今日の「 お気に入り 」 。
「 昭和八年一月一日 、私はゆうぜんとしてひとり( いつもひとりだが )ここかうし
てかしこまつてゐた 。
昨年は筑前の或る炭坑町で新年を迎へた 。一昨年は熊本で 、五年は久留米で 、四
年は広島で 、三年は徳島で 、二年は内海で 、元年は味取で 。 ――
一切は流転する 。流転するから永遠である 、ともいへる 。流れるものは流れるが
ゆえに常に新らしい 。生々死々 、去々来々 、そのなかから 、或はそのなかへ 、
仏が示現したまふのである 。
私はまだ『 あなたまかせ 』にまで帰納しきつてゐないことを恥ぢるが 、与へられ
るものは 、たとへそれがパンであらうと 、石であらうと 、何であらうとありがたく
戴くだけの心がまへは持つてゐるつもりである 。
行乞の或る日 、或る家で 、ふと額を見たら 、『 独慎 』と書いてあつた 。忘れられ
ない語句である 。これは論語から出てゐると思ふが 、その意味は詮ずるところ 、自
分を欺かないといふことであらう 。自分が自分に嘘をいはないやうになれば 、彼は
磨かれた人である 。人物に大小はあつても人格の上下はない 。
私は五十二歳の新年を迎へた 。ふりかへりみる過去は『 あさましい 』の一語で尽
きる 。ただ感情を偽らないやうにして生きてゐたことが 、せめてものよろこびであ
る 。
独慎 ―― この二字を今年の書き初めとして 、私は心の紙にはつきりと書いた 。 」
「 独り飲みをれば夜風騒がしう家をめぐれり
風は気まゝに海へ吹く夜半の一人かな
大きな鳥の羽ばたきに月は落ちんとす
濃き煙残して汽車は凩の果てへ吸はれぬ
風がはたゝゝ窓うつに覚めて酒恋し
鉄鉢の中へも霰 」
( 出典: 種田山頭火著 村上護 編 小崎侃・画 「 山頭火句集 」ちくま文庫 ㈱筑摩書房 刊 )