今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 古い本を読むということは死んだ人と話をすることだ。」
「 私は年齢というものを認めてない。三千年も前の古人と話をしてどうして五十年や
百年の違いが違いだろう。生きているかぎり同時代人である。言葉は電光のように
通じるもので、私の話は中学生にも通じるし、同じ話が六十七十の老人にも通じない。」
「 私は子供のときから生きて甲斐ない世の中だ、さっさと死にたいと思っていたが、うまく
死ねるものではない。死神にも見放されたのである。なぜかと言われても人は五歳にして
すでにその人だとフレーベルの言葉を借りて答えるよりほかない。自分の内心を見てそう
思ったのである。以来ずっと私は人間の見物人になった。見れば見るほど人間というもの
はいやなものだなあと再三書いた。
どんな人の頭の中にも他人がいて、その他人がのさばって当人を追いだしてしまったの
が『私』だと言っても分ってもらえない。
だから私は時々女になる、女になれば男が見える。見えないところも多いが、それは色
情をもって見るからである。それなら私は犬になる。犬は身の丈三尺(一メートル弱)に
足りない、この世は一変して見える。けれども犬もまた哺乳類である。哺乳類であれば人
類に酷似している。
ここにおいて一躍して私は植物になる。人は植物をあなどって一段低いものと見るが私
は見ない。植物は人よりはるかに敏感である。鋸でひけば白い血を流す。四キロも離れた
孤独な銀杏同士はある日ある時風に乗って飛んで花を咲かせ実を結ぶ。植物がいかに高貴
か分ったろう。何よりいいのは常にすっくと立って移動しないことだ。人類の諸悪の根源
は移動するにある。何用あって月世界へ――。」
(山本夏彦著「寄せては返す波の音」新潮社刊 所収)