「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

春はあけぼの Long Good-bye 2024・01・29

2024-01-29 05:42:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、清少納言「 枕草子 」

 の 冒頭のくだり 。

 「 春はあけぼの 。やうやう白くなりゆく山際 、
  少し明かりて 、紫だちたる雲の細くたなびき
  たる 。

   夏は夜 。月のころはさらなり 、闇もなほ 、
  蛍の多く飛びちがひたる 。また 、ただ一つ
  二つなど 、ほのかにうち光て行くもをかし 。
  雨など降るもをかし 。

   秋は夕暮れ 。夕日の差して山の端いと近う
  なりたるに 、烏の寝所へ行くとて 、三つ四
  つ 、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり 。
  まいて雁などの連ねたるが 、いと小さく見
  ゆるは 、いとをかし 。日入り果てて 、風
  の音 、虫の音など 、はた言ふべきにあらず 。

   冬はつとめて 。雪の降りたるは言ふべきにも
  あらず 、霜のいと白きも 、またさらでも
  いと寒きに 、火など急ぎおこして 、炭持て
  渡るも 、いとつきづきし 。昼になりて 、
  ぬるくゆるびもていけば 、火桶の火も 、白
  き灰がちになりてわろし 。

 

 

   初めてこの文章を目にしたのは 、60年ほど前の 、筆者が

  高校生だった頃のこと 。「 古文 」の授業の担当教官で 、

  筆者を中世国文学の世界に誘ってくれたのは 、国文学者

  で 教育者でもある 坊城俊民 さん  ( ぼうじょう としたみ 、

  1917年〈大正6 年〉3月29日 - 1990年〈平成2年〉4月6日 )。

   高名な学者であること 、堂上華族の嫡子で  、三島由紀夫

  と縁浅からぬ人であることなど 、無論 露知らず 、先生の

  醸し出す雰囲気と 授業内容だけで 、古文が好きになり 、

  味気ない高校生活や受験勉強の慰めとしていたことを 今

  懐かしく思い出します 。

  ( ´_ゝ`)

  ( ついでながらの

    筆者註:「 『 枕草子 』( まくらのそうし )とは 、平安時代
        中期に 中宮定子に仕えた女房 、清少納言により執筆
        されたと伝わる随筆 。ただし 本来は 、助詞の「 の 」
        を入れずに「 まくらそうし 」と呼ばれたという 。

         執筆時期は正確には判明していないが 、長保3年
        ( 1001年 )にはほぼ完成したとされている 。「 枕
        草紙 」「 枕冊子 」「 枕双紙 」とも表記され 、古
        くは『 清少納言記 』『 清少納言抄 』などとも称さ
        れた 。また 日本三大随筆の一つである 。」

         「 清 少納言( せい しょうなごん 、旧字体: 淸 
        少納󠄁言 、康保3年頃〈966年頃〉 - 万寿2年頃
        〈1025年頃〉)は 、平安時代中期の女房 、作
        家 、歌人 。随筆『 枕草子 』は 平安文学の
        代表作の一つ 。歌人としては 中古三十六歌仙
        そして女房三十六歌仙の一人でもある 。

        名 前
         正確な生没年や本名は不明である 。生没年は 、
        岸上慎二による推定である 。」

       「 『 清少納言 』は宮中での女房名で 、『 清 』
        は清原姓に由来するとされている 。『 少納言 』
        は官職少納言に由来するものと見られるが 、
        当時女房名に官職名を用いる場合は 父親や近
        親者がその官職にあることが通例であった 。
         清原氏の近い親族で少納言職を務めたものは
        おらず 、『 少納言 』の由来は不明である 。 」

       「 語呂の関係からか 今日では『 せいしょう・
        なごん 』と発音されることもあるが 、上述
        しているように『 清 』は父の姓から 、
        『 少納言 』は役職名が由来であるため 、
        本来は『 せい・しょうなごん 』と区切って
        発音するのが正しいと思われる 。

        出 自
         父の清原元輔は 、受領などを務める下級貴族
        であったが 、『 万葉集 』の読解と『 後撰和
        歌集 』の選者( 梨壺の五人 )を務めた著名
        歌人として知られていた 。曽祖父( 系譜によ
        っては祖父 )は『 古今和歌集 』の代表的歌人
        である清原深養父 。兄弟姉妹に 、雅楽頭為成・
        太宰少監致信 、花山院殿上法師戒秀 、および
        藤原理能( 道綱母の兄弟 )室となった女性が
        いる 。

    「 紫式部は『 紫式部日記 』において 『 清少納言こ
     そ 、したり顔にいみじう侍りける人 。さばかり賢し
     だち真名書きちらして侍るほども 、よく見れば 、
     まだいと堪へぬことおほかり 。かく人に異ならむと
     思ひこのめる人は 、かならず見劣りし 、行末うたて
     のみはべれば( 清少納言という人は とても自慢げに
     している人です 。賢そうに漢文など書いていますが 、
     よく見れば粗が多いものです 。このような 人と変わっ
     たことを好む人は 、必ず失敗し 、行く末も危ない
     ものです )』と酷評している 。」

     以上ウィキ情報 。

     「 紫式部日記 」、人に見せる目的で綴られた「 日記 」

     という名の 「 平安朝の後宮サロン 」の日刊紙 みたいな 。

      中宮定子に仕える女房 清少納言 をディスる 内容

     の書き込み 。紫式部は 、他派閥の女房 。

      現代の SNS上 の書き込みと相通ずるものがある 。

      「 源氏物語 」は その延長線上にある 宮廷スキャン

     ダルの絵空事 。

      「 光源氏って 、ただの クズ ?!  」って 、どこかの

     ラジオ局の男性アナウンサーが口走ったのを聞いた

     ような気がするのは 、筆者の空耳か 。「 インタビュ

     ーする前に 、作家の著書ぐらい読んどけ 」と 、その

     アナウンサーが 寂聴さんに叱られた理由が よくわかる 。

     叱られたことを根に持ってるな 。叱った寂聴さんが も

     っともで 、叱られたあんたが悪い 。  )

 

 

コメント
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