「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・05・26

2006-05-26 07:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、平成13年10月の「牝鷄晨す」と題した小文の一節です。

 「来世は男に生れたいかと女に問うと、戦前はみんな男に生れたいと答えた。
『人生婦人の身となることなかれ、百年の苦楽他人(夫)による』と唐代の詩人はうたったから、千何百年も前からそうだったのだろう。女はソンで男はトクだと思っていたが、戦後は反対になった。
 次第に来世も女に生れたいと答える女がふえたが、今は十人中九人までは再び女に生れたいと答える。」

 「まれに一年間だけなら男に生れてもいいがそれ以上はいや、もとの女に返りたいという娘がある。これはまだ男を知らぬ女だ。男を知った女に問うと男は哀れだからと言う。たいてい年増で、どこが哀れだと問いつめてもそれ以上は答えない。」

 「男が哀れだというのは sex のことである。女は自立できるようになると男と対等になった。生む生まないは女の勝手にはなったが、本来女の体は生むようにできている。だから男をしぼってしぼってやまないのである。女に敵う男はない。古人はそれを知ってつとに牝鷄(ひんけい)晨(あした)すと言った。」

   (山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)

 (筆者注)広辞苑によれば、「牝鷄晨す」は、「牝鶏が時をつくる意で、女が勢力をふるうことのたとえ、家や国がほろぶ前兆・原因とされた」とあります。
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