今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「『春燈』という雑誌は久保田万太郎が安住敦(あずみあつし)・大町糺(ただす)の力をかりて主宰した俳句雑誌で昭和二十一年一月に出た。敗戦直後の食うや食わずのころで俳諧どころではなかったのに、ながく店頭に置かれて『春燈』ここにありとその存在をひろく知らしめた。
なぜこんなことをおぼえているかというと、縁あってこの雑誌が全く無名の私の短文を載せてくれたからである。タイトルのつけようがなくやむなく『日常茶飯事』と題したが『私は時々犬になる』『もと美人は残念に思っている』のたぐいがどうしてこの雑誌に似合うだろうとやがて私は打ちきったが、その縁で安住敦が死ぬまでこの雑誌の寄贈を受けていた。
夏帽や反吐(へど)のでるほどへりくだり
『安住敦百句』のなかの句である。俳句では食べられない、今にして思えばこのころが安住が最も苦しい時代だったのだろう。そんなこととは知らず私は平気で原稿料をもらっていた。
金がないということはどういうことか、私も一文なしではあったが、金利生活者の子だったから金は銀行にある、ただいま無いだけだと思っていた。それでもさぞ安住は反吐のでるほどへりくだったことだろうことは察するに余りある。」
(山本夏彦著「寄せては返す波の音」 新潮社刊 所収)
「『春燈』という雑誌は久保田万太郎が安住敦(あずみあつし)・大町糺(ただす)の力をかりて主宰した俳句雑誌で昭和二十一年一月に出た。敗戦直後の食うや食わずのころで俳諧どころではなかったのに、ながく店頭に置かれて『春燈』ここにありとその存在をひろく知らしめた。
なぜこんなことをおぼえているかというと、縁あってこの雑誌が全く無名の私の短文を載せてくれたからである。タイトルのつけようがなくやむなく『日常茶飯事』と題したが『私は時々犬になる』『もと美人は残念に思っている』のたぐいがどうしてこの雑誌に似合うだろうとやがて私は打ちきったが、その縁で安住敦が死ぬまでこの雑誌の寄贈を受けていた。
夏帽や反吐(へど)のでるほどへりくだり
『安住敦百句』のなかの句である。俳句では食べられない、今にして思えばこのころが安住が最も苦しい時代だったのだろう。そんなこととは知らず私は平気で原稿料をもらっていた。
金がないということはどういうことか、私も一文なしではあったが、金利生活者の子だったから金は銀行にある、ただいま無いだけだと思っていた。それでもさぞ安住は反吐のでるほどへりくだったことだろうことは察するに余りある。」
(山本夏彦著「寄せては返す波の音」 新潮社刊 所収)