞(はなむけ)として

           彼に与えることのできるもの、それはただひとつ、実例、つまりわれわれの

           まるごとの存在という実例だけであります。

           というのは、人間の苦悩、人間の人生の究極的意味への問いに対しては、

           もはや知的な答えはあり得ず、ただ実存的な答えしかあり得ないからです。

           われわれは言葉で答えるのではなく、われわれの現存在そのものが答えなのです。―――― 
       

                 ( ヴィクトル・フランクル「意味への意志」より ) 」


              ( 宮本輝著「骸骨ビルの庭」講談社文庫 所収 )








   フリー百科事典「ウィキペディア」には、ヴィクトル・フランクルさんのことが次のように

  記述されています。

   「 ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl、1905年3月26日 - 1997年9月2日)は、

    オーストリアの精神科医、心理学者。

     著作は多数あり日本語訳も多く重版されており、特に『夜と霧』で知られる。

    来歴;

     1905年にウィーンに生まれる。

     ウィーン大学在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。

     ウィーン大学医学部精神科教授、

     ウィーン市立病院神経科部長を兼任する。

     『第三ウィーン学派』として、また独自の『実存分析』を唱え、ドイツ語圏では元々知られていた。

     フランクルの理論にはマックス・シェーラーの影響が濃く、マルティン・ハイデッガーの体系を汲む。

     精神科医として有名であるが、脳外科医としての腕前も一級であった。

     1933年から、ウィーンの精神病院で女性の自殺患者部門の責任者を務めていたが、

    ナチスによる1938年のドイツのオーストリア併合で、ユダヤ人がドイツ人を治療することが禁じられ、任を解かれた。

     1941年12月に結婚したが、その9ヶ月後に家族と共に強制収容所のテレージエンシュタットに収容され、

    父はここで死亡し、母と妻は別の収容所に移されて死亡した。

     フランクルは1944年10月にアウシュビッツに送られたが、3日後にテュルクハイムに移送され、

    1945年4月にアメリカ軍により解放された。

     その後1946年にウィーンの神経科病院に呼ばれ、1971年まで勤務した。

     1947年に再婚している。

     ナチス強制収容所での体験を元に著した『夜と霧』は、日本語を含め17カ国語に翻訳され、

    60年以上にわたって読み継がれている。

     発行部数は、(20世紀内の)英語版だけでも累計900万部に及び、1991年のアメリカ国会図書館の調査で

    『私の人生に最も影響を与えた本』のベストテンに入ったという。

     他に読売新聞による2000年の『読者の選ぶ21世紀に伝えるあの一冊』のアンケート調査で、

    翻訳ドキュメント部門第3位となったとされる。

     よく誤解されるが、フランクルのロゴセラピーは収容所体験を基に考え出されたものではなく、

    収容される時点ですでにその理論はほぼ完成されており、はからずも収容所体験が理論の正当性を検証する

    こととなった。

     極限的な体験を経て生き残った人であるが、ユーモアとウィットを愛する快活な人柄であった。

     学会出席関連などでたびたび日本にも訪れていた。 」





                       
                  





 
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