今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、平成12年7月の「匿名というもの」と題したコラムの一節です。
「(風)と名乗る匿名の書評子が一世を震撼させたことがある。昭和五十一年十月から五十七年十月までまる六年『週刊文春』に連載された。僅々一ページに足りないコラムだったがこの週刊誌を重からしめる呼物だった。漱石を論じた一例をあげる。
――私(風)は近代文学研究ぐらいバカバカしいものはないと思っている。メザシはいくらつっ突いてもメザシである。たとえ新事実を続々と発見しても、元の値打ちがなければその発見は意味がない。また、なんでああみんな夏目漱石を研究したがるのかも不思議でしようがない。私などは、漱石を卒業して大人になれたと思っているのに、大学教授というエライ人たちが、漱石が嫂(あによめ)に恋をした、しない、といっている図はコッケイを通りこして悲惨である云々(『風の書評』昭和五十五年十一月初版ダイヤモンド社)。
書評子『風』は漱石をメザシだと言っている、なぜむらがって研究するのかけげんだと言っている。もとより一ページそこそこのコラムだから実例はあげられないが、私は同感だった。その言葉は自信に満ちていた。
漱石山脈といって漱石の弟子たち孫弟子たちは漱石を神棚に祭りあげているが本当に面白いか。『坊っちゃん』『猫』は誰が読んでも面白いが『虞美人草』以下にいたっては私にはちっとも面白くなかったと、これは正宗白鳥が昭和三年に書いている。私は『正宗白鳥の漱石評』と題して月刊文藝春秋七月号に書いた。次号(八月号)に続きを書くに当って『風』の寸評を思いだして、いま上下二巻をさがしあてた。」
「漱石崇拝に抗して退屈が予想される長編を読むことがいかに苦痛かを書くのは勇気のいることである。敵は幾万である。袋だたきにならなかったのは、白鳥が文壇の耆宿(きしゅく)だったからである。その代り黙殺された。」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
「(風)と名乗る匿名の書評子が一世を震撼させたことがある。昭和五十一年十月から五十七年十月までまる六年『週刊文春』に連載された。僅々一ページに足りないコラムだったがこの週刊誌を重からしめる呼物だった。漱石を論じた一例をあげる。
――私(風)は近代文学研究ぐらいバカバカしいものはないと思っている。メザシはいくらつっ突いてもメザシである。たとえ新事実を続々と発見しても、元の値打ちがなければその発見は意味がない。また、なんでああみんな夏目漱石を研究したがるのかも不思議でしようがない。私などは、漱石を卒業して大人になれたと思っているのに、大学教授というエライ人たちが、漱石が嫂(あによめ)に恋をした、しない、といっている図はコッケイを通りこして悲惨である云々(『風の書評』昭和五十五年十一月初版ダイヤモンド社)。
書評子『風』は漱石をメザシだと言っている、なぜむらがって研究するのかけげんだと言っている。もとより一ページそこそこのコラムだから実例はあげられないが、私は同感だった。その言葉は自信に満ちていた。
漱石山脈といって漱石の弟子たち孫弟子たちは漱石を神棚に祭りあげているが本当に面白いか。『坊っちゃん』『猫』は誰が読んでも面白いが『虞美人草』以下にいたっては私にはちっとも面白くなかったと、これは正宗白鳥が昭和三年に書いている。私は『正宗白鳥の漱石評』と題して月刊文藝春秋七月号に書いた。次号(八月号)に続きを書くに当って『風』の寸評を思いだして、いま上下二巻をさがしあてた。」
「漱石崇拝に抗して退屈が予想される長編を読むことがいかに苦痛かを書くのは勇気のいることである。敵は幾万である。袋だたきにならなかったのは、白鳥が文壇の耆宿(きしゅく)だったからである。その代り黙殺された。」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)