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「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・12・14

2013-12-14 15:30:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「私がいま言葉を大事にするのは、震災と戦災で、日本中がまる焼けになったからである。まる焼けと『言葉』と、何の関係があるかと、怪しむ人もあろうから、そのわけを言う。
 家と道具が焼失すると、それにまつわる過去も失われるが、それなら、火事と喧嘩は江戸の華だから、再三の大火で、とうの昔に伝統は滅びているはずだとお考えだろうが、そうでない。
 わが国の建築の設計と技術は、百年、三百年、五百年――代々の親方の工夫を受けついだものだから、焼ければ似たような設計の家が建つ。だから、伝統は絶えなかったと、以前私は書いたが、今もそう思っている。
 震災と戦災は、日本中まる焼けにしたから、そしてそのあとには、モダン・リビングがたちつつあるから、古き家々の魂魄(こんぱく)はいま宙に迷って、前代と後代の間に微妙な断絶が生じた。残ったのは、言葉だけである。だから、私はそれを大事にして、なるべく新しい言葉は使うまい、耳で聞いてわからぬ漢語と、横文字は使うまいと、みずから禁じているのである。
 たとえば私は、入場料と言わない。外人と言わない。木戸銭、西洋人と言う。贈賄(ぞうわい)と言わない。告白と言わない。袖の下、白状と言う。
 言わないづくしを書けばきりがないから、これ以上書かないが、このことにかけて、私はがんこである。けれどもあきらめて他人には強(し)いない。
 入場料を木戸銭と言うのは、芝居なんぞみたこともないくせに、むやみに芝居者を崇拝する風潮を、快く思っていないからである。
 むかし、役者はといわれ、素人(しろうと)と差別されていた。それにはそれだけのわけがあると、私は論陣をはってもいいが、ここはその場所ではない。差別はホーケン的で、平等になったのは民主的だという、当代の紋切型にしばらく従っておくが、昨今のそれは度を越えて、平等ではない。崇拝である。
 見物もしないで崇拝するのは、芸人が大金をとると聞くからで、ホーケンの遺風を脱して、拝金の新風になびき、拝金がホーケンを馬鹿にして、そのとばっちりを受けるのなら、私は迷惑である。」

「私が言っているのは、言語には抵抗と選択がなければならない、学校は外国語ばかり大事にして、日本語を粗略にしすぎると、ごく当りまえな苦情である。」

「この寝台のなかで、お婆さんは死んだ、おっ母さんも死んだ、いずれは私も死ぬだろうと、フランス女は誇りかに言うそうである。
 生き変り死に変りして、はじめて家である。そこに磐石(ばんじゃく)のような古いものがあるから、それをはね返そうとする新しい試みが生ずるのであろう。
 私は、モダン・リビングに失望している。前代と後代をつなぐ建築がなければ、言葉でつなぐよりほかはない。それでなければ、私はただのへんくつにすぎない。
                                (『文芸春秋』昭和38年3月号)」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

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